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「縁側」-みんなが作る掲示板-からのお知らせ
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ぱしりです。新スレ立てました。過去スレはタグをくりっくですぅ。

2014/3/9 01:39  [76-2896]   

歴史番長&言うにゃ先輩

ジェヴォーダンの獣 おもろそうです。ありがとうございます。
宮崎駿監督がアニメ化するべきではなっしょか?藁

2014/3/9 01:42  [76-2897]   

こんばんわ。
古代史関係のコラムがありました。

「出雲」は消されたのか、「王国」は実在したのか…銅剣≠竍銅鐸≠ヘ現代に何を伝えているか
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/
news/140309/wlf14030919430010-n1.htm

特に目新しいことはないようです。

初期ヤマト政権の軍事拠点「黒山」の深い“記号性”
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/
news/140307/wlf14030716300038-n1.htm

2014/3/9 23:25  [76-2900]   

こんにちわ、今度は世界史のほうです。

ルドルフ・ヘス
http://engawa.kakaku.com/userbbs/76/
>イギリスへの飛行
>陰謀論

ルドルフ・フェルディナント・ヘス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E
3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83
%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%
E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%8
3%98%E3%82%B9

>通常はルドルフ・ヘスと表記されるが、ナチ副総統(総統代理)のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスとは血縁関係のない別人である。
>混同を避けるためにルドルフ・ヘースと表記されることもある。

個人的に面白いなと思っているのは、上のほうのヘスです。

2014/3/10 13:15  [76-2901]   

ありがとうございまっす。スレが盛り上がってまいりましたぁ!^o^

2014/3/10 21:45  [76-2902]   

けんけんRXさん 新スレたてご苦労様です
 それじゃ、お岩さんの話でも。「四谷怪談」では恐い女の代表みたいで化けて出ますが、実際のお岩さんのモデルは怨霊などとは無関係な働き者の妻で家を興隆させたよう。彼女の信仰していた田宮家の屋敷社を近隣の人々も拝むようになってお岩稲荷となったとのこと。
 ちなみに屋敷内にある神社を近隣に開放するのは良くある話だったようで、大名屋敷社なども結構やっていたよう。ご利益などあって人気になれば藩の評判も上がりますし、決して賽銭目当てではなかったはずですが。

 当然鶴屋南北はこのいわれを知っていたでしょうし、何故にこれを妖怪話に仕立てたのかは良く判りませんね。まあ必死に働く御家人の女房じゃ受ける話にならないので脚色したのだろうとは思いますが、田宮家に恨みでもあったのか?も。
 こういう時代だと勝手に名前使われても名誉毀損などありませんから、「番町皿屋敷」でも舞台になった青山家から、同名の武士はモデルに擬せられて迷惑被ったのでしょうね。
 ちなみに皿屋敷話は一種の都市伝説として各地にあって、組み合わされて芝居に仕立てられたらしいですが。

(四谷怪談)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E
8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87

(お岩稲荷)
http://www.orchid.or.jp/orchid/people/wa
lke/Yotsuya-Oiwa-0.html


(番町皿屋敷)
http://page.freett.com/elirin/kaidan/ban
chousarayasiki.html


(皿屋敷)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%BF%E
5%B1%8B%E6%95%B7

2014/3/11 16:57  [76-2905]   

皆さん、こんばんわ。

今度は豊臣政権のほうへいってみます。

豊臣秀頼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E
8%87%A3%E7%A7%80%E9%A0%BC

秀吉の子ではないという説が一部あるようです。
理由としては、背の高さですか。
これには、秀吉が女好きなのになかなか子供ができなかったことも影響しているでしょうね。
若貴兄弟や喜多嶋舞などでDNA鑑定がクローズアップされておりますがね。

>生存説
>当時の京に流行した「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたよ鹿児島へ」という童謡

秀頼は背が高いんだよ。真田も大変だわな、事実とすれば。
鹿児島のほうに言い伝えはあるけど、まあ信用はできないわなあ。

「退きも退いたよ」 → 「退きも退いたり」 というのもあったような・・・。

羽柴秀勝 (石松丸)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E
6%9F%B4%E7%A7%80%E5%8B%9D_(%E7%9F%B3%E6%
9D%BE%E4%B8%B8)

寺に言い伝えは残っているけど、いわゆる史料のたぐいには全く出てこない。

豊臣秀吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E
8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89

>容姿
>「六本指」
>現在では六指説を真説とする考えが有力であるが、

2014/3/11 19:50  [76-2906]   

皆さん、こんにちわ。
今度は現代史のほうです。

M資金
http://ja.wikipedia.org/wiki/M%E8%B3%87%
E9%87%91

>“日本海海戦で撃沈された帝政ロシアの軍艦から引き揚げられ、ソ連との紛糾や課税を逃れるために、鉛のインゴットだと虚偽報道された大量のプラチナ塊がある。

戦艦(巡洋艦)ナヒモフ号の財宝
http://renkan.exblog.jp/15042284
>結局のところ、引き揚げられたのは、プラチナのインゴット1本のみで、残りは、船のバランスを取るための鉛の塊だったと発表されましたが、

2014/3/12 12:33  [76-2907]   

これも現代史のほうに入ります。

もく星号墜落事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E
3%81%8F%E6%98%9F%E5%8F%B7%E5%A2%9C%E8%90
%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/hist
ory/jiko/index6.html


日本国との平和条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E
6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9
%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84

>1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布された。

事故が起きたのは1952年(昭和27年)4月9日ですから、平和条約の直前ですわねえ。

2014/3/12 12:56  [76-2908]   

みなさん こんばんは
 平和条約の話が出たので、それに付随する話題を。

 プロフィールに書いているように、私は中古カメラ(人によってはクラシックカメラと呼ぶ人もいますが私のはガラクタ的なものが殆どなので)蒐集家です。

 以前集めた日本のカメラの中に奇妙な表示が刻印されているのがありました。
 通常(メイド・イン)ジャパンとあるところがオキュパイド・ジャパンとなっているカメラです。
(オキュパイド・ジャパン カメラの例)
http://koujiyacamera.hamazo.tv/e386890.h
tml


「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」って?
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/201
3/06/post-266.php


 これは終戦後1952年までの輸出されたものに付けられた国名ですが、「占領下の」という表示はなんとも切ないです。
 当時輸出されたものは必死に作られたのか、おもちゃなどは工夫された好い製品が多く、現在こうしたもののコレクターなども多いようです。

 陶磁器などはアメリカ向けにアレンジされた不思議な雰囲気もっているのもあって、時々オークションで高値が付くものもあるそう。(アメリカ人は物持ちがよいのか、当時のものも出品されています。)
(オキュパイドジャパン陶磁器)
http://www.putto24.com/occupied.html
(オキュパイドジャパン里帰り展)
http://www.city.mino.gifu.jp/pages/10179


 もっともカメラの場合、特に付加価値が出るわけでもないので、この表示のカメラも欲しがった友人に売ってしまいましたが。
 そういえば最近では中古カメラ市でも、こういう表示のカメラ見なくなりましたね。

2014/3/12 23:43  [76-2909]   

皆さん、こんばんわ。

今度は東北地方の話です。

ナニャドヤラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E
3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83
%A9


キリストの墓
http://taiyo.goraikou.com/nihon/23kirist
/kiri01-01.htm

言い伝えが荒唐無稽ですなあ。

2014/3/14 19:38  [76-2912]   

幻の関東軍解体計画

皆さん、こんばんわ。
今度は現代史のほうです。

張作霖爆殺事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E
4%BD%9C%E9%9C%96%E7%88%86%E6%AE%BA%E4%BA
%8B%E4%BB%B6

>終戦まで事件の犯人が公表されず、日本政府内では「満洲某重大事件」と呼ばれていた。

リットン調査団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E
3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E8%AA%BF%E6%9F
%BB%E5%9B%A3


松岡洋右
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E
5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3


事変―リットン報告書ヲ奪取セヨ (角川文庫)
http://blog.livedoor.jp/kingyo373/archiv
es/51262201.html

>松岡らは、満州にスリ団を送り込み、厳重にガードされたリットン調査団の報告書を盗み見ようとする。
http://book.akahoshitakuya.com/b/4043687
141


引用の部分は多分虚構(フィクション)なんでしょう。
画像を添付しますが、タイトルや作者名が違っております。サブタイトルは同じなんですが。
内容は多分同じものだと思います。作家名の最初の字が「池」という漢字が使われているので、ひょっとしたら、同一人物かもしれないです。

2014/3/15 19:58  [76-2913]   

皆さん、こんばんわ。
今度はお寺さんの話です。

東の東大寺に対する西の西大寺
http://odekake.huuryuu.com/saidaiji.html


東寺と西寺の歴史
http://www.toji.or.jp/history.shtml
西寺は今はなくなってて、西寺跡として存在します。

2014/3/17 19:03  [76-2914]   

皆さん、こんばんわ。
今度は平家にまつわる話です。

平氏と平家は”別氏族”だった!?
http://savage.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%
E6%9C%AC%E5%8F%B2/%E5%B9%B3%E6%B0%8F%E3%
81%A8%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E3%81%AF%E2%80%9
D%E5%88%A5%E6%B0%8F%E6%97%8F%E2%80%9D%E3
%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81%EF%BC%
9F


世界遺産に隠された聖徳太子の正体と平家の野望
http://poyoland.jugem.jp/?eid=760

平家とは何か
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/babf
1cf62bf81300b93b0774d134b5a6

2014/3/20 00:58  [76-2916]   

おはようございます。

歪んだ「古代への情熱」…「歴史」という財産を傷つける陵墓盗掘事件の罪深さ
http://sankei.jp.msn.com/life/news/14032
1/art14032119180001-n1.htm

2014/3/22 10:06  [76-2920]   

皆さん、こんばんわ。

「役に立たない無駄知識」というスレッドで、「シェラ・デ・コブレの幽霊」について書き込みました。
この「シェラ・デ・コブレ」というのがいかにもフランスっぽいので、調べてみました。

フランス領ルイジアナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E
3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%A0%98%E3%83
%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%8A

>多くの市や村の名前もフランス起源となっている。例えば、セントルイス、デトロイト、バトンルージュ、ニューオーリンズおよびモービルである。

結構あるもんですねえ。

2014/3/24 20:44  [76-2933]   

みなさん こんばんは
 ロシアのクリミア併合が話題になってますが、自国民が多い地方の併合と言う点はナチスドイツのズデーテン地方分割要求に似ている気もしますね。
(セヴァストポリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E
3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83
%9D%E3%83%AA
 
 かつてのアメリカがモンロー主義の影響下にあったのに対し、現在のアメリカの対応は強硬だったり、EUが出来ていたり状況はかなり違いますが、大国が力づくで行動に出た時にそれを止めることは容易でないことは同じですね。
 各国ともそれぞれ事情があるので、ミュンヘン会議みたいに承認しなくとも現状追認になってしまいそう。
 歴史は繰り返されるのか?
 まあかつてのチェコスロバキアのように、ウクライナが分割されて消滅することはなさそうですが。

(ヒトラーによるズデーテン侵攻になぞらえる声も)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/3857
7?page=3


【ミュンヘン会議(1938年9月29日〜30日)、チェコスロバキア解体(1939年)】
http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/you
go/muenchencong.html


(ズデーテン地方)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E
3%83%87%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E5%9C
%B0%E6%96%B9


 クリミア併合の意味はロシアの軍事上の意味が一見大きそうですね。
 歴史的に不凍港の確保は軍事上の至上命題ですから、ここがウクライナのEU加盟で使えなくなるのは避けたいのは判る気もしますが、現実的には19世紀的地政学の出番はなさそうなので、プーチンへの支持基盤など国内的な意味のほうが大きいと考えるのが妥当なのかも。
(不凍港)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E
5%87%8D%E6%B8%AF

2014/3/25 23:32  [76-2935]   

皆さん、こんばんわ。

不凍港の話が出ていたので、こんなのを連想してみました。
東方問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E
6%96%B9%E5%95%8F%E9%A1%8C

>「東方問題」は、ヨーロッパから見て東方に位置するオスマン帝国を中心とした地域におけるヨーロッパの一連の外交問題を総称した、主にヨーロッパ側の呼称である。
>バルカン半島は紛争の火種を抱えて「ヨーロッパの火薬庫」でありつづけた。

この時期のバルカン半島は清朝末期の中国と似たような状況でありました。違うのは清朝のように統一された国家がなくて、弱小国家が多かったといったところでしょうか。

ロシアがなぜ南下政策を続けたのか?
不凍港という理由もあるのだけど、そのほかについても。

ナロードニキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E
3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82
%AD

ロシアは西欧に比べて近代化が遅れていた上に政情不安というのもありました。
そこで、為政者としては国民の目を外に向け、一致団結させる必要がある。手っ取り早いのが戦争です。
日露戦争では、それが失敗して戦争どころではないという状況になってしまいましたが。

2014/3/26 19:03  [76-2937]   

日露戦争絡みで大津事件の話でも。
 これは来日したロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世)を巡査津田三蔵が切りつけた暗殺未遂事件ですが、その後にいろんな影響をあたています。
(大津事件)
http://www.yunioshi.com/ootsujiken.html
(津田三蔵)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E
7%94%B0%E4%B8%89%E8%94%B5


 ロシアの南下政策に脅威を感じていた中での国民的イベントとして行われた皇太子来日での凶行だったので、国内は大混乱に。
 ロシアの軍事行動も予測された中で、政府は大逆罪の適用を要求しますが、大審院長児島 惟謙は(法の要件を満たしていないとして)これを拒否、被告は無期徒刑となります。児島 惟謙が後に司法と三権分立を護った偉人的に扱われるのもこのためです。

 後に児島は花札賭博を行ったとして告発され辞職することになりますが、これは画竜点睛を欠くといったところでしょうか。(政府による意趣返しだったのかも知れませんが)

(児島 惟謙)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E
5%B3%B6%E6%83%9F%E8%AC%99


 この事件、動機も不明で裏に誰がいたのかも判っていません。(彼は精神異常だったと言う説も) この辺も謎ですが、もっと判からないのは何故津田三蔵をその場で殺さなかったのか?という点、犯人が死んしまえば解決も簡単だったはずだったような気もしますが。

 この後皇太子ニコライはニコライ2世として即位、三国干渉、日露戦争と突き進むことになります。
 ロシアは第一次世界大戦で大敗を喫しロシア革命が勃発、ニコライ一2世家は全て殺害される結末でロマノフ王朝は結末を遂げます。

 ロイヤルイースターエッグというものがあります。イースターエッグは本来復活祭を祝う飾り卵ですが、王族ともなると凝った細工の豪華なものです。往時のロマノフ朝の財力と華麗さが偲ばれますね。
(ロシア・ロマノフ王朝 流転の秘宝)
http://d.hatena.ne.jp/katchan/20091220/p
1


(ファベルジェの卵)
http://www15.plala.or.jp/gemuseum/gstry-
faberge.htm


(ロマノフ朝Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E
3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%95%E6%9C%9D






2014/3/27 12:35  [76-2938]   

皆さん、こんばんわ。
今度は妖怪に出会った源実朝の話です。

青女房 (妖怪)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5
%A5%B3%E6%88%BF_(%E5%A6%96%E6%80%AA)

吾妻鏡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E
5%A6%BB%E9%8F%A1


源実朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E
5%AE%9F%E6%9C%9D


謎多き…源実朝暗殺犯・公暁の最期
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/tur
edure/2013/01/post-ef2c.html

2014/3/30 21:01  [76-2943]   

皆さん、こんにちわ。
今度はこういう話を。

唇を亀に咬まれた男の話
http://blogs.yahoo.co.jp/rokutopuu195512
19/3179279.html


物語・説話と説話文学
今昔物語集
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E
6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E%E9%9B%86

http://www.japanknowledge.com/contents/i
ntro/koten/shoutai/cont_kotenshou35.html


http://www.japanknowledge.com/contents/i
ntro/koten/shoutai/cont_kotenshou38.html


>話に出てくるのは皆大蔵の役人である。
>それに、紀助延がいる。彼についての話(巻二十八第三十三話)の冒頭に次のごとくにある。

ここでは、紀助延という名前が出てくるものの、唇を亀に咬まれた男の話というのは出てきませんね。

いつの時代でもアホなやつはいるもんです。
今日はエイプリルフールだけど、今昔物語集にこういう話が出ているのは事実ですよ。

2014/4/1 15:45  [76-2946]   

豊臣秀長の居城「地下トンネル」の謎…現地を調査、解明なるか
http://news.infoseek.co.jp/article/sanke
in_sk220140404523

2014/4/4 19:05  [76-2954]   

皆さん、こんにちわ。

日本に庇護求めた「ハワイ」、彼らを友邦にしていたら…
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affai
rs/news/140403/waf14040312150015-n1.htm

>米国の圧制を牽制し、1881年には、世界一周の旅に出るなど、外交にも力を注ぎ、外国人元首として史上初めて来日。明治天皇と面談し、両国の同盟、皇室との姻戚関係の構築などの提案もされています。残念ながら、これは実を結ばず、両国のその後の運命を分けることになりました。

この話は昔どこかで聞いたことがあります。
まあ当時の日本からしたら、そこまでの余裕はなかったでしょうね。明治新政府ができてから、そう年数もたってないし。

2014/4/5 12:21  [76-2955]   

ヒトラーの愛人はユダヤ系? DNA検査で判明と英報道
http://sankei.jp.msn.com/world/news/1404
06/erp14040601160001-n1.htm


ナチスが貨物船撃沈、海底に70年…引き揚げた銀塊で硬貨 英王立造幣局
http://sankei.jp.msn.com/world/news/1404
06/erp14040601030000-n1.htm

2014/4/6 12:17  [76-2957]   

古代日本人は懸命に模倣した…未知のルートで「ジパング」に渡った「銅剣」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/
news/140406/wlf14040606560000-n1.htm

2014/4/6 23:07  [76-2959]   

オーストラリアを発見した日本
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/14
0408/fnc14040803230003-n1.htm

>英国の探検家、キャプテン・クックは、1770年に現在のシドニーに上陸する。
>ところが、それより150年も前に、日本人が上陸していた可能性がある。江戸時代初期に日本を離れ、タイで活躍していた山田長政である。
>「長政の訪豪説」を裏付ける決定的資料はまだ見つかっていない(『オーストラリア物語』平凡社新書)。日豪交流の出発点は謎のままだが、その最新のニュースは、間違いなく朗報だった。

2014/4/8 12:17  [76-2962]   

2+3=結婚、√2=抹殺...!? 悪魔の数学カルト組織「ピタゴラス教団」の狂気!!
http://topics.jp.msn.com/wadai/chumoku/a
rticle.aspx?articleid=3944027

2014/4/8 17:13  [76-2963]   

【ねこみみ】3000年以上昔の漢字がどうみてもニャンコだと話題! ネットの声「萌え死ぬっ」「人類は猫に支配されていた」
http://topics.jp.msn.com/wadai/rocketnew
s24/column.aspx?articleid=3987022

2014/4/9 17:54  [76-2967]   

皆さん、こんにちわ。
今度はパリサイ人について。

ファリサイ派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E
3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E6%B4
%BE


ユダヤ問題入門
パリサイ派が、イエスを謀殺した
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/books
tand-Judah.html


パリサイ人とサドカイ人のパン種
http://joel.cocolog-nifty.com/blog/2011/
07/post-618c.html


まあ何と言いますか、難しい話ですね。

2014/4/10 14:09  [76-2969]   

皆さん、こんばんわ。今度は加藤清正について。

加藤清正
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E
8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3


加藤清正の虎退治の謎
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/201
4/01/post-acde.html


加藤清正は毒饅頭を食べて死んだという説も一部にはありますが、ここらへんははっきりしておりません。

虎ついでです。

国性爺合戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E
6%80%A7%E7%88%BA%E5%90%88%E6%88%A6

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents
/learn/edc_dic/dictionary/dic_ka/dic_ka_
43.html

>隈取【くまどり】や虎【とら】との格闘【かくとう】、「紅流し【べにながし】」の場面での飛び六方【とびろっぽう】など荒事の演出がふんだんに使われています。

2014/4/11 23:35  [76-2973]   

みなさん こんばんは
 幕末の謎といえば赤報隊と言う物がありましたね。官軍の先鋒と称して年貢半減令を流布しながら江戸方面に行軍してゆき、偽官軍として首謀者が祖刑された事件ですが、これには裏があったようです。
(赤報隊はなぜ偽官軍にされたのか ー通説は間違いー)
http://blog.goo.ne.jp/awakomatsu/e/9c05a
a5bb3a0e81d5c26acec7bb60f9a

 
 相楽総三は西郷隆盛の許可を受けて赤報隊を江戸に進軍させるわけですが、西郷の思惑と大久保利通らとはこの辺で齟齬があったようです。もう年貢半減令など実行不可能な製作を流布する必要も無くなっていましたし。

 非正規の組織である赤報隊(別働隊)に桑名藩が恭順の文書を出したり、組織上の問題が出たので、この別働隊は解散させられます。まさか別働隊に御陵衛士(元新撰組)がいたとは!
(赤報隊Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E
5%A0%B1%E9%9A%8A


 本隊にも西郷は藩士伊牟田尚平を差し向け、進軍を止めさせようとしますが失敗し相楽は捕らえられ処刑されることに。
 罪名は偽官軍を組織したこと、と言う名目だったそうですが、西郷の許可得てるのに、手のひら返しでは報われませんね。同月になぜか伊牟田尚平も切腹させられています。

 実は相楽総三、伊牟田尚平、益満休之助の3人は、浪士500人ほど集めて江戸で強盗や放火など騒擾事件を起こした首謀者で、生かしておくと新政府の名誉にも関わるので殺されたと言う説もあるようです。
 なお、益満休之助が山岡鉄舟と共に東征軍の西郷のところに現れた際、西郷は「生き恥さらして」と激怒したそうです。彼も彰義隊討伐の際に流れ弾に当たって死亡したそうですが、どさくさ紛れに味方に撃たれたという話も。
 
(益満休之助)
http://www.rekishijin.jp/ishinshishi/%E7
%AC%AC8%E5%9B%9E-%E7%9B%8A%E6%BA%80%E4%B
C%91%E4%B9%8B%E5%8A%A9/


 

2014/4/12 01:54  [76-2974]   

「イエスの妻による福音書」は本物か
http://topics.jp.msn.com/life/environmen
t/article.aspx?articleid=4016405


<龍馬の手紙>鑑定額は1500万円 NHKの番組で発表
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=201404
12-00000011-mantan-ent

2014/4/12 23:21  [76-2975]   

聖徳太子像、CTスキャンで舎利粒を確認 奈良・元興寺
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/
news/140414/wlf14041419530017-n1.htm

>像の首の内部には、封書2通があることも判明。担当者は「像を解体するまで封書の中身は不明だが、舎利は、太子像に沢山の思いが込められた証拠」としている。
>制作当時の願文や銘文などが記載されているとみられる。

2014/4/14 23:11  [76-2981]   

皆さん、こんにちわ。

火縄銃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E
7%B8%84%E9%8A%83

>「火蓋を切る」は、物事を開始するという意味で用いられる。

類似語に「口火を切る」というのもありまして、これも火縄銃由来のものです。

火薬を使った武器のアイデアは中国のものですが、鉄砲という形での実用化はヨーロッパが最初ということになるのでしょう。

話は違うけど、関西方面で「かやくうどん」や「かやくご飯」というのがあります。
http://gogen-allguide.com/ka/kayaku.html

「加」と「火」の違いですか。

火縄銃の仕組みを学ぼうの段
http://omomemo.blog.fc2.com/blog-entry-1
21.html


昔、NHKで「鉄砲小弥太」というドラマがありました。
今では、同じ名前の歌手がいるみたいですが。

火縄銃の巻き張り
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2024867.html

日本には螺旋という概念がなかったから、この発想にたどりつくのは難しかったかも。
なお、鉄砲で螺旋というとライフル溝のことを連想しますが、それとは別物のようです。

2014/4/16 13:41  [76-2984]   

火縄銃 鉄砲小弥太

画像の張り忘れがありました。

2014/4/16 13:43  [76-2985]   

皆さん、こんにちわ。
今度は幕末の話です。

パリ万国博覧会 (1867年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E
3%83%AA%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6
%A7%E4%BC%9A_(1867%E5%B9%B4)


wikiではあまりも簡潔すぎるので、こういうものを。
http://www.rekishijin.jp/rekishijincalen
der201404/0401-2/


http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkim
u/huchi03.html

こちらはパリ万国博に行った渋沢栄一の話です。

2014/4/17 12:15  [76-2986]   

言うにゃ及ぶさん こんばんは
 幕末のパリ万博ですか、NHkの大河ドラマ「獅子の時代」を思い出しますね。
http://www.youtube.com/watch?v=sTLHHY_54
fU


 ちなみに薩摩藩の目玉は薩摩焼です。これのルーツは朝鮮出兵の際つれてきた陶工が元のようですが斉彬が輸出用に派手目に改良させたせいでぱヨーロッパで評判になったようです。
(薩摩焼)
http://www.shimadzu-ltd.jp/gift/k_satsum
a.htm


 また独立政府として、ナポレオン3世他フランス高官に勲章を与えたそうです。こうした知恵者がいたのでしょうね。
http://www.shuseikan.jp/word/factory23.h
tml


 また佐賀藩も当初日の丸掲示して幕府とひと悶着あったようですが、こちらは穏便に引き下がったよう。こちらの目玉は有田焼でこれはジャポニズムの代表的存在になります。
 有田焼は後にドイツの化学者ゴットフリード・ワグネルにより改良されて品質が上がり、さらに評判が増してゆきますが。
(最初の万国博覧会)
http://www47.tok2.com/home/yakimono/hono
o/06-03.htm


(有田焼)こちらのルーツも朝鮮陶工。
http://www.arita.jp/aritaware/
(ゴットフリード・ワグネル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E
3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83
%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%B0%
E3%83%8D%E3%83%AB

2014/4/18 02:52  [76-2988]   

撮る造さん、こんにちわ。

有田焼と伊万里焼
http://nagadon.me/doyanen/imari.html

ヨーロッパを席巻した日本
http://shibuya7.exblog.jp/16456769/

フィンセント・ファン・ゴッホ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E
3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83
%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%
E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B

>日本の浮世絵にも関心を持ち、収集や模写を行っている(→パリ時代)。

2014/4/18 13:18  [76-2989]   

突然名所に!? 竹田城、備中松山城…次に来る城はどこだ!
http://news.infoseek.co.jp/article/davin
ci_4016

2014/4/19 17:58  [76-2991]   

皆さん、こんばんわ。

新選組・斎藤一「書記兼戸口取調掛」…名簿発見
http://www.yomiuri.co.jp/culture/2014042
0-OYT1T50019.html


斎藤一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E
8%97%A4%E4%B8%80

肖像画を見ると、宇宙人のようだと言う人もいます。

警視庁抜刀隊
http://www.juhojuku.jp/shoyuroku/2007/07
/post.html


斎藤一と同じように、新撰組出身でなおかつ長生きした剣の使い手。
永倉新八
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E
5%80%89%E6%96%B0%E5%85%AB


剣のほうは程々だけど、槍の名手。
原田左之助
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E
7%94%B0%E5%B7%A6%E4%B9%8B%E5%8A%A9

>原田は上野では死なず生き延び、新潟・下関・釜山を経て大陸へ渡り馬賊の頭目になったという伝説がある。日清・日露戦争のときに松山で昔語りをする老軍人がいて「私は原田左之助だ」と名乗ったと伝わっている。明治40年(1907年)頃の愛媛新聞にて弟や甥と会って会話をした後に「満州に帰る」と言い残して去っていったと報じられたが真偽は不明。

2014/4/20 19:50  [76-2993]   

皆さん、こんにちわ。

阿片戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E
7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89


wikiだけではアレなので、ついでにこいつも。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-
1505.html

>当時の支那に、阿片窟など存在しません。

どうなんだろうね?

2014/4/22 12:32  [76-2995]   

剣客の生涯 戦国の剣豪 巌流島の決闘

皆さん、こんにちわ。

戦国時代の剣豪にはわからない部分も多いです。
カリスマ性を維持するためにってところはあるのでしょうが。

宮本武蔵なんかは比較的よくわかっているほうだと思いますが、それよりも佐々木小次郎のほうがわからないことが多いです。
敗者の歴史は一般的にそういう傾向はありますけども。

佐々木小次郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E
3%80%85%E6%9C%A8%E5%B0%8F%E6%AC%A1%E9%83
%8E

一番大きな問題は年齢ですかね。
吉川英治描くところの宮本武蔵では、美青年として描かれています。

添付画像は歌川芳虎が描くところの巌流島の決闘です。
歌川芳虎はだいぶ後の時代の人ですね。江戸から明治の間の絵描きさんですか。
この絵では、宮本武蔵は自前の木刀ではなく刀を使っています。

宮本武蔵にもわからないところはあるのだけど、佐々木小次郎ほどではないでしょうね。

添付画像にある「戦国の剣豪」は、毛筆の感じがよかったので。

龍が如く見参!宮本武蔵 vs 佐々木小次郎
http://www.youtube.com/watch?v=dfbGj8C1L
Lk

こちらはゲームにおける巌流島の決闘です。

2014/4/23 14:10  [76-2996]   

巌流島の決闘・全体図

添付した「巌流島の決闘」ですが、これは部分的な拡大図です。
全体図も添付しておきます。

2014/4/23 14:36  [76-2997]   

皆さん、こんばんわ。
今度はこういう話を。

対華21カ条要求
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E
8%8F%AF21%E3%82%AB%E6%9D%A1%E8%A6%81%E6%
B1%82


対華二十一カ条の要求の真相
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/201009
29/1285712786

>対華二十一カ条は支那の自作自演。
>・・・というのを提案しており、これは「二十一カ条の要求」にほぼ一致しており、実は支那側の要求だったようです。

「対華21ヶ条の要求」と日華条約
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasun
ari/7517/nenpyo/1911-20/1915_taika_21.ht
ml

>当時このような条約は珍しくなく、イギリス、フランス、ロシアは、要求の内容は妥当だとして干渉を控えている。
>そこへ猛烈な非難攻撃を繰り広げたのがアメリカだった。

アメリカは中国大陸での利権に野心がありました。ジョン・ヘイの「門戸開放宣言」でもわかるように、こっちにも分け前よこせってやつです。
かといって、日本のように露骨なことをやると、大統領の首が飛んでしまう。

時代はもう少しさかのぼって、日露戦争の終結を斡旋したのはアメリカでして、これには下心がありました。
ロシアから譲渡された利権の一部をアメリカに日本が譲渡してくれるのではないかと期待したからです。
ところが、日本はそういったことはしなかったので、ここから日本とアメリカの関係が悪化してくるわけです。

2014/4/24 19:28  [76-2999]   

皆さん、こんばんわ。
今度は源平時代の武将についてです。

平教経
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E
6%95%99%E7%B5%8C

>鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』では教経はさほど目立たない武将で、一ノ谷の戦いで安田義定の軍に討ち取られ、京都で獄門になっている。一方で、『玉葉』、『醍醐雑事記』などの別の史料では一ノ谷生存説もあり、猛将であったことを含め教経の実像については不明な点が多い。
>一ノ谷の戦い・討死?
>『玉葉』には晒し首になった者たちのうちで教経については生存の風聞がある事を示す記述があり、『醍醐雑事記』などは壇ノ浦の戦いで自害したとしている。一方で、『吾妻鏡』の壇ノ浦の戦いの戦果報告の戦死者、捕虜の中には教経の名はない。このために一ノ谷の戦い後の教経については死亡説、生存説があり、はっきりしない。
>徳島県祖谷地方の伝説では教経は壇ノ浦で死なず、祖谷に落ち延びてその地で没したといわれている。以下に徳島県・高知県で信じられ

2014/4/27 00:21  [76-3002]   

日本のお葬式にはなぜお坊さんが来るの?
http://news.infoseek.co.jp/article/nhkte
xt_textview-13596

>江戸時代以降の寺請け制度によるものです。
>キリシタンや禁制宗派の信徒でないことを寺院に証明させる寺請制度が敷かれ、現在の戸籍にあたる宗門人別帳がつくられました。

2014/4/29 11:08  [76-3005]   

(島津久光と西郷隆盛)
 歴史の楽しみ方の一つとして、登場人物の内面や人間関係を考察するというものがあります。
 この点、資料が多く残っている幕末などは結構興味深いですね。

 特に確執といっても良さそうな島津久光と西郷隆盛の関係は緊張感漂う関係は明治政府まで持ち越されます。
 当初西郷は斉彬の側近でしたし、お由羅騒動の余波から久光を快く思っていなかったでしょう。
(お由羅騒動)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E
7%94%B1%E7%BE%85%E9%A8%92%E5%8B%95


 久光も藩主の父とは言え、人材人脈ともに無かったので誠忠組の申し入れ受け「仕方なく」西郷を抜擢したはず。
 これに加え、久光の上洛が公武合体の目的だったので(幕府はもう衰えているので時代遅れの考えと)反駁したことで両者の亀裂が生まれ、西郷の無許可単独行動で久光の怒りが頂点に達します。(久光の一藩士の分際でという怒り、西郷のほうは自殺未遂の生き残りで恐いものなし)

((西郷隆盛の生涯)奄美大島潜居から島津久光の上京まで)
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syou
gai3.htm
 

 その後会津藩と共闘して長州と戦い、幕府を参与会議で改革・コントロールしようとしますが一橋慶喜のほうが上手で上手くいかず、生麦事件、薩英戦争などあり方向転換を迫られます。
 ここれ西郷赦免となるわけですが、久光はキセルに歯型が付くほど怒りを示したようです。
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syou
gai5.htm


 この後、久光が病気勝ちだったので維新まで問題は起こらなかったようですが、版籍奉還、廃藩置県では反対だったので、大久保や西郷は苦心したようです。
 強力なご親兵と大半の藩が協力的だったのでは薩摩だけが反対することは出来なかったようですが、久光としては「西郷にだまされた」というのはあったはず。
(西郷隆盛の生涯)西郷の上京から廃藩置県まで
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syou
gai9.htm

(版籍奉還 − 木戸の苦心)
http://www13.ocn.ne.jp/~dawn/tabi88hanse
ki.htm

(版籍奉還から廃藩置県まで)
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huk
en/huhanken.htm


 後に西南戦争が起きると、明治政府は久光の動向に疑いをかけますが、西郷と共同行動とる訳も無く「人の土地であいつら何やっているのか」という怒りの気持ちでだったのでは。

 この二人比較的判り易い人間関係ですが、これほど相性の悪い組み合わせと言うのも少ないでしょうね。

(島津久光)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E
6%B4%A5%E4%B9%85%E5%85%89

2014/4/29 17:13  [76-3006]   

皆さん、こんばんわ。

調所広郷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E
6%89%80%E5%BA%83%E9%83%B7

>通称は清八、友治、笑悦、笑左衛門。当時の呼称は調所笑左衛門が一般的。

村田清風と調所広郷
http://www9.ocn.ne.jp/~uji/hanashinoneta
/muratazusho.htm


眠狂四郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%A0%E
7%8B%82%E5%9B%9B%E9%83%8E

どういうわけか、調所笑左衛門が敵役として登場します。
まあフィクションなんで、何とでもといったとこですか。

2014/4/29 18:47  [76-3008]   

言うにゃ先生!しつもんす。
こじろうしゃんも むさししゃんも 当時 どうやって関所を通関していったのれすか?

また、いくら浪人やお侍だからといって、決闘や殺し合いってOKだったんすか?まだ、法的な整備ができていなかったんすか? なんかどっかの時期でご法度になりませんでしたっけ?

学習マンガ愛読者 けんけんちゃん

2014/5/1 00:06  [76-3010]   

けんけんRXさん こんばんは
 関所といっても、そんなに厳しいものではなかったようですが。剣術修行と言えば通れたのでは。(武蔵は弟子達引き連れた大人数だったことが多いようですが)
(関所を通るには)
http://www.hakonesekisyo.jp/db/data_inc/
inc_frame/fr_data_01_02_03.html

 もっとも関所の役人と宿場ぐるみの不正が大賀のも事実で、実際には賄賂しだいでどうともなったのが現実だったとか。


(決闘について)
 巌流島でも吉岡一門の戦いでも弟子達と一緒に戦ったのが真相のようですが。巌流島でも、傷ついた小次郎を弟子達がよってたかって撲殺したとか。
 当時の他流試合となると、武芸者の命はもとより流派の存続や抱えている大名などの名にも傷付くので、だまし討ちなど何でもありの世界だったようで凄惨な結末で恨み残す場合が多かったようで。
(宮本武蔵Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E
6%9C%AC%E6%AD%A6%E8%94%B5


 したがって、江戸中期からは他流試合が行われることはなくなりました。

 私闘禁止は戦国時代から常識で、成文化はされていませんが江戸時代でも同じで喧嘩両成敗が普通ですね。
 赤穂浪士事件の裁きも、発端の事件を両成敗としなかったことがあり、切腹という名誉を重んじた処置となったわけです。
 あだ討ちはまた別で、主君と奉行所などの許可があれば問題は無かったということのよう。
(敵討ちWiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E
8%A8%8E


 ただ武士の武芸試合となれば、行われた地域を管轄する領主や大名の裁量の範囲となっていたようですが。

2014/5/1 02:06  [76-3012]   

番長!解説さんくすです。

NHKのタイムスクープとか歴史なんとかで、もうちょっちつっこんで解説してもらいたいものですね。

素朴な疑問で、新聞もテレビも電話もあまっさえ携帯もスマホもない時代。武蔵しゃんは、どうして決闘の相手を探しまわったんしょ?ふらふらと諸国をぶらつきながら喧嘩をふっかけたんすか?悪い奴ですね。藁

http://bookboookbook.seesaa.net/article/
104652382.html

2014/5/3 13:28  [76-3017]   

番長&言うにゃさん!

さらに、なぜなに質問で申し訳ありません。

たしか、ラムちゃんの漫画でおもろかったエピソードに..

「あたるが食いしん坊の武蔵。暗いよ〜狭いよう〜が小次郎で、あたるがひょいひょいと小次郎をからかって、決闘から逃げ回る。」みたいな奴があったと記憶しています。

そこで質問です。五輪書は戦術書なのでしょうか?それとも戦略書なのでしょうか?両方含んでるんしょか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/
question_detail/q1312190883


自分より強い奴とは怖いので戦をしない。
自分より弱い奴とは無駄なエネルギーを消耗するのでしない。

そこらへんのヤンキーの兄ちゃんのように、目があったやつとかたっぱしからバトルしてたわけではないっすよね。

また、NYの株屋に一時、五輪書が読まれたのは何故っすか?

(歴史若葉)

2014/5/3 18:07  [76-3019]   

五輪書は武蔵直筆の元本が無く、写本と言われているものも相違が見られるので口伝や部分的に与えた書物を弟子が組み立てたのかも知れません。
 本来実践的な技や敵を倒すための方法論が主に書かれているので、こじつければビジネスに生かせるのかも知れませんが、あくまでも剣で勝つための方法ですから。
 一部に哲学的記述もありますが、これは流派としての理論武装のようなもの。
 火の巻にはこれまで自らの戦いの記述もありますが、流派の宣伝とともに自慢もしたかったのかも。

 戦略と言うのはもっと大きな意味だと思うので、(どちらかと言えば)局地的な戦いに勝つための戦術書のほうでしょうね。
(五輪書ではこのHPが判り易い)
http://www1.bbiq.jp/web416/musasi-gorinn
syo.html


 株やさんがどうこうは解りかねます。「景気を知ると云ふ事」という1項はありますが、まさかね。

2014/5/5 02:12  [76-3020]   

十一番目の志士

こんばんわ。

里帰りのおりに司馬遼太郎の「十一番目の志士」というのを読んでみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E
4%B8%80%E7%95%AA%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%BF
%97%E5%A3%AB

>天堂 晋助
>主人公かつオリジナルキャラクター。
>代々、宮本伊織から伝来した二天一流兵法を継承した剣術の達人。
>このような人物を創作した経緯として、土佐藩や薩摩藩には有名な刺客がいるのに対し(岡田以蔵・田中新兵衛など)、長州藩にはいなかったと考えて創作したとされる。

>司馬の作風が史実に対して忠実なように描いたため、歴史研究者でさえ実在の人物と思ってしまったという。

これはちょっとなあ。
天堂 晋助が知り合いになる有名人がたくさんいるんですよ。
高杉晋作のほかには、坂本竜馬・西郷隆盛・中村半次郎・小栗上野・勝海舟・土方歳三など。さすがに徳川家の将軍はいませんでしたが。
いくら何でも、こいつはやりすぎだぜ。名前を聞いたことがあるといった程度ではなく、有名人と会話させるんですからね。
高杉晋作だけだったら、実在かと勘違いするかもしれないが。


ところで、五輪書ってオリンピックとは関係ないんですよね?

空手バカ一代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E
6%89%8B%E3%83%90%E3%82%AB%E4%B8%80%E4%BB
%A3


大山倍達
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E
5%B1%B1%E5%80%8D%E9%81%94

>宮本武蔵を深く尊敬していた

2014/5/5 22:55  [76-3021]   

皆さん、こんにちわ。

お金の中の人物
http://www.77bank.co.jp/museum/okane/02.
htm


紙幣の人物は一体どうやって決めているのか?
http://woman.excite.co.jp/lifeplanning/n
ews/rid_1592/


いくら有名人でも、現在生きている人物はまずいでしょうな。

これとは別に、マイナスのイメージによる紙幣の肖像画を考えてみました。

三億円事件の手配写真
キツネ目の男

など。

こういう紙幣が発行されて、これが元で事件が解決するとか。
まあ、こんな紙幣が発行されるとも思えないけど。

2014/5/6 13:53  [76-3022]   

言うにゃ及ぶさん こんにちは
 ご帰郷でしたか、こちらは行く故郷も無いので(もう誰もいない)東京に張り付いていました。

 さて紙幣になってそうな人物やなぜなってないのという人物は結構いますね。(岩倉具視や伊藤博文あたりなら政治家や指導者でもっといそうで寿司、その他のジャンルでも同じですね)
(明治維新関係)
1.坂本竜馬  人気ならいちばんかも。実績的には?
2.大久保利通 維新の立役者。人気がないせいか?
3.西郷隆盛  実績も人気はありますが、西南戦争が?
4.勝海舟   これは、政治実績自体は江戸城受け渡しだけなので
(武将)
5.織田信長  天下統一。比叡山焼き討ちなどはマイナス?
6.豊臣秀吉  人気もありますが、晩年の秀次問題と韓国遠征が問題?
7.徳川家康  人気はさほどありませんが、徳川家と明治維新との関係か。
8.上杉謙信  人気はありますが、ローカルすぎかも。新潟限定とかなら
9.武田信玄  上記同様
10.伊達政宗 上記に同じ ローカル紙幣があれば有力かも。
(明治以降 文人、科学者)
11.湯川秀樹 ご存知初のノーベル賞受賞者
12.森鴎外
13.宮沢賢治
14.北里柴三郎
15.川端康成

(江戸時代 以前)
16.松尾芭蕉
17.紫式部
18.清少納言
19.伊能忠敬
20.千利休

(明治以降 軍人)
21.東郷平八郎
22.乃木希典
23.山本五十六
24.ダグラス・マッカーサー
25.東条英機

(その他、首相推薦?)
26.岸信介
27.佐藤栄作

 このくらいが候補ですか。









2014/5/6 17:08  [76-3023]   

こんにちわ。

>高杉晋作のほかには、坂本竜馬・西郷隆盛・中村半次郎・小栗上野・勝海舟・土方歳三など。

桂小五郎(木戸孝允)を入れ忘れてました。

>17.紫式部

【お札】紙幣の肖像の変遷【人物】(明治~現在)
http://matome.naver.jp/odai/213349849390
1597301


二千円紙幣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E
5%8D%83%E5%86%86%E7%B4%99%E5%B9%A3

裏面に紫式部の肖像画があるみたいですが、わかりにくいです。
二千円札自体が普及しなかったせいで、なじみがありません。

2014/5/6 18:01  [76-3024]   

皆さん、こんばんわ。

服部半蔵
>実際に忍者だったのは初代だけであり(ただし詳細は不明)、
>2代目 服部半蔵正成
>徳川家康に仕えた、伊賀同心の支配役。いわゆる「服部半蔵」として世間でよく知られるのは彼の事である。

伊賀同心を使うことができたのは初代から。
それを代々受け継ぐことになる。

2014/5/12 21:02  [76-3027]   

しまった、リンク先の貼り付けを忘れておりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E
9%83%A8%E5%8D%8A%E8%94%B5

2014/5/12 21:04  [76-3028]   

皆さん、こんにちわ。

北政所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E
6%94%BF%E6%89%80

>平安時代の三位以上の公卿の正室の呼び名。また後に、宣旨をもって特に授けられた摂政・関白の正室の称号。
>太閤秀吉と北政所ねね

北政所というと、一般的には太閤秀吉の正室と認識している人が多いかと思います。

高台院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E
5%8F%B0%E9%99%A2

>一般的には「ねね」とされるが、夫・秀吉や高台院の署名などに「おね」「祢(ね)」「寧(ねい)」という表記があるため、「おね」と呼ばれることも多い(諱についての論議参照)。

2014/5/14 12:09  [76-3032]   

UFO「うつろ舟」漂着は波崎? 実在地名記載の新史料 「伝説の元の文書か」
http://news.goo.ne.jp/article/ibaraki/re
gion/ibaraki-28137081.html

2014/5/14 17:43  [76-3033]   

言うにゃ及ぶさん こんばんは
 北政所や高台院などの話が出ていたので、徳川将軍の正室の話でも。

 将軍正室の子が将軍になった例は家光だけですね。男子は夭折した子ばかりなのは不自然です。
 成長したのは家斉五男(清水家に養子)位ですから。
 女子が生まれている例もわりにあるので、正室の体に問題があったり夫婦関係が無かったわけではなさそうですが。

 三代以降の正室は、天皇や公家の娘となっているので、この辺は朝廷と将軍という関係性から何かしら裏であったとは推測できます。
 殆どの正室から生まれた男子は直後に死んでいるので、この辺が理由なのか?

 ただ、当時無事に育つのは結構難しかったのも事実で、家斉のような子沢山(男子26人・女子27人)でも成人したのは半分近くだったとのこと。衛生状態なのか、遺伝子的に問題があったのかは判りかねますが。
(徳川家斉)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E
5%B7%9D%E5%AE%B6%E6%96%89
 

 そういえば女性説を言われている将軍もいましたね。徳川家重ですが。
 骨盤や骨格、埋葬方法、言語不明瞭なのも声を知られないため?などがあり、こういう異説唱える方もいるようですが、そうなると側室に生ませた子の父親は大御所吉宗?
(徳川家重)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E
5%B7%9D%E5%AE%B6%E9%87%8D

(女性説)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tubasa1/reki
shi/mi/mi-06.html

2014/5/15 01:05  [76-3035]   

撮る造さん、こんにちわ。

>男子は夭折した子ばかりなのは不自然です。
>三代以降の正室は、天皇や公家の娘となっているので、この辺は朝廷と将軍という関係性から何かしら裏であったとは推測できます。
>衛生状態なのか、遺伝子的に問題があったのかは判りかねますが。

毒殺という線もありますかね。

徳川将軍家御台所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E
5%B7%9D%E5%B0%86%E8%BB%8D%E5%AE%B6%E5%BE
%A1%E5%8F%B0%E6%89%80

大奥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E
5%A5%A5

大奥というのは伏魔殿みたいなところがあるのかも。

乳母
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B3%E
6%AF%8D

毒殺とくれば普通は食事のほうですが、乳児の場合はこちらがポイントになります。

徳川将軍の食事について
http://blog.livedoor.jp/igarashi_gri/arc
hives/32788556.html


乾いて候
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E
3%81%84%E3%81%A6%E5%80%99

こちらは劇画とテレビドラマのほうですか。

徳川家基
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E
5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%9F%BA

>江戸幕府第10代将軍徳川家治の長男。将来の第11代将軍として期待されていたが夭折した。徳川宗家の歴史の中で唯一「家」の一文字を賜りながら将軍位に就けなかったため、「幻の第11代将軍」とも言われる。

2014/5/15 13:11  [76-3036]   

勝夫妻の墓(洗足池ほとり)

(慶喜の息子が勝家を継ぐ) 
 最後の将軍となった慶喜は子沢山でしたが、10男精が勝家に養子に入っています。
 正確に言うと勝海舟の長男小鹿が死去したため、その娘伊世子と結婚して勝精となったわけです。
(勝 精)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E
7%B2%BE


 当時慶喜はすぐに了承したわけではなかったよう。元幕府重臣とはいえ勝海舟の出自は検校の孫という低い地位で、旗本株買って漸く武士になりあがった家系ですから、無理も無いか。
 まあ、明治以降もいろいろ世話になっていたので断わりきれなかったのかも。

 しかしながら勝家に婿入りした精氏、まもなく妻が死ぬと遊興三昧で最後には妾と心中という有様。
 ほんとに勝家にも徳川家にも恥さらしだったというべきですが、当時大きくは報道されなかったようです。

 父親の慶喜も多趣味で、明治以降は写真を始め自転車、ミシンなど当時としてはハイカラな人物でしたが、勝精も同様に写真やビリヤードのほか、当時としては最先端だったハーレーダビッドソンに興味を持って、自分で国産バイク「ジャイアント号」まで造らせてしまう凝り様。
 このバイクを作った人たちの中から、やがてメグロという有名なバイクが生まれ、それがカワサキに繋がってくるのですから、現在の日本バイクに影響を与えた人物とも言えそうですね。
(メグロ)
http://www.d6.dion.ne.jp/~kiyoto/baiku/m
eguro.htm


 ついでに言っておくと、勝海舟の女性関係も酷いもので、二人の妾を自宅に同居させて本妻に面倒見させていたとか。
 おかげで本妻の民子さんは、死に際し「海舟と一緒の墓に入りたくない」といっていたそうですが、養子の精氏としてはそうもいかなかったようで、洗足池ほとりの海舟の隣に葬っています(現在、遺骨は別のところにあるようですが)。

(最期に夫に愛想をつかした良妻 勝民子)
 http://konn3563.seesaa.net/article/18180
0205.html


(洗足池公園)
http://www.kmine.sakura.ne.jp/tokyo/koue
n/senzokuike/senzokuike.htm


(徳川慶喜と勝海舟の孫、朽木道子さんが死去。)
http://www.narinari.com/Nd/2005054379.ht
ml

2014/5/15 23:35  [76-3038]   

撮る造さん、こんにちわ。

一橋徳川家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E
6%A9%8B%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6

>一橋家当主自身は短命で子を残せない者が多かった。結果、幕末期には数多くの親藩が一橋家の血筋で占められる一方、当の一橋家の第9代当主は水戸徳川家から養子に入った慶喜であり一橋家の血筋ではないという、奇妙な状態に陥った。

田安家については省略。

徳川夢声
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E
5%B7%9D%E5%A4%A2%E5%A3%B0

徳川家とは全く関係のない人だったようです。

2014/5/16 13:20  [76-3039]   

(新撰組隊長 相馬主計)
 新撰組の戦いは函館戦争で終ったのですが、土方歳三亡きあと最後の隊長となったのが相馬主計です。
(相馬主計)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E
9%A6%AC%E4%B8%BB%E8%A8%88


 とはいっても、以前に隊を離れて陸軍奉行添役だった彼が実際に新撰組として戦ったわけではなく残務処理と官軍に対する降伏で隊長として署名したというのが実際のところ。
 実のところ、単に貧乏くじ引くだけの役でしたが彼は従容として引き受けたそうです。

 彼のことはそれ程公式記録に残っていませんが、紀州藩と土佐藩との揉め事(いろは丸事件)での護衛や鳥羽伏見の戦いなどに記載があります。
 ただ軍功というべきものは無く、その割りに出世が速かったので仕事の出来る能吏といった側面が多かったと考えるのが妥当かと。

 近藤勇が官軍に投降した際、助けようと幕府幹部の書状を携え官軍陣屋へ行って捕らわれ、この時は近藤の「死ぬのは自分だけでよかろう」という言葉で救われたとか。
(新撰組の幕引きをした男 相馬主計)
http://blog.goo.ne.jp/shortstory_001/e/f
0a595d1fb7a30d5c58597fc4906639d


(相馬主計 新撰組最後の隊長)
http://naokun.cocolog-nifty.com/nekozura
/2005/12/post_2ac5.html

 相馬は新撰組隊長として、これまでの事件に対する厳しい吟味を受けた後新島へ流されますが、やがて現地で知り合った妻とともに帰京。
 その後、新政府高官となった榎本武揚からの仕官の薦めは断ったとの話もあります。
 そして豊岡県に出仕しますが、明治8年突然免官(恐らく新撰組のことが知られた?)
 その後帰京し、突如として割腹自殺したそうで、詳しい事情や状況は伝わっていません。
 
 経歴たどってゆくと、なんとも武士らしい不器用な生き方した人で、明治の世には合わなかったのでしょうね。

 かれの遺した話を記した「贈友談話」と言うものが発見されているようですが。
http://blog.livedoor.jp/hinojyukuhonjin_
1043/archives/51596720.html

2014/5/16 16:22  [76-3040]   

真田信繁=真田幸村
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E
7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81

>「真田幸村」の由来
>「幸村」の名が見られるようになったのは夏の陣以後で、寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』がその初出と判明している。この『難波戦記』が人気を博し流布して広く読まれたため「幸村」名が一般的となったようだ。

真田幸村はナゼ伝説が一人歩きするのだろう?
http://bushoojapan.com/scandal/2013/08/0
1/2515

>十勇士もいませんでした

2014/5/18 18:59  [76-3043]   

ついでだ、これもいってしまおう。

【MOXU妖列伝】
http://moxu.jimdo.com/moxu%E5%A6%96%E5%8
8%97%E4%BC%9D/

2014/5/18 19:06  [76-3044]   

深夜、無人の別荘から119番通報 誤報?それとも… 青森・八甲田
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=201405
18-18104206-webtoo-l02

>現場は八甲田雪中行軍遭難事件があった地区で、木々がうっそうと生い茂る。

2014/5/18 23:52  [76-3045]   

皆さん、こんにちわ。

「極道の妻」だった? 清少納言 気概≠ふれるエピソードも
http://sankei.jp.msn.com/life/news/14052
1/art14052108300003-n1.htm


清少納言の「清」は、「清原」の「清」から来ているのだろうか?

2014/5/21 13:23  [76-3048]   

>清少納言の「清」は、「清原」の「清」から来ているのだろうか?

wikiを見てみたら、記載してありましたね。

清少納言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E
5%B0%91%E7%B4%8D%E8%A8%80

>「清少納言」は女房名で、「清」は清原姓に由来するとされているが、近い親族で少納言職を務めたものはおらず、「少納言」の由来は不明であり、以下のような推察がなされている。

2014/5/21 13:49  [76-3049]   

戦国武将 伝説の”通り名”

皆さん、こんにちわ。

竹中重治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E
4%B8%AD%E9%87%8D%E6%B2%BB

>通称は半兵衛(はんべえ)。

黒田官兵衛 VS 竹中半兵衛
http://www.bs-tbs.co.jp/rival/bknm/15.ht
ml


>【MOXU妖列伝】

竹中半兵衛は「ぬらりひょん」的なキャラクタとして描かれてます。

>「極道の妻」だった? 清少納言 気概≠ふれるエピソードも

このタイトルには多少違和感がありますねえ。
極道というよりも、武勇伝の話だろうと思うのよね。
極道というと、世間一般では893を連想してしまいますから。
何とかクリックしてもらおうと、誇張したタイトルにしてあるコラム・記事は時折見かけます。

2014/5/21 16:59  [76-3050]   

鈴木孫一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E
6%9C%A8%E5%AD%AB%E4%B8%80

>雑賀衆の棟梁や有力者が代々継承する名前。雑賀孫一という名でも知られ、また孫市とする史料もある。

雑賀衆 と 雑賀孫市
http://kamurai.itspy.com/nobunaga/saiga.
htm

2014/5/23 23:34  [76-3054]   

劇画「鬼平犯科帳」

皆さん、こんばんわ。

GWと葬式の折りに里帰りしましたが、GWの時に劇画「鬼平犯科帳」を買ってみました。去年も確か、このシリーズを買ったような・・・。

内容は単なる捕り物帳というわけでもなく、人情話もふんだんに入ってて面白かったです。

火付盗賊改方
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E
4%BB%98%E7%9B%97%E8%B3%8A%E6%94%B9%E6%96
%B9


一方、江戸町奉行所は裁判所・警察・役所がひとつになったもので、人数も少なく多忙を極めていました。
特に江戸町奉行は忙しかったみたいで、遠山の金さんみたいに遊びほうける暇はなかったようです。
まあ、遠山の金さんの話はフィクションだからねえ・・・。

与力
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E
5%8A%9B


同心
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E
5%BF%83


岡っ引
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E
3%81%A3%E5%BC%95

>正式には江戸では御用聞き(ごようきき)、関八州では目明かし(めあかし)
>本来「岡っ引」という呼び方は蔑称で、公の場所では呼ばれたり名乗ったりする呼び方では無い

2014/5/24 21:17  [76-3057]   

皆さん、こんにちわ。

ついでだから、これもいってしまおう。

郡代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E
4%BB%A3


代官
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E
5%AE%98


手代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E
4%BB%A3

2014/5/25 12:20  [76-3058]   

艦隊山越え 15世紀のギリシア世界

皆さん、こんばんわ。今度は世界史のほうです。

コンスタンティノープルの陥落
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E
3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83
%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%97%
E3%83%AB%E3%81%AE%E9%99%A5%E8%90%BD

>ハンガリー人のウルバン(英語版)という技術者を雇い、当時としては新兵器であった大砲を作らせた。それは長さ8m以上、直径約75cmという巨大なもので、544kgの石弾を1.6km先まで飛ばすことができた。
>オスマン帝国側は膠着状態を打開すべく、金角湾の北側の陸地(ジェノヴァ人居住区があったガラタの外側)に油を塗った木の道を造り、それを使って陸を越え70隻もの船を金角湾に移す作戦に出た。「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれるこの奇策は成功し、これによりジェノヴァ船による援助物資の供給は阻止され、東ローマ帝国軍の士気をくじくことになった。しかし、陸上の城壁を破る助けとはならなかった。

さて、最初の大砲のほうです。
http://mphot.exblog.jp/tags/%E3%82%B3%E3
%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%
86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%97%E
3%83%AB%E3%81%AE%E9%99%A5%E8%90%BD/


想定外の発想 山を越える艦隊
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/f0a28
c445907e63d98039c2596f251e5


日本でいくと、室町と同じ時代ですかね。

2014/5/25 22:59  [76-3059]   

原題はロシア語で「ツシマ」 歴史への招待

皆さん、こんにちわ。
今度は日露戦争における日本海海戦についてです。
敵前大回頭で知られる日本海海戦の中でもテーマを何に絞るか考えてみましたが、これを取り扱った映画に絞ってみます。

明治天皇と日露大戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E
6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%A8%E6%97
%A5%E9%9C%B2%E5%A4%A7%E6%88%A6%E4%BA%89


日本海大海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E
6%9C%AC%E6%B5%B7%E5%A4%A7%E6%B5%B7%E6%88
%A6


日本海大海戦予告
http://www.youtube.com/watch?v=Es72SqdaA
SQ


「明治天皇と日露大戦争」と「日本海大海戦」 [映画]
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2009-12-26

2014/5/26 13:09  [76-3061]   

皆さん、こんばんわ。

魚雷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E
9%9B%B7

>日本では、水雷艇が、より大型化し外洋航行能力を獲得した駆逐艦と、沿岸海域での運用に特化し小型化・高速化を追求した魚雷艇に分化したと捉えられている。
>1933年(昭和8年)に日本海軍は酸素魚雷を開発・実用化し、第二次世界大戦において使用していた。レーダーが一般化するまで日本海軍は夜戦を得意としており、水雷戦隊によって敵に大きな損害を与え続けた。アメリカ海軍の重巡洋艦が魚雷発射管を廃止していたのに対し、日本海軍の重巡洋艦は多数の魚雷発射管を装備していたことにも、日本海軍の雷撃戦重視がうかがえる。

歴史的には、19世紀の後半には実用化されていたようですね。

2014/5/26 21:58  [76-3065]   

皆さん、こんばんわ。

戦艦三笠記念館
http://blog.livedoor.jp/kantai_collectio
n/archives/37742450.html


こちらは三笠記念艦になっております。こちらのほうが正しいようです。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-
681.html


三笠記念艦ツアー
http://rekigun.net/original/visual/mikas
a/



おまけ。

戦艦陸奥謎の爆沈 戦闘以前の問題
http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/1698144
6.html

2014/5/27 19:17  [76-3068]   

決戦前、東郷長官はちゃんと寝付けたのだろうか? 風呂に浸かって何を考えていたのか 司令長官皇室。ここで作戦会議を 横から見ると、はりねずみのようです。

言うにゃ及ぶさん こんにちは
 三笠ですか、毎年のように三笠公園には行っていますね。
 三笠内に入ったのも十数回あるでしょうか、最近では当時の指揮官や乗員の気持ちに思いを馳せることが多いです。
 最初見たときの印象は「こんなに小さい艦で!」というのが正直なところでしたが。

 東郷長官の寝室や風呂など覗くとどんな気持ちで決戦を迎えたのかとか、司令長官公室では緊張した面持ちで作戦立て他の妥当かとか、現物見ないと想像できないことも多いですね。
 司令長官公室に大砲が据え付けてあったのには驚きでしたが(写真)

 旧海軍の艦艇の名称には、基本的な命名基準があります。戦艦なら旧国名(武蔵、大和)重巡洋艦だと山(高尾、摩耶)軽巡洋艦だと河川(長良、阿賀野)などです。
 もちろん例外もあって、重巡洋艦でも河川名つけられたもありますが。
 空母は赤城のような艦種変更も多いので一定していませんが、一般的に鳳や龍、鷹のように用途に相応しい字の付いた命名がされています。

 こういう凝った基準作ったのは、アニメの(必要のないところまで決めている)詳細設定に似ている気もして、日本人ならではといった気もしますね。
 潜水艦については、その秘匿性から(艦識別番号のみで)敢えて艦名を付させなかったもののようですが。

(旧海軍艦艇一覧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E
6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5
%B7%E8%BB%8D%E8%89%A6%E8%89%87%E4%B8%80%
E8%A6%A7


(各国 艦艇命名基準)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E
5%90%8D

2014/5/28 14:08  [76-3070]   

撮る造さん、こんにちわ。

>重巡洋艦だと山(高尾、摩耶)軽巡洋艦だと河川(長良、阿賀野)などです。

最上型重巡洋艦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E
4%B8%8A%E5%9E%8B%E9%87%8D%E5%B7%A1%E6%B4
%8B%E8%89%A6


こういうケースもあるようですねえ。

>空母は赤城のような艦種変更も多いので一定していませんが、

赤城は最初は金剛みたいな高速戦艦(巡洋戦艦)として設計されたものでしたかね。最高速力も確か似たようなものではなかったかと。
これに対して、加賀のほうは普通の戦艦として設計されたものを空母に改装されたみたいで、最高速力も赤城よりは少し落ちます。

三笠公園にはまだ行ったことがありません。
横須賀ですから、こちらからだと時間がかかります。行くなら、横浜までは新幹線ですかね。

2014/5/28 15:52  [76-3071]   

(艦、艇、船、舟)
 艦と艇の違い解らない方も多いようです。戦闘用艦艇の中で大型のものを艦、小型のものを艇というのが一般的なようです。
 海上保安庁の巡視船は戦闘用ではないので船の文字が当てられています。
 民間の船の船名の多くに「丸」の文字がつけられています。これは明治時代に制定された船舶法取扱手続という法律の影響が残っているためのよう。現在ではそんな制限はないのですが。 
 なお舟というのは本来エンジンなど動力を持たない小型のものを差すのが正しいのですが、上陸用舟艇なんて言葉もあるのでややこしい。
 船舶といえば全てを含むというのが一般的な用語のよう。日本語というのはややこしいですね。

 海上自衛隊では1000t以上が艦、それ以下を艇というのが慣例となっているようですが、旧帝国海軍ではそう簡単ではなかったよう。駆逐艦が艦呼称の下限というのは確かですが。
 ロンドン軍縮条約の提案では排水量600t以上が駆逐艦の制限対象となってますが、古い駆逐艦だとこれ以下のもけっこうあったようです。
 日本ではそれ以前のワシントン海軍軍縮条約以降は一等駆逐艦(1000t以上)しか製造されず、旧型駆逐艦を掃海艇に艦種変更した例もあるので、排水量と用途との兼ね合いというのが実情だったようですね。

 なお帝国海軍では○○艦長と呼ばれるのは巡洋艦以上。それ以下だと○○駆逐艦長と呼ぶのが慣例だったようです。
 これは旧軍の艦船類別基準で、軍艦(狭義の)というのは巡洋艦以上を指していたのが理由のようですが。

 ところで、上記に伴い巡洋艦以上の艦と駆逐艦以下の艦艇では明らかな外観上違い(差別)があります。それがどこかお解りでしょうか?(ある、ないの問題です)


(船名Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E
5%90%8D


(ワシントン海軍軍縮条約)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E
3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E6%B5
%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E7%B8%AE%E6%9D%A1%
E7%B4%84


(ロンドン軍縮条約)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E
3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E6%B5%B7%E8%BB
%8D%E8%BB%8D%E7%B8%AE%E4%BC%9A%E8%AD%B0


(買った無線キーボードの反応が悪くて前レスで書き間違えていたので、修正しておきます。)
>東郷長官の寝室や風呂など覗くとどんな気持ちで決戦を迎えたのかとか、司令長官公室では緊張した面持ちで作戦立て他の妥当かとか、現物見ないと想像できないことも多いですね。
 
 東郷長官の寝室や風呂など覗くとどんな気持ちで決戦を迎えたのかとか、司令長官公室では緊張した面持ちで作戦立てていたのだろうかとか、現物見ないと想像できないことも多いですね

2014/5/28 23:57  [76-3072]   

撮る造さん、こんばんわ。

>ところで、上記に伴い巡洋艦以上の艦と駆逐艦以下の艦艇では明らかな外観上違い(差別)があります。それがどこかお解りでしょうか?(ある、ないの問題です)

大日本帝国海軍の駆逐艦に菊の御紋がないのはなぜ?
http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/gim
on/gimon14.html


こちらの関係でしょうか?

2014/5/29 00:44  [76-3073]   

三笠の菊紋は取って付けたようですが 実際に三笠に設置されていたもの。(艦内展示)

言うにゃ及ぶさん こんにちは
 それで当たっています。

 菊の紋章すなわち十六弁八重表菊花紋章というのは皇室の紋です。良く見ると花弁が二重になってるのが特徴、皇族もそれぞれ菊花紋ですが各家独特の変形紋となっています。
 西郷隆盛や木戸孝允も維新の功績により菊紋を与えられています。

 もともと天皇の紋といえば正式には日月ですが、菊花紋は後鳥羽上皇が刀に印させたのが端緒というのが通説ですね。
 菊は日本在来種ではない中国渡来の花なので、日本国の象徴としては少しおかしく感じますが(桜ではまずいのか)。

(菊のご紋)
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/
column/koshitsu/koshitsu12.html

(菊紋 −後鳥羽上天皇の意地が生み出した優美な紋)
http://www.ippongi.com/2009/01/12/kiku/

(菊花紋章Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E
8%8A%B1%E7%B4%8B%E7%AB%A0

 
(菊花紋)
http://www.genbu.net/sinmon/kiku.htm

2014/5/29 13:58  [76-3074]   

皆さん、こんにちわ。

一向宗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E
5%90%91%E5%AE%97


時宗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E
5%AE%97


一向一揆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E
5%90%91%E4%B8%80%E6%8F%86


本願寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E
9%A1%98%E5%AF%BA


何かややっこしいです。
徳川家康も一向一揆には悩まされたクチなので、幕府を成立させてからは本願寺勢力の力をそぎ落とすのに苦慮したようです。
宗教団体が武力に訴えると、為政者から見て、きついものがありますからね。

2014/6/3 13:33  [76-3081]   

志田林三郎(1)世界初の無線実験…携帯電話、100年後の日本を予言した“神童”
http://sankei.jp.msn.com/west/west_econo
my/news/140604/wec14060416300003-n1.htm

2014/6/5 12:17  [76-3086]   

皆さん、こんにちわ。
今度は伝説・伝承がらみの話です。

蘇民将来
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E
6%B0%91%E5%B0%86%E6%9D%A5


徐福
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E
7%A6%8F

2014/6/7 13:05  [76-3092]   

今度はこういう話を。

ノルマンディー作戦、なぜ「Dデー」に
http://sankei.jp.msn.com/world/news/1406
07/chn14060703030002-n1.htm

2014/6/7 17:45  [76-3093]   

皆さん、こんにちわ。

日本海海戦
http://www.youtube.com/watch?v=OD_5eARbx
Zk


動画ですが、約46分ですから長いほうの部類に入りますか。
アルゼンチン海軍から来た観戦武官の報告書に関するドキュメンタリー番組です。

2014/6/10 16:13  [76-3099]   

左側でテンガロンハット被っているのがA・マッカーサーだそう。

言うにゃ及ぶさん こんばんは
 その日本海海戦のビデオ、CSヒストリーチャンネルで放送していましたね。録画してありますが。
http://www.historychannel.co.jp/detail.p
hp?p_id=00610


 観戦武官というのは日露戦争までですか。第一次世界大戦以降になると戦場が広範囲になって航空機や毒ガスなど様相も変わり、あまり意味がなくなったそうです。(第一次世界大戦では日本の観戦武官が戦死していますし)

 日露戦争の観戦武官はかなり多くの国から派遣されていましたが、有名なのはアーサー・マッカーサーJR(連合国軍最高司令官ダグラスの父)ですか、息子ダグラスも副官として随行していたそうですが。
(アーサー・マッカーサーJR)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E
3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83
%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%
E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%8
3%8B%E3%82%A2

2014/6/10 23:17  [76-3101]   

撮る造さん、こんにちわ。

動画を見てみると、テレビで放映したもののような感じがしましたが、CSでしたか。
CSは契約してないので、見ることができません。

動画には平成17年とありましたから、約10年近く前の放送ですね。

2014/6/11 17:43  [76-3102]   

三国志本 三国志の頃のチャリオット

皆さん、こんにちわ。

ルビコン川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E
3%83%93%E3%82%B3%E3%83%B3%E5%B7%9D

>古代ローマのユリウス・カエサルの言葉「賽は投げられた」で有名だが、その歴史的著名度に比べて大河ではない。
賽(サイ)とは、サイコロのこと。
動物のサイではない。重たすぎて、話にならんです。
動物のサイを投げたほうが、話としては面白いかも。

チャリオット
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E
3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83
%88



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%88
>日本の歴史時代に実用の武器として用いられたのは「矛」の方のみであるため、日本語文献史料で「ほこ」とある場合、通常は「戈」ではなく「矛」である。そのため、歴史学用語としては訓読みするより音読みの「カ」で読まれることが多い。

2014/6/12 16:25  [76-3107]   

皆さん、こんばんわ。
今度は日本の古代史のほうになります。

秦氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E
6%B0%8F

出自が諸説あって、はっきりしてません。

蘇我氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E
6%88%91%E6%B0%8F

>蘇我氏渡来人説
>門脇禎二が1971年に提唱したが、現在は否定されている。

天智天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E
6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87

>従来定説とされてきた、天武天皇は天智天皇の弟であるというのは誤りで、皇極天皇が舒明天皇と結婚する前に生んだ漢皇子であり、彼は天智天皇の異父兄であるとする説に基づくものである。

2014/6/23 23:34  [76-3120]   

一刀斎夢録

皆さん、こんばんわ。
今度は幕末から明治にかけての話です。

画像のタイトルにある一刀斎というのは、新撰組隊士・斎藤一が明治になってから藤田五郎と名前を変えて警視庁に就職した頃に、斎藤一のことを指す警視庁内部の隠語であるということ。

新選組の本を読む 〜誠の栞〜
http://bookrest.blog.fc2.com/blog-entry-
161.html

>戊辰戦争では、激戦に命を失いかけながらも、危地を切り抜け生き延びた。

斎藤一は戊辰戦争に参加してなかったと思う。本にもそのようなことは書かれてなかった。
ここでは、斎藤一は左利きであることも書かれてないね。

>坂本龍馬暗殺事件の真相

暗殺したのは斎藤一。ただし、斎藤一は失敗であったと認識していた。致命傷に近いところまではいったけど。
この時、斎藤一を尾行していた者が複数いて、これが見廻組であり、とどめを刺したのは見廻組だろうということ。
標的は坂本龍馬だけであり、中岡慎太郎は巻き添えをくっただけ。

背景として、伊東甲子太郎が新撰組から離脱して高台寺党として分派活動するにあたって、伊東甲子太郎の護衛に腕のたつやつをもらいうけたいということで、斎藤一が高台寺党に入党。ただし、斎藤一は新撰組のスパイであった。
伊東甲子太郎は、坂本龍馬を暗殺して新撰組に罪をなすりつけるというアイデアを考えた。さらに、高台寺党のしわざと思われないために、斎藤一に適当な理由をつけて新撰組に戻す。伊東甲子太郎は斎藤一を信用しきっていて、この陰謀を新撰組にはしゃべらないだろうと思っていたが、斎藤一はしゃべってしまう。スパイだからね。
新撰組としては、この話に乗って伊東甲子太郎の考えている通りにやらせてみようじゃないかということになった。
というのも、坂本龍馬は新撰組から見てもお尋ね者であったから。
新撰組の標的は、長州と土佐の人間でありました。
薩摩は何を考えているかわからないけど、この当時では新撰組とは直接敵対しているわけではなかった。

表面上は伊東甲子太郎のアイデアにみえるけど、伊東甲子太郎は薩摩と深いつながりがあったから、薩摩のアイデアだろうということ。
薩摩は長州とは裏でつながっていて、本来は武力による倒幕が目的で、倒幕でも穏健派である公武合体派の坂本龍馬が邪魔になってきた。黒幕は西郷隆盛あたりか。
伊東甲子太郎に坂本龍馬の居場所を教えたのも薩摩のほうだろう。

暗殺に際して、坂本龍馬のいる家で斎藤一は本名を名乗った。ただし、新撰組ではなく高台寺党の一員として。

読んでみて、つじつまの合うところもあるけど、合わないところもあるね。
まあ、小説だから。

2014/6/24 21:32  [76-3121]   

>この時、斎藤一を尾行していた者が複数いて、これが見廻組であり、とどめを刺したのは見廻組だろうということ。

斎藤一は坂本龍馬に致命傷に近い傷を負わせただけで退却。とどめは刺さなかった。一撃で仕留める自信があったから、そういう習慣はないとのこと。
斎藤一が退出した後に見廻組が現場に入ってきてという話です。

これは斎藤一が実際に話していたかどうかは怪しいです。
実際に話していたのなら、坂本龍馬暗殺事件はこれほど謎の事件とはなってなかったでしょうね。

2014/6/25 00:49  [76-3122]   

斉藤一ですか、話としては面白いかも知れませんが新撰組の関与という可能性は低いはず。
 当時、龍馬は幕府若年寄(慶喜側近)の永井尚志と頻繁に連絡取っています。慶喜と容堂の仲立ちか大政奉還後の情報交換していたはず。
 幕府重臣と関係があるという情報は当然得ていたはずですし、公務としての暗殺は出来なかったと思いますね。事後、永井尚志自身新撰組から事情聴取していますし。

(龍馬年譜)
http://space.geocities.jp/kamito_ken/Sak
amotoRyomaH.html#Page8

(永井尚志)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E
4%BA%95%E5%B0%9A%E5%BF%97


 最近疑っているのは薩土密約との関係です。
 後藤象二郎と龍馬が山内容堂の命受けて薩土盟約結んでいますが、その少し前に中岡慎太郎の仲介で板垣退助主体の倒幕密約が結ばれています。結果こちらの方に向かうわけですが。
 龍馬の暗殺が小御所会議の半月前、土佐藩邸の向かいの宿で無警戒に入り込まれ殺されたのを考えれば土佐藩の関与はありえるかと。
 武力倒幕の薩摩と山内容堂の齟齬考えれば、今後の事思い龍馬を消しておく必要はあったのかも。

 案外、真犯人は中岡慎太郎かも。(穏健政権移行で慶喜が残り)換骨奪胎した形で徳川政権残さぬためにも、この方向で奔走する龍馬と容堂を小御所前に止めようとしたのでは。
 切合って龍馬はほぼ即死、中岡慎太郎は龍馬に切られた傷の悪化で相打ちとなったと考えてもおかしくはなさそうですね。
(薩土密約)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E
5%9C%9F%E5%AF%86%E7%B4%84

(薩土盟約)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E
5%9C%9F%E7%9B%9F%E7%B4%84

 幕末に関しては孝明天皇毒殺説に始まりいろんな怪説が挙げられていますね。
 和宮身代わり説というのは有吉佐和子の「和宮様御留」というのが有名ですが、最近は別の解き方している方もいます。こちらも読み物としては面白いですが。
 なお和宮の遺体に左手首がなかったと言うのは本当らしいですが、唯一の肖像写真には両手写っています。(写真については別人説もありますが)
 
(幕末 戦慄の絆 / 和宮と有栖川宮熾仁、そして出口王仁三郎)
http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?
isbn=9784396614935

2014/6/26 17:30  [76-3124]   

撮る造さん、こんばんわ。

一刀斎夢録に書かれている内容を全面的に信じているわけではありません。
細かいところでつしつまの合わないところもあるわけですよ。

中岡慎太郎ですか、これはちょっと無理があるかも。
中岡慎太郎の刀は別の部屋に置いてありまして、手元にあったのは短刀に近い脇差だけ。
ですから、坂本龍馬にあれだけの手傷を負わせるのは無理があるんじゃないですか。

土佐のほうは佐幕派・倒幕派・公武合体派が入り混じっていて、黒幕が土佐の人間ということは十分ありえるかと思います。
とりわけ、後藤象二郎のほうですか。

【歴史】 "定説より詳細" 坂本竜馬の暗殺、克明に記録された日記見つかる
http://narcissu.doorblog.jp/archives/245
72036.html


スレッドも残り少ないので、別の話を。

征夷大将軍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E
5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D

古代においては、天皇(すめらみこと)は政治の最高責任者でした。
ところが、平安時代あたりから少しおかしくなってくるわけです。政治の実権は藤原氏に。
この頃から武士が着々と力をつけてきて、鎌倉政権ができるわけですね。
明治になって征夷大将軍という職はなくなりましたが、政治の実権は臣下が持っていて、天皇に政治責任がないところは変わってないです。

豊臣秀吉について・・・ 秀吉はなぜ征夷大将軍の座につかなかったのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/
question_detail/q1257058527

2014/6/26 19:53  [76-3127]   


 戦国時代の系図などいい加減で、本当の出自のわからない大名が大半でした。
 秀吉が征夷大将軍になろうとすれば(家康のように)系図でっち上げれば良い訳で、政治的に右大臣の信長より高い官職が欲しかったのでは。農民出身の身としては公家にあこがれたのかもしれませんが。

 官職といえば信長の三職推任問題というのがあります。
 朝廷から3つの官職の何れかへの就任を求められ、信長からの回答があった模様。
 実際には信長からの要求があったと言う説もあるようですが。
(三職推任問題)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E
8%81%B7%E6%8E%A8%E4%BB%BB%E5%95%8F%E9%A1
%8C


 直後に本能寺の変が起こり、うやむやになってしまった感がありますが、彼は征夷大将軍・太政大臣・関白のどれを選んだのか興味は尽きないですね。
 
 どれも拒否して天皇補佐(摂政はまずいでしょうから)のような新職作らせ多のかも知れませんが、本能寺の変の遠因の一つだったのかも、と言う歴史学者もいるようです。
 安土城の謎も絡んで、この辺は推理すると面白そうなのは、いかにも信長らしいですがね。
(安土城)
http://www.nobunagaou.com/siro/2008azuti
2/

http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/zenko
ku/shiseki/kinki/azuchi.j/azuchi.j.html

2014/6/27 00:47  [76-3128]   

>ここでは、斎藤一は左利きであることも書かれてないね。

近江屋暗殺
http://www.ryoma-den.com/ryoma/omiya.htm
l

>斉藤一の新撰組復帰時期は諸説あるが、浅田次郎の壬生義士伝の中では、御陵衛士(高台寺党)としての斉藤説を唱えている。しかしながら、斎藤の左利き説自体が史実である可能性は低い

坂本龍馬暗殺は斉藤一…?
http://aze.cocolog-nifty.com/blog/2011/0
2/post-f562.html


坂本龍馬の傷の状況からすると、暗殺犯は左利きで居合の達人ということらしい。

斎藤一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E
8%97%A4%E4%B8%80

>子母澤寛が昭和4年(1929年)に発表した『新選組遺聞』に、斎藤一の口述を記録した「夢録」(むろく)という文書があると書かれており、研究者が探しているが、発見されていない。

ここでは、左利きらしき兆候はあるものの、確たる証拠というものはない。
浅田次郎の「一刀斎夢録」では、斎藤一は居合の達人でもあると書かれてました。
さらに、この本に出てくる斎藤一は恐ろしく饒舌である。
ところが、この本の中でも出てくる沖田総司には「だんまりの斎藤一」と言わせていて、矛盾がある。
wikiの人物像を見ると、スタートレックにでも出てきそうな風貌ですなあ。

ちなみに、
佐々木只三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E
3%80%85%E6%9C%A8%E5%8F%AA%E4%B8%89%E9%83
%8E

ここでは利き手について書かれてないから、恐らく右利きなのだろう。
武家の出で左利きであるならば、右利きに矯正されるはず。それでも、直らないやつはいるだろうが。

大石種次
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E
7%9F%B3%E7%A8%AE%E6%AC%A1

左利きですが、坂本龍馬暗殺時には既に死去しております。

>斎藤一は戊辰戦争に参加してなかったと思う。本にもそのようなことは書かれてなかった。

戊辰戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%8A%E
8%BE%B0%E6%88%A6%E4%BA%89

鳥羽・伏見の戦いから箱館戦争のことまでを言うのですか。
こちらは箱館だけのことだと勘違いをしておりました。
そういうことなら、斎藤一は戊辰戦争に参加してますね。

2014/6/28 16:03  [76-3130]   


 龍馬暗殺についてはいろいろ語られていますが、「誰の指令で」と「どんな目的で」というのが抜け落ちているのが多いですね。
 新撰組は会津藩配下の組織ですから、会津藩重役の命がなければ暗殺など出来ません。薩摩や長州のテロリストのように(誰かが)独自に暗殺したと言うのは無理がありそう。

 京都見廻組は直参なのでこの辺自由に動けたのかもしれませんが、誰かの命や依頼なしにという暗殺という事はないはず。(時期的に薩摩の依頼はありえないでしょうし)
 大政奉還後なので、幕閣で暗殺命じる者などいるのか?
 勝海舟が黒幕だったら高級ミステリーになりますが。


 また坂本龍馬のポジションとしても、彼自身(現代語られるような)高い政治的価値はなく暗殺は誰かへの警告(見せしめ)と考えるほうが現実的かと思いますね。
 政治テロに値するのは西郷、大久保、岩倉、久光あたりでしょうから。
 となると山内容堂への威嚇と考えるのは一般的でしょう。
 巷間言われている、佐々木只三郎が実行犯ということならば、この説はなくなりますが。

 あるいはいろは丸絡みのトラブルから、紀州藩士の仕業というのもありえますね。
 こちらだと、跳ね上がった藩士の行動なのか、上部の指示なのか。
 金絡みなら彼を暗殺する意味は充分ありますから。
 見廻組に依頼したなら、つじつま自体は合いそうですが。

 単純に考えれば、意外に海援隊内部のトラブルで暗殺されたという可能性もありそうです。

 まあこの時点では、もう(政治的には)いてもいなくても良い人物ですが、生き伸びてたら海運王として大富豪にでもなったのかも。
 そうなると、現代のような評価受けていなかったのでしょうね。悲劇的な死を遂げたからこそ英雄と崇められるので、成功して財をなし老衰して亡くなった人を偉人とは誰も呼ばないでしょうから。
 

 これで100になったので打ち止めですね。また新しいスレでお会いしましょう。 

2014/6/28 17:25  [76-3131]   

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