
縁側をご利用いただく際のルール&マナー集を用意いたしました
ユーザーの皆様に楽しくご参加いただけるよう、主に投稿時の注意点などをまとめています。
ご投稿の前には必ずご一読をお願いいたします。詳しくはこちら⇒「縁側 ルール&マナー」
紹介文
私は乗り物が好きで趣味でいろんな所に旅行に行って、目に留まった物の写真を撮っています。
主にコンデジで撮った観光地や風景の記録目的のスナップ写真をアップしていきます。
旅行日と地域毎に一つのスレにまとめ、スレのタグは都道府県名にしていきます。
現在写真のアップに忙しく返信する時間がないのでしばらく運営者のみ投稿可にしておきます。




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東大寺南側の参道12 | 東大寺南側の参道13 | 東大寺南側の参道14 | 東大寺南側の参道15 |
吉城川を渡ると南大門(国宝)があります。
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。
2014/2/21 22:57 [951-4516]


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東大寺南側の参道20 | 東大寺南側の参道21 | 東大寺南側の参道22 | 東大寺南側の参道23 |
仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。
2014/2/24 19:06 [951-4518]

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東大寺南側の参道33 | 東大寺南側の参道34 | 東大寺南側の参道35 | 東大寺南側の参道36 |
1枚目は南大門から北方向の参道を写しました。金堂(大仏殿)の屋根が見えています。
2,3枚目は左に東大寺ミュージアムがある東大寺総合文化センターがあります。
4枚目は右の東大寺寺務所(旧東南院)と本坊経庫があるところです。
2014/2/24 21:22 [951-4522]

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東大寺南側の参道37 | 東大寺南側の参道38 | 東大寺南側の参道39 | 東大寺南側の参道40 |
1枚目は南大門です。
2枚目は二月堂参詣道です。
3枚目は中門です。
4枚目は鏡池です。
2014/2/24 22:04 [951-4523]


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東大寺1 | 東大寺2 | 東大寺3 | 東大寺4 |
東大寺は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。
金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。
奈良時代には中心堂宇の金堂(大仏殿)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。
重要文化財の中門です。金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。享保元年(1716年)ごろの再建。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。
2014/2/24 23:06 [951-4525]

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東大寺5 | 東大寺6 | 東大寺7 | 東大寺8 |
1枚目は中門の中央です。
2枚目は中門中央から金堂(大仏殿)を写しました。
3枚目は中門中央から南の南大門の方を写しました。
4枚目は中門中央から西の方にある大仏殿入堂口です。出口は東の方にあります。
2014/2/24 23:43 [951-4526]

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東大寺13 | 東大寺14 | 東大寺15 |
1枚目は大仏殿入堂口を入ったところにあるチケット売り場です。
2枚目は中門の方に行く廻廊の途中にゲートがあります。
3枚目は廻廊の途中から金堂(大仏殿)を写しました。
2014/2/25 19:26 [951-4528]

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東大寺16 | 東大寺17 | 東大寺18 | 東大寺19 |
1,2,3枚目は廻廊に囲われた金堂(大仏殿)前の芝生の庭です。
4枚目は中門の前から金堂(大仏殿)を写しました。
2014/2/25 20:09 [951-4529]


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東大寺24 | 東大寺25 | 東大寺26 | 東大寺27 |
1枚目は金銅八角燈籠(国宝)です。大仏殿の正面に立つ燈籠。総高464センチ。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。火袋羽目板4面には楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)像を鋳出する。4面の羽目板のうち西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカである。
2,3,4枚目は国宝の金堂(大仏殿)です。創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。そのため、創建時に11間(けん、86m)あったが7間(57m)となった。現在でも世界最大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。 毎年、大晦日から元旦に正面唐破風(からはふ)下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができる。
2014/2/25 21:14 [951-4531]



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東大寺38 | 東大寺39 | 東大寺40 |
1,2枚目は蓮弁です。本尊の盧舎那仏(大仏)の台座には28枚の蓮弁がある。その一つ一つには、釈迦像・蓮華蔵世界・諸天界・須弥山世界が毛彫りされている。
3枚目は出口の方を写しました。
2014/2/26 18:50 [951-4535]


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東大寺61 | 東大寺62 | 東大寺63 | 東大寺64 |
創建当初の伽藍の1/50の模型です。東西に七重塔があります。東塔跡・西塔跡共に土壇が残るのみで、礎石は持ち去られて残っていない。『東大寺要録』には天平勝宝5年(753年)完成とあるが、天平宝字8年(764年)に塔の露盤を上げたとの記録もあり、このころの完成とみられる。塔は治承4年(1180年)の兵火で焼失。その後復興され、安貞元年(1227年)に完成するが、康安2年(1362年)に落雷で再び焼け、以後は再建されなかった。
2014/2/27 18:53 [951-4542]

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東大寺65 | 東大寺66 | 東大寺67 | 東大寺68 |
1,2枚目は創建当初の伽藍の1/50の模型です。
3枚目は大仏殿鎌倉期再建時の模型です。
4枚目は大仏殿江戸期再建時の模型です。
2014/2/27 19:26 [951-4543]

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東大寺75 | 東大寺76 | 東大寺77 | 東大寺78 |
1,2枚目は大仏殿の北側中央から大仏殿の中を写しました。
3,4枚目は大仏殿の北東角です。持国天像と増長天像の頭部があります。
2014/2/27 21:05 [951-4546]

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東大寺79 | 東大寺80 | 東大寺81 | 東大寺82 |
1,2枚目は大仏殿の北東角から大仏殿の中を写しました。
3,4枚目は大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が開いている柱くぐりです。順番待ちの人を列に並べるロープがあります。
2014/2/27 21:48 [951-4547]





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東大寺110 | 東大寺111 | 東大寺112 | 東大寺113 |
1枚目は出口を出て大仏殿の入り口の前で写しました。
2,3枚目は出口の東側にある賓頭蘆尊者(びんずるそんじゃ)です。博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢果を得て神通力を得た。白髪長眉の相があったといわれる。彼の説法が他の異論反論を許さずライオンのようであったため獅子吼第一といわれるようになった。賓頭盧は十六羅漢の第一に挙げられ、1000人の阿羅漢を所属し、西瞿耶尼州(西ゴーヤニーヤ州)に住すといわれる。日本ではこの像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされる。
4枚目は大仏殿南東角の屋根です。
2014/2/28 21:44 [951-4556]



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東大寺122 | 東大寺123 | 東大寺124 | 東大寺125 |
1枚目は東回廊の向こうにある相輪です。1970年大阪で開催された日本万国博覧会の古河パビリオンで東大寺七重塔の外観が再現された。パビリオンは博覧会終了後取り壊されたが、相輪のみが保存され、大仏殿回廊の東側に建てられている。
2枚目は大仏殿です。
3枚目は西廻廊です。
4枚目は大仏殿の西の廻廊です。
2014/2/28 23:51 [951-4559]




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