
縁側をご利用いただく際のルール&マナー集を用意いたしました
ユーザーの皆様に楽しくご参加いただけるよう、主に投稿時の注意点などをまとめています。
ご投稿の前には必ずご一読をお願いいたします。詳しくはこちら⇒「縁側 ルール&マナー」
紹介文
私は乗り物が好きで趣味でいろんな所に旅行に行って、目に留まった物の写真を撮っています。
主にコンデジで撮った観光地や風景の記録目的のスナップ写真をアップしていきます。
旅行日と地域毎に一つのスレにまとめ、スレのタグは都道府県名にしていきます。
現在写真のアップに忙しく返信する時間がないのでしばらく運営者のみ投稿可にしておきます。

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毛越寺庭園近道1 | 毛越寺庭園近道2 | 毛越寺庭園近道3 | 毛越寺庭園近道4 |
中尊寺から毛越寺に歩いて行きます。
1,2枚目は国道4号線花舘交差点から毛越寺に行く近道に入ったところです。
3枚目毛越寺まで1kmの標識があります。
4枚目は途中右側にある平泉文化遺産センターです。平泉に関連する歴史や発掘調査資料、また、歴史全般や世界遺産にかかわる資料を自由に閲覧することができます。遺物も展示されているそうです。
2013/5/25 21:25 [951-3254]

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毛越寺庭園近道5 | 毛越寺庭園近道6 | 毛越寺庭園近道7 |
1,2枚目は途中左側にある熊野三社です。藤原清衡が平泉鎮護の神として五方鎮守総社を建立し、その中の北方鎮護として設置されました。
3枚目はその先の左側にある池です。
2013/5/25 21:48 [951-3255]

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毛越寺庭園近道8 | 毛越寺庭園近道9 | 毛越寺庭園近道10 |
1枚目は道の途中にある道標です。
2枚目は道の突き当りで左を写しました。平泉駅まで500mです。
3枚目は道の突き当りで右を写しました。毛越寺の入り口が見えています。
2013/5/25 22:10 [951-3256]



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毛越寺1 | 毛越寺2 | 毛越寺3 | 毛越寺4 |
1枚目は毛越寺の入り口の前にきました。
2,3枚目は毛越寺の入り口の前の道路です。
4枚目は毛越寺の入り口の前の木です。
2013/5/25 23:26 [951-3259]

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毛越寺5 | 毛越寺6 | 毛越寺7 | 毛越寺8 |
白鹿伝説:寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊の折、この地にさしかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。
ふと足元を見ると地面に白鹿の毛が点々と落ちているので、大師は不思議に思いその毛を辿ってゆくと、前方に白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿の姿は霧のなかへ消え、やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。これは毛越寺の開山にまつわる話です。
寺名の読み:毛越寺はモウツウジと読みます。通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。従ってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したものです。
建立:毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
1枚目は毛越寺の入り口の前にある説明です。
2,3枚目は毛越寺の入り口の前の広場です。
4枚目は毛越寺の入り口です。
2013/5/26 00:02 [951-3260]

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毛越寺9 | 毛越寺10 | 毛越寺11 | 毛越寺12 |
1枚目は毛越寺の入り口を入って写しました。
2枚目は手水舎です。
3枚目は毛越寺宝物舘です。毛越寺一山に伝わる平安期の仏像、書籍、工芸品、発掘遺品、調査資料、延年の舞用具などを陳列しています。
4枚目真ん中は本堂です。
2013/5/26 19:14 [951-3261]

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毛越寺13 | 毛越寺14 | 毛越寺15 |
1枚目は毛越寺伽藍復原図です。毛越寺境内は昭和29年から5ヶ年間にわたって全面的に発掘され、その規模などほぼ全容があきらかにされました。その調査結果は、吾妻鏡などの古記録とも合致するものでした。伽藍復原図は、この発掘調査の資料をもとに画かれたものです。
2,3枚目は南大門跡です。『吾妻鏡』に出てくる「二階惣門」にあたり、桁行(けたゆき・横、東西)三間(ま)、梁行(はりゆき・縦、南北)二間(ま)の平面形式をもち、現在でも12個の礎石が整然と並んでいます。基壇構築のためその周囲に堰板を使う工法「版築(はんちく)」は、中国のみならずわが国でも古くから基壇・土塁・築垣(つがき)に用いられましたが、堰板を止めた柱まで発見されたのは、毛越寺の南大門跡と講堂跡が最初です。 南大門(南向き)の東に続いて、築垣、犬走り、溝が発見されました。築垣基底部の幅は10尺以上、築垣の外側(南)にある犬走りの幅も八尺以上と推定され、犬走りのさらに外側にある溝は6尺ほどです。この場合の築垣は高さ1丈程度(約3メートル)の、むしろ土塁というべきものであったと思われます。 検出された築垣、犬走り、溝の三者が創建当時から揃っていたとすると、それは延喜式その他に見られる平安京の宮城の周囲や大路の両側の状況に似たもので、規模もそれに優るとも劣らないものでした。飛鳥寺、四天王寺、薬師寺などの発掘例からみても、築垣、犬走り、溝の三者を合わせ備える遺跡は今のところ毛越寺だけで、しかもそれが破格の規模であったことに、この寺の特異性があると言われています。
2013/5/26 19:42 [951-3262]

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毛越寺16 | 毛越寺17 | 毛越寺18 |
「特別史跡」・「特別名勝」と、その文化価値を国から二重に指定されている毛越寺。北に、塔山と呼ばれる小山を背景に、広々とした苑地美観が展覧する。杉並み松陰を大泉が池の水面に映して、雄壮な石組みの築山、出島の立石・伏石と、平安時代の優美な作庭造園の形状を如実にとどめている。日本庭園史上にも特に貴重な遺構として調査の上、旧観に復された。
庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。池のほぼ中央部に東西約70メートル、南北約30メートル、勾玉状の中島があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。昔は南大門前から中島南まで17間の反橋、金堂側から中島北まで10間の斜橋がかかっていたと古記録に記されています。橋の四隅に据えられた橋挟石や南の反橋の橋杭は残存しています。また直径27センチの大面取の橋杭は二本だけ抜き取られて、宝物館に陳列されています。これは橋の遺構としては、わが国最古のものとされます。
南大門跡の前から池を写しました。
2013/5/26 20:12 [951-3263]

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毛越寺19 | 毛越寺20 | 毛越寺21 |
仏の世界すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園・・・。大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとをかざる橋引石、枯山水風の築山、遺水などの石組を配し、この景観は平安時代に書かれた日本最古の庭園書である作庭記に基づいて作られてた学術的にも貴重な庭園です。800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。
南大門跡の前から池を写しました。
2013/5/26 20:46 [951-3264]

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毛越寺22 | 毛越寺23 | 毛越寺24 | 毛越寺25 |
1枚目は池の向こうの嘉祥寺跡です。
2枚目は池の向こうの金堂円隆寺跡です。
3枚目は池の向こうの鐘楼跡です。
4枚目は池の中の立石です。
2013/5/26 21:19 [951-3265]

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毛越寺26 | 毛越寺27 | 毛越寺28 |
本堂です。毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立されました。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。
2013/5/26 21:48 [951-3266]


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毛越寺33 | 毛越寺34 | 毛越寺35 | 毛越寺36 |
1,2枚目は築山です。大泉ヶ池の南西の隅、南大門の西寄りに築山があります。池水面より約4メートルほどの高さがあり。水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、岩山の姿を造り出しています。深い淵に臨む断崖の景観を思わせ、『作庭記』に記されている「枯山水の様」の実例と考えられています。
3,4枚目は築山の前から前後の道を写しました。
2013/5/26 23:16 [951-3268]

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毛越寺40 | 毛越寺41 | 毛越寺42 | 毛越寺43 |
1,2,3枚目は開山堂です。毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂です。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。
4枚目は開山堂の前から池の方を写しました。
2013/5/27 18:58 [951-3270]

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毛越寺44 | 毛越寺45 | 毛越寺46 | 毛越寺47 |
1,2,3枚目は北の方に行くと嘉祥寺跡があります。金堂円隆寺の西に、杉並木に囲まれてほぼ円隆寺と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来嘉祥寺跡として言い伝えられてきました。嘉祥寺は『吾妻鏡』にある嘉勝寺に相当します。この堂跡は金堂円隆寺とほとんど同規模の上に、同規模同形式の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であったことがわかります。慈覚大師創設とする寺伝はともかく、少なくとも基衡の円隆寺建立以前から嘉祥寺が存在していたといわれる所以です。
4枚目は嘉祥寺跡から開山堂を写しました。
2013/5/27 19:37 [951-3271]

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毛越寺52 | 毛越寺53 | 毛越寺54 | 毛越寺55 |
嘉祥寺跡から東の方に行きました。講堂跡があります。基衡が建立したと言われ、『吾妻鏡』の文治5年9月17日条の平泉寺塔以下注文にも記されている建物です。今、講堂跡と伝えられる遺跡は、大泉池の北方、金堂円隆寺跡の西北方、嘉祥寺跡の東北方にあって、東西約83尺、南北約80尺のほぼ方形の土壇です。壇上には十数個の礎石があり、土壇中央部のやや北寄りには仏壇跡と思われる小高い土の隆起があります。この基壇上に建てられていた堂は、前面の庇柱筋が金堂円隆寺の北面の柱筋とほぼ一直線上にあり、講堂が金堂と密接な関係を持っていたことがわかります。金堂と一体的に計画され造営されたものと考えられます。
2013/5/27 20:40 [951-3273]

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毛越寺59 | 毛越寺60 | 毛越寺61 |
1枚目は金堂円隆寺跡です。基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の丈六の薬師如来でした。毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼(しゅろう)が、西廊先端には経楼(きょうろう)が附属していました。基壇は石造り壇上積です
2,3枚目は金堂円隆寺跡の東側です。
2013/5/27 21:47 [951-3275]

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毛越寺65 | 毛越寺66 | 毛越寺67 |
1枚目は鐘楼跡です。金堂東廊の南端に連なる建物で、雨落溝が土壇をめぐり、その水は池に注ぐように造られています。
2,3枚目は鐘楼跡から池を写しました。
2013/5/27 22:47 [951-3277]

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毛越寺80 | 毛越寺81 | 毛越寺82 |
常行堂です。現常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています。摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。
2013/5/28 20:31 [951-3282]

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毛越寺85 | 毛越寺86 | 毛越寺87 | 毛越寺88 |
常行堂の西側に遣水があります。池の東北側にある遣水は、池に水を引き入れるためと造られたものです。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものです。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。
2013/5/28 21:50 [951-3284]

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毛越寺89 | 毛越寺90 | 毛越寺91 | 毛越寺92 |
1,2枚目は常行堂です。
3,4枚目は常行堂・法華堂跡です。
法華堂跡と伝えられる遺跡は寺域の東北隅部にあって、南北約五十尺、東西約50尺の広さの方形土壇です。土壇には23個もの残存礎石があり、周辺の玉石敷面より1.5尺ほど高かったと思われます。発掘調査により、法華堂と常行堂はそれらを結ぶ渡廊とともに、一体として計画され建築され、ある時期まで並存したと考えられています。
法華堂跡と伝えられる土壇の西方、40尺内外さきに、方五間茅葺方形造の常行堂が南に面してあります。この建物は享保年間に建築されたものですが、創建以来同じ位置にあるものと考えられてきましたが、発掘調査によって常行堂跡が現行の常行堂の位置とは違うことが明らかになりました。今、常行堂跡と呼ばれる遺跡は、法華堂跡土壇の南方約30尺にある土壇です。発掘調査時には大変に保存状態が悪く、残存している礎石もありませんでした。
2013/5/28 22:30 [951-3285]


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毛越寺111 | 毛越寺112 | 毛越寺113 | 毛越寺114 |
洲浜です。池の東南隅に築山と対照的に造られた洲浜は、砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、美しい海岸線を表しています。他に比べて池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じて現れるゆったりした姿を眺めることができます。
2013/5/29 21:48 [951-3292]

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毛越寺119 | 毛越寺120 | 毛越寺121 |
1枚目は毛越寺の入り口横です。
2,3枚目は出島石組と池中立石の方に行きました。毛越寺大泉が池のなかでも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つです。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。
2013/5/29 23:03 [951-3294]


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平泉駅までの道4 | 平泉駅までの道5 | 平泉駅までの道6 | 平泉駅までの道7 |
1,2,3枚目は毛越寺口交差点です。左に行くと中尊寺に行きます。
4枚目は平泉駅前の交差点です。
2013/5/30 20:44 [951-3299]

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平泉駅1 | 平泉駅2 | 平泉駅3 | 平泉駅4 |
1枚目は平泉駅の駅舎です。
2,3枚目は平泉駅のホームから線路を写しました。
4枚目はこの臨時電車に乗って一ノ関駅まで行きます。
2013/5/30 21:16 [951-3300]

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東北本線の電車1 | 東北本線の電車2 | 東北本線の電車3 |
臨時電車の「ジパング」車両の2号車自由席の座席と車内です。新幹線の車両のように綺麗です。1号車・4号車は指定席で車内は座席が窓向きになっています。
2013/5/30 21:53 [951-3301]

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東北本線の電車4 | 東北本線の電車5 |
走行中の電車の窓から外を写しました。
1枚目は北上川の前の土手です。
2枚目は一ノ関駅手前の磐井川です。向こうに東北新幹線の高架が見えます。
2013/5/30 22:16 [951-3302]


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一ノ関駅1 | 一ノ関駅2 | 一ノ関駅3 | 一ノ関駅4 |
1枚目は一ノ関駅の駅舎内です。左側は新幹線の改札口です。真ん中の通路は在来線の乗り換えと西口出口の通路です。通路の右にはゴールデンウィークに合わせて臨時観光案内所があります。
2,3枚目は東口通路です。
4枚目は東口を出て駅舎を写しましたが、東口には何もありません。
2013/5/30 23:16 [951-3304]

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一ノ関駅5 | 一ノ関駅6 | 一ノ関駅7 | 一ノ関駅8 |
1枚目は新幹線の改札口です。
2,3,4枚目は新幹線改札口を通ったところで写しました。中尊寺金色堂が撮影できなかったのは残念です。
2013/5/30 23:40 [951-3305]

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一ノ関駅9 | 一ノ関駅10 | 一ノ関駅11 | 一ノ関駅12 |
1,2枚目は一ノ関駅の新幹線ホームで線路を写しました。
3,4枚目は新幹線ホームから東側の景色を写しました。
2013/5/31 18:42 [951-3306]



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