
縁側をご利用いただく際のルール&マナー集を用意いたしました
ユーザーの皆様に楽しくご参加いただけるよう、主に投稿時の注意点などをまとめています。
ご投稿の前には必ずご一読をお願いいたします。詳しくはこちら⇒「縁側 ルール&マナー」
紹介文
私は乗り物が好きで趣味でいろんな所に旅行に行って、目に留まった物の写真を撮っています。
主にコンデジで撮った観光地や風景の記録目的のスナップ写真をアップしていきます。
旅行日と地域毎に一つのスレにまとめ、スレのタグは都道府県名にしていきます。
現在写真のアップに忙しく返信する時間がないのでしばらく運営者のみ投稿可にしておきます。

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中央通り1 | 中央通り2 | 中央通り3 |
中央通りは、仙台市青葉区一番町3丁目の東一番丁通りとの交点(一番町アーケード大町広場)から、同区中央1丁目の駅前通りとの交点まで至る道路の通称である。全区間が歩行者専用道路であり、アーケードを備える。一番町や仙台駅西口周辺と並んで、仙台市都心部における中心部商店街の1つとなっている。仙台七夕まつりの際のメインストリートの1つ。東一番丁から東二番丁からまでがマーブルロードおおまち、東二番丁から東四番丁の少し東の四ツ谷用水跡までがクリスロード、四ツ谷用水跡から駅前通りまでがハピナ名掛丁と呼ばれています。
1,2枚目は宿泊したホテルの入り口です。中央通りのクリスロードの中にあります。
3枚目はホテルの入り口の前からクリスロードの西方向を写しました。
2013/5/17 20:02 [951-3187]

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中央通り4 | 中央通り5 | 中央通り6 | 中央通り7 |
1枚目はホテルの入り口の前から東に行ったところで東方向のクリスロードを写しました。
2枚目はホテルの入り口の前から東に行ったところで西方向のクリスロードを写しました。
3枚目はクリスロードが愛宕上杉通りと交わるところです。
4枚目はクリスロードの東の先のハピナ名掛丁のアーケードです。
2013/5/17 20:38 [951-3188]

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中央通り8 | 中央通り9 | 中央通り10 | 中央通り11 |
1枚目はハピナ名掛丁のアーケードに入って西方向を写しました。
2枚目はハピナ名掛丁のアーケードに入って東方向を写しました。
3枚目はハピナ名掛丁のアーケードが駅前通りと交わるところです。
4枚目は駅前通りを渡ってハピナ名掛丁を写しました。
2013/5/17 21:03 [951-3189]

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仙台駅1 | 仙台駅2 | 仙台駅3 | 仙台駅4 |
1,2枚目はハピナ名掛丁のアーケードの東端を出て仙台駅の西口ペデストリアンデッキに上がって写しました。
3,4枚目は仙台駅の駅舎の前で写しました。
2013/5/17 21:36 [951-3190]

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仙台駅5 | 仙台駅6 | 仙台駅7 | 仙台駅8 |
1,2枚目は仙台駅3階の新幹線改札口です。
3,4枚目は仙台駅3階の新幹線改札口の前を写しました。2階に下りる階段があります。
2013/5/17 22:03 [951-3191]

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仙台駅9 | 仙台駅10 | 仙台駅11 |
1枚目は仙台駅3階の新幹線改札口を通って東側に行き北方向を写しました。下は東北本線の線路です。
2,3枚目は仙台駅の東側です。西に行く道路の地下に仙石線が走っています。
2013/5/17 22:44 [951-3192]

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仙台駅12 | 仙台駅13 | 仙台駅14 |
1枚目は仙台駅のホームに止まっている新幹線E2系電車です。
2,3枚目は仙台駅のホームに止まっている新幹線E6系電車です。
2013/5/17 23:09 [951-3193]

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仙台駅15 | 仙台駅16 | 仙台駅17 | 仙台駅18 |
1,2枚目は仙台駅のホームに止まっている新幹線E6系電車です。
3,4枚目は新幹線E2系電車のはやて101号に乗って車内を写しました。はやては東北新幹線の最速達列車の設定で自由席がなく全席指定なので事前に指定席券を購入しました。但し、はやて101号は各駅停車の盛岡行です。仙台駅から古川駅・くりこま高原駅の次の一ノ関駅まで行きます。
2013/5/17 23:42 [951-3194]

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走行中の新幹線の車窓風景1 | 走行中の新幹線の車窓風景2 | 走行中の新幹線の車窓風景3 |
1枚目は仙台駅を出たところです。
2枚目は鳴瀬川を渡るところです。
3枚目は走行中の景色です。
2013/5/18 19:21 [951-3195]


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一ノ関駅1 | 一ノ関駅2 | 一ノ関駅3 | 一ノ関駅4 |
1,2枚目は一ノ関駅の新幹線ホームから在来線のホームに行く跨線橋から線路を写しました。尚、駅名について市名は一関ですが駅名は「一ノ関」でカタカナの「ノ」が入っています。
3枚目は大船渡線の電車です。一ノ関駅で新幹線を降りた人の多くがこの電車に乗っているようでした。
4枚目は東北本線の平泉カラーの電車で左端の赤と緑は仙台カラーです。
2013/5/18 20:13 [951-3197]

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一ノ関駅5 | 一ノ関駅6 | 一ノ関駅7 | 一ノ関駅8 |
1,2枚目はこれからのゴールデンウィークに合わせてでしょうか東北本線の臨時電車が運行されていました。この電車で平泉駅まで行きます。
3,4枚目は電車に乗って車内を写しました。この日は電車で平泉に行く人は少ないようです。
2013/5/18 20:39 [951-3198]


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国道4号線1 | 国道4号線2 | 国道4号線3 |
1枚目は平泉駅前の毛越寺口の交差点です。真っ直ぐ行くと毛越寺に行きます。
2,3枚目は毛越寺口の交差点を右に曲がり国道4号線を写しました。平泉駅から中尊寺の交差点まで約1.6kmの道を歩いて行きます。
2013/5/18 22:08 [951-3201]



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国道4号線11 | 国道4号線12 | 国道4号線13 | 国道4号線14 |
1,2枚目は花立交差点です。ここを左に行くと毛越寺に行きます。
3枚目は花舘のバス停です。
4枚目は中尊寺の交差点が見えてきました。
2013/5/18 23:37 [951-3204]

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国道4号線15 | 国道4号線16 | 国道4号線17 | 国道4号線18 |
1,2枚目は中尊寺の交差点の手前です。バス停があります。
3枚目は中尊寺の交差点の手前で写しました。
4枚目は中尊寺の交差点です。
2013/5/19 00:10 [951-3205]

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中尊寺1 | 中尊寺2 | 中尊寺3 |
中尊寺は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。 奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。 「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして世界遺産に登録されており、「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。
1枚目は中尊寺の交差点前にある案内所です。
2,3枚目は中尊寺の表参道の月見坂入り口です。ここから本堂まで560m、金色堂まで800mあります。
2013/5/19 19:34 [951-3206]

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中尊寺4 | 中尊寺5 | 中尊寺6 | 中尊寺7 |
月見坂です。中尊寺の表参道を月見坂といいます。道の両側には、江戸時代に平泉を治めていた伊達藩によって植樹された樹齢300から400年ほどの杉の並木が続き、歴史の長さを物語ってくれます。
2013/5/19 19:56 [951-3207]

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中尊寺8 | 中尊寺9 | 中尊寺10 | 中尊寺11 |
1枚目は月見坂の途中から左の道に入るところです。
2,3枚目は脇道に入ったところで写しました。
4枚目は八幡堂(はちまんどう)です。
2013/5/19 20:21 [951-3208]


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中尊寺16 | 中尊寺17 | 中尊寺18 | 中尊寺19 |
1枚目は総門跡の先にあるお店です。
2枚目は左に弁慶堂(べんけいどう)に行く道があります。
3枚目は道端に置いている石の鳥居です。以前はここに立っていたようです。
4枚目は弁慶堂です。
2013/5/19 21:13 [951-3210]

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中尊寺20 | 中尊寺21 | 中尊寺22 | 中尊寺23 |
弁慶堂は文政9年(1826年)に再建されたもの。藤原時代五方鎮守のため、火伏の神として本尊軍地蔵菩薩を杞愛宕宮と称した傍に義経と弁慶の木造を安置したことから弁慶堂と呼ばれるようになった。
2013/5/19 21:38 [951-3211]

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中尊寺28 | 中尊寺29 |
弁慶堂の横に東物見の見晴らしのいい場所があります。左から右に衣川、縦にJR東北本線と国道4号線バイパス、そして右側が北上川です。
源義経が最後をむかえた「衣川の戦い」の跡地付近を望む事ができます。藤原秀衡は関東以西を制覇した頼朝の勢力が奥州に及ぶことを警戒し、義経を将軍に立てて鎌倉に対抗しようとしたが、文治3年(1187年)10月29日に病没した。頼朝は秀衡の死を受けて後を継いだ藤原泰衡に、義経を捕縛するよう朝廷を通じて強く圧力をかけた。泰衡は再三の鎌倉の圧力に屈して、「義経の指図を仰げ」という父の遺言を破り、閏4月30日、500騎の兵をもって10数騎の義経主従を藤原基成の衣川館に襲った。義経の郎党たちは防戦したが、ことごとく討たれた。館を平泉の兵に囲まれた義経は、一切戦うことをせず持仏堂に篭り、まず正妻の郷御前と4歳の女子を殺害した後、自害して果てた。享年31であった。
2013/5/19 22:54 [951-3213]


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中尊寺37 | 中尊寺38 | 中尊寺39 | 中尊寺40 |
1枚目は月見坂から右に行く道です。
2,3枚目は月見坂の左にある薬師堂です。薬師堂は明暦3年(1657年)に他所にあったものを移したもので、堂内には慈覚大師作と伝えられる薬師如来、脇侍として日光菩薩、月光菩薩が安置されている。
4枚目は薬師堂の先の月見坂の右側です。
2013/5/20 19:01 [951-3216]

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中尊寺41 | 中尊寺42 | 中尊寺43 | 中尊寺44 |
1,2枚目は月見坂です。左に観音堂右に本堂の入り口が見えてきました。
3枚目は観音堂です。観世音菩薩の像を安置している堂です。
4枚目は本堂入り口の前から月見坂の先を写しました。
2013/5/20 19:34 [951-3217]

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中尊寺45 | 中尊寺46 | 中尊寺47 | 中尊寺48 |
中尊寺本堂の門です。
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17カ院の支院(塔頭、大寺の中にある小院)で構成されている一山寺院です。本堂は、一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で、一山20〜23名ほどの僧侶が総出仕して勤められます。
ご本尊は阿弥陀如来。本尊の両脇にある灯籠は「不滅の法灯」といわれる、宗祖伝教大師最澄が点して以来消えたことがない天台宗の象徴的な灯で、総本山延暦寺から分けていただき護持しています。
中尊寺の寺格は別格大寺、東北大本山の称号を許されています。
2013/5/20 20:02 [951-3218]




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中尊寺69 | 中尊寺70 | 中尊寺71 | 中尊寺72 |
1,2枚目は不動堂です。本堂から金色堂に向かう途中にある不動堂は、中尊寺の祈祷道場です。
ご本尊の不動明王は、右手に宝剣(剣)を持ち、どんな邪悪をも切って破る。しかし、左手の羂索(ロープ)は救いを求める人を搦めてすくい上げてくださる、そういう姿を示しています。この世に生きる私たちの過ちを直し、苦悩を取り除いてくれるご尊体です。
3枚目は峯薬師堂です。札所が右にあります。
4枚目は峯薬師堂前の白い池です。
2013/5/20 23:13 [951-3225]

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中尊寺76 | 中尊寺77 | 中尊寺78 |
1,2枚目は峯薬師堂です。
3枚目峯薬師堂の横は本堂御朱印所横の門とつながっています。真ん中の道の左は北参道になっています。
2013/5/23 19:16 [951-3227]

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中尊寺86 | 中尊寺87 | 中尊寺88 | 中尊寺89 |
1枚目は峯薬師堂です。
2枚目は月見坂の峯薬師堂を過ぎたところにある大日堂です。ご本尊は大日如来。諸仏・諸菩薩の根本仏といわれ、時と場所を越えその御姿を変えるといわれています。このお札所には、いろいろな願いに合わせた絵馬が置かれています。
3枚目は鐘楼です。参道から細長い鐘を見ることができます。県指定文化財であるこの梵鐘(ぼんしょう)は、余韻が長く赴きある音を持っていると言われています。しかし、長い歳月を経て鐘には窪みができ、今はこの音色を聞くことはありません。
4枚目は鐘楼の隣にある阿弥陀堂です。ご本尊は阿弥陀如来。そして向かって右に小槌を両手で高く掲げた大黒天。左に蔵王権現(ざおうごんげん)が安置されています。
2013/5/23 20:31 [951-3230]

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中尊寺93 | 中尊寺94 | 中尊寺95 | 中尊寺96 |
阿弥陀堂の向かいにある讃衡蔵(さんこうぞう)です。
讃衡蔵は中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝える宝物館として建設され、平成12年(2000)に新築されました。館名の讃衡蔵とは「奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業をたたえ(讃)る宝蔵」という意味です。現存する、3000点以上の国宝・重要文化財のほとんどがここに収蔵されており、仏像・経典・奥州藤原氏の副葬品など、貴重な文化財を拝観することができます。
収蔵されている中には、紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)というものがあります。これは中尊寺経とも呼ばれ、一行ずつ金字と銀字で交互に書写されているものになります。一切経とは、教(仏様の教えを書いたもの)・律(信者が守るべき規則)・論(仏様の教えを解釈したもの)からなる仏教のすべての事が書いてある書物になります。
金色堂の拝観券発行所もここにあります。中は撮影禁止なので写真はありません。
2013/5/23 21:34 [951-3232]

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中尊寺97 | 中尊寺98 | 中尊寺99 | 中尊寺100 |
金色堂です。尚、ここから金色堂には行けません。右の方に金色堂の入り口があります。観光バスの団体ツアー客がいます。
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の細工(螺鈿)、透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
仏像は、須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、その前に観音菩薩(向かって右)と勢至菩薩(向かって左)、左右に3体ずつ地蔵菩薩が1列に並び、最前列には持国天(向かって右)と増長天(向かって左)が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。
2013/5/23 22:01 [951-3233]

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中尊寺101 | 中尊寺102 | 中尊寺103 | 中尊寺104 |
1,2,3枚目は金色堂入り口の前から金色堂前の広場を写しました。
4枚目は金色堂の入り口です。
2013/5/23 22:24 [951-3234]

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中尊寺105 | 中尊寺106 | 中尊寺107 | 中尊寺108 |
金色堂の入り口を入って金色堂の方に行きます。金色堂入り口は向こう側でこちらは出口です。
4枚目は金色堂入り口の前にある石碑や地蔵です。
2013/5/23 22:48 [951-3235]

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中尊寺109 | 中尊寺110 | 中尊寺111 | 中尊寺112 |
1,2,3枚目は金色堂入り口の前にある石碑や地蔵です。
4枚目は金色堂入り口です。中は撮影禁止なので写真はありません。
2013/5/23 23:20 [951-3236]


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中尊寺117 | 中尊寺118 | 中尊寺119 | 中尊寺120 |
1,2枚目は経蔵(きょうぞう)です。ご本尊は騎師文殊菩薩(きしもんじゅぼさつ)及び四眷属(しけんぞく)です。こちらは、堂内具や紺紙金字一切経などの経典類が納められていた建物になります。
3,4枚目は経蔵から先に行く道です。
2013/5/24 19:05 [951-3238]


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中尊寺124 | 中尊寺125 | 中尊寺126 | 中尊寺127 |
金色堂旧覆堂です。
旧覆堂(きゅうおおいどう)は鎌倉幕府によって建てられたものが始まりで、現在の覆堂が出来るまで、長い間金色堂を風雪から護っていたお堂です。
2013/5/24 20:01 [951-3240]

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中尊寺128 | 中尊寺129 | 中尊寺130 | 中尊寺131 |
金色堂新覆堂の内部が撮影禁止だったので金色堂旧覆堂の内部は薄暗かったのですが時間をかけて写しました。
2013/5/24 20:27 [951-3241]



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中尊寺149 | 中尊寺150 | 中尊寺151 |
1枚目は下に下りて右方向を写しました。赤い鳥居があります。
2枚目は左方向で、こちらの方に行きました。
3枚目は能楽殿です。
2013/5/24 23:29 [951-3247]

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中尊寺152 | 中尊寺153 | 中尊寺154 | 中尊寺155 |
白山神社能楽殿です。現在の白山神社能楽殿は1853年に再建されたものですが、日本を代表する能舞台の遺構と言われていて、現在でも藤原まつりや中尊寺薪能では演能が行われています。能舞台の奥には鏡の松と呼ばれる絵が描かれていて、茅葺きの壮大な能舞台を引き立てています。
2013/5/24 23:52 [951-3248]

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中尊寺156 | 中尊寺157 | 中尊寺158 | 中尊寺159 |
白山神社です。白山神社は中尊寺の中にありますが、歴史は中尊寺より古く奥州藤原氏の初代、清衡公が平泉を開く遥か昔(850年)に中尊寺を開山した慈覚大師円仁によって、この地に祀られたとされ、その後藤原氏により、北方を鎮護する神として、中尊寺の本殿と共に崇められたと伝えられています。
2013/5/25 18:53 [951-3249]

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中尊寺160 | 中尊寺161 | 中尊寺162 | 中尊寺163 |
1枚目は来た道を戻って弁財天堂を写しました。弁財天堂は金色堂の丁度向い側にあたり、茅葺の寄棟造りの屋根で間口3間の建物です。弁財天を祀っている場所にふさわしく廻りを池で囲まれた小島の上に建立され、基礎束が高くなり湿気から護ると同時に印象深い容姿になっています。
2枚目は白山神社の鳥居です。
3枚目は金色堂の入り口です。
4枚目は弁財天堂の正面です。
2013/5/25 19:30 [951-3250]

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中尊寺167 | 中尊寺168 | 中尊寺169 | 中尊寺170 |
1,2枚目は帰りに讃衡蔵の前で月見坂を写しました。
3枚目は正午になりお坊さんが本堂の鐘を撞いているところです。
4枚目は月見坂が分岐しているところです。
2013/5/25 20:21 [951-3252]


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