
縁側をご利用いただく際のルール&マナー集を用意いたしました
ユーザーの皆様に楽しくご参加いただけるよう、主に投稿時の注意点などをまとめています。
ご投稿の前には必ずご一読をお願いいたします。詳しくはこちら⇒「縁側 ルール&マナー」
紹介文
私は乗り物が好きで趣味でいろんな所に旅行に行って、目に留まった物の写真を撮っています。
主にコンデジで撮った観光地や風景の記録目的のスナップ写真をアップしていきます。
旅行日と地域毎に一つのスレにまとめ、スレのタグは都道府県名にしていきます。
現在写真のアップに忙しく返信する時間がないのでしばらく運営者のみ投稿可にしておきます。

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長者ヶ平-石垣1 | 長者ヶ平-石垣2 |
1枚目はリフトを降りて長者ヶ平から松山城の方に行きます。
2枚目手前は松山城天守(本丸広場)に行く道で、左はロープウェイ乗り場に行く道で、向こうは東雲口(東雲口登城道)で、右は二之丸(県庁裏登城道)に行く道です。
2014/7/10 21:23 [951-5373]


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長者ヶ平-石垣11 | 長者ヶ平-石垣12 | 長者ヶ平-石垣13 |
1枚目石垣の上は隠門続櫓です。
2枚目は本丸の石垣の説明です。
3枚目は来た道を写しました。
2014/7/10 23:26 [951-5376]

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揚木戸門跡1 | 揚木戸門跡2 | 揚木戸門跡3 | 揚木戸門跡4 |
1枚目は揚木戸門跡です。
2枚目は大手門跡と待合番所跡と揚木戸門跡の説明です。
3,4枚目は石垣です。
2014/7/14 19:38 [951-5377]



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大手門跡8 | 大手門跡9 | 大手門跡10 | 大手門跡11 |
1枚目は大手門跡の横の道です。
2枚目石垣の上は戸無門,筒井門,隠門があります。
3枚目は本丸の南西角の太鼓櫓です。
4枚目は太鼓櫓の下から小天守と天守を写しました。
2014/7/14 22:28 [951-5381]


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戸無門7 | 戸無門8 | 戸無門9 |
戸無門を通りました。戸無門の横の筒井門,隠門は工事中です。戸無門は本丸の大手入口の最初に現存する高麗門です。登城道U字屈折の終点に位置します。昔から門扉がないので戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がありません。
2014/7/15 20:15 [951-5385]

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筒井門・隠門1 | 筒井門・隠門2 | 筒井門・隠門3 | 筒井門・隠門4 |
筒井門です。この門は築城の際、正木城から移建されたと伝えられる松山城最大の門です。三之丸・二之丸から本丸へ向かう、大手(正面)の固めを構成する重要な櫓門で、城中で最も重要かつ堅固な所となっています。
2014/7/15 23:25 [951-5388]

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筒井門・隠門5 | 筒井門・隠門6 | 筒井門・隠門7 | 筒井門・隠門8 |
1枚目は筒井門を通ったところです。
2,3,4枚目は筒井門を通ったところから周囲を写しました。
2014/7/16 19:05 [951-5389]

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筒井門・隠門9 | 筒井門・隠門10 | 筒井門・隠門11 | 筒井門・隠門12 |
1枚目は太鼓櫓です。
2,3枚目は隠門です。この門は筒井門の奥の石垣の陰に隠された、埋門(うずみもん)形式の櫓門で、戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっています。脇戸を持たず、扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいですが、豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや格子窓形式の突揚げ戸などとともに、築城当時の面影を見ることができます。
4枚目は隠門の横の筒井門です。城の防備を固める上で、最も重要堅固な意味合いを持つのが筒井門と隠門です。戸無門を通過して、目に付くのは筒井門で、その奥にある隠門は分かり難くしています。これは、侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う戦略とみられています。これら門の上には続櫓があり、松山城の守りの堅牢さを象徴するものとなっています。
2014/7/16 19:38 [951-5390]

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筒井門・隠門13 | 筒井門・隠門14 | 筒井門・隠門15 | 筒井門・隠門16 |
1枚目は隠門続櫓と筒井門西続櫓同東続櫓の説明です。
2,3枚目は隠門続櫓です。
4枚目は隠門の横から写しました。石垣の西端の太鼓櫓と太鼓門との間にある24.41mの渡塀には狭間21ヵ所、石落2ヵ所が設けられています。
2014/7/16 20:10 [951-5391]


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太鼓門5 | 太鼓門6 | 太鼓門7 | 太鼓門8 |
1,2枚目は太鼓門です。太鼓門・同南北続櫓・太鼓櫓・巽櫓は1つの防御単位を構成し、高さ約5mの石垣に一線に構築され、筒井門から本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えています。
3枚目は太鼓門と巽櫓同西塀の説明です。
4枚目は太鼓門を通ったところです。
2014/7/16 22:32 [951-5393]

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本壇1 | 本壇2 | 本壇3 | 本壇4 |
1枚目は本壇の説明です。
2枚目突き当りは紫竹門東塀です。
3枚目石垣の上は左から一ノ門南櫓,一ノ門東塀,二ノ門南櫓です。
4枚目は入り口を写しました。
2014/7/17 22:11 [951-5398]

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本壇5 | 本壇6 | 本壇7 | 本壇8 |
1枚目は紫竹門東塀の説明です。
2,3枚目は大天守が正面に見えます。大天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。手前の石垣の上は筋鉄門東塀です。
4枚目は右に一ノ門があります。一ノ門の向こうは三ノ門南櫓です。
2014/7/17 23:33 [951-5399]

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本壇9 | 本壇10 | 本壇11 | 本壇12 |
1枚目は一ノ門です。一ノ門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪放な構えとなっています。形式は上方からの攻撃が容易な高麗門で、二ノ門との間は枡形という方形空間となっていて小天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の四方から攻撃できます。
2枚目は一ノ門を通ったところです。突き当りは二ノ門南櫓です。
3,4枚目は一ノ門です。向こうは小天守です。小天守は、二重櫓、小天守東櫓とも呼ばれ、大手(正面)の二之丸・三之丸方面を監視防衛する重要な位置にあります。大天守、小天守、隅櫓を渡櫓で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式天守を備えた城郭といわれています。
2014/7/18 19:00 [951-5400]



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本壇20 | 本壇21 | 本壇22 |
1枚目は仕切門です。
2枚目は本壇北側の塀です。
3枚目は天神櫓です。卯歳櫓、東隅櫓とも呼ばれ具足櫓でありましたが、後に本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祭ったのでこの名称です。全国的にあまり例のない寺社建築の正面扉(しとみど)を有する櫓となっています。
2014/7/18 22:21 [951-5403]


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本壇27 | 本壇28 | 本壇29 | 本壇30 |
1枚目は筋鉄門です。
2枚目は三ノ門東塀です。右は三ノ門南櫓です。
3枚目は筋鉄門東塀です。
4枚目は筋鉄門です。筋鉄門(すじがねもん)は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と大天守のをつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。
2014/7/24 19:02 [951-5405]


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本壇35 | 本壇36 |
筋鉄門を通って中庭の天守広場を写しました。
1枚目真ん中は南隅櫓です。左は多聞櫓から小天守です。右は十間廊下です。
2枚目左は十間廊下で真ん中は北隅櫓でその前は玄関多聞です。
2014/7/24 20:12 [951-5407]

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本壇37 | 本壇38 | 本壇39 |
天守広場を写しました。
1枚目左は玄関多聞で右は大天守です。
2,3枚目は大天守と筋鉄門です。大天守は「現存12天守」の中で、唯一、築城主として瓦には葵の御紋が付されています。大天守、小天守、隅櫓を渡櫓で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式天守を備えた城郭といわれている。
大天守の全高は、本壇から20m(しゃちほこの高さを入れると21.3m)。本壇は本丸から8.3mの高さがあり、本丸の標高は約132mであることから、大天守の標高は約161mあることになります。これは「現存12天守」の平山城の中では最も高い城郭です。山の高さは、同じ平山城である姫路城の約3倍の高さです。
連立式天守とは城郭の象徴である天守の構成分類の一つで、大天守・小天守・櫓を四方に配置し、多聞(たもん)櫓(長屋形式の櫓)でつなぐ形式をいいます。建物で仕切られた天守広場ができるのが特徴で、厳重な防備手法であるため天守防衛の究極の姿であるとも言われており、「現存12天守」の中では、姫路城と同じ構成となっています。
2014/7/24 21:37 [951-5408]

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天守入口1 | 天守入口2 | 天守入口3 | 天守入口4 |
1枚目は天守入口です。
2枚目は入ったところは地下1階で下駄箱があります。スリッパに履き替えます。
3枚目は1階に上がる階段です。
4枚目は階段を上がったところです。
2014/7/24 22:40 [951-5409]


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北隅櫓3 | 北隅櫓4 | 北隅櫓5 | 北隅櫓6 |
1枚目は玄関多聞の天守広場に下りるところです。
2枚目向こうは北隅櫓です。
3枚目は大天守から来た階段です。
4枚目は北隅櫓です。
2014/7/25 20:51 [951-5412]


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北隅櫓11 | 北隅櫓12 | 北隅櫓13 | 北隅櫓14 |
北隅櫓の2階から天守広場を写しました。
1枚目は大天守です。
2枚目真ん中は玄関多聞の屋根です。
3枚目は小天守です。
4枚目右は十間廊下から南隅櫓です。
2014/7/25 23:15 [951-5414]

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小天守1 | 小天守2 | 小天守3 | 小天守4 |
1枚目は南隅櫓から多聞櫓と小天守の方を写しました。
2,3枚目は多聞櫓の展示物です。
4枚目は廊下の階段を上がって小天守の方に行きます。
2014/7/29 19:00 [951-5420]



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小天守19 | 小天守20 | 小天守21 | 小天守22 |
1,2,3枚目は小天守の2階から大天守と一ノ門からの通路を写しました。
4枚目は小天守から大天守に行く廊下です。
2014/7/31 19:02 [951-5425]


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天守5 | 天守6 | 天守7 | 天守8 |
1枚目は大天守の中にある畳敷きの部屋です。
2枚目は大天守の展示物です。
3枚目は甲冑装着体験ができる部屋です。
4枚目は大天守の南側にある2階に上がる階段です。
2014/7/31 20:27 [951-5427]





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