
縁側をご利用いただく際のルール&マナー集を用意いたしました
ユーザーの皆様に楽しくご参加いただけるよう、主に投稿時の注意点などをまとめています。
ご投稿の前には必ずご一読をお願いいたします。詳しくはこちら⇒「縁側 ルール&マナー」
紹介文
旅を忘れた「酒と旅」では洒落にならない。
かといって、コロナウィルスが衰えていないこの時期に、世間の風に背を向けてまで旅に出る勇気もない。旅は行く方も迎える方も互いの気持ちが通わなければ楽しめない。
その日までは旅行作家、吉田友和氏の半日旅を楽しみたいが、取り敢えず、何時もの散歩道やお気に入りの場所から始めてみる。
そして、その時々の想いを綴るため、この縁側を開設させて頂いた。

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不燃ゴミに思う
1億円貯まる人、そうでない人という記事が目に留まった。今更お金を貯めようと思っている訳ではない。どんな性格の人なら貯まるのか、少し興味をそそられた。
記事によると、貯まる人の家は玄関に入ると判るという。ここが綺麗に片付いている家庭は室内も整理整頓され、余分なものは何一つ置いていない。この人たちは衝動買いもしないし、安物は買わない。良いものを長く愛用するという。
不燃物の日には、惜しげもなく不要になったものが積み上げられている。これらを出した人は「億万長者」にはなれない方々だと思うと、つい笑ってしまった。
その典型が自分自身だということを、すっかり棚に上げている。
2021/4/24 10:16 [2355-38]

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5D | T1 | Pro2 | H1 |
つづき
季語について
マスクは冬の季語ならずと述べたのは、歌人の永田和宏さんである。冬の季語であった、マスクを失効させたのはコロナウイルスである。これは一時的な事象であり、この伝染病を克服さえすれば季語として復活する話である。
複雑な問題は、近年の異常気象である。二酸化炭素排出による地球温暖化の影響が、日本の美しい自然中から生まれた俳句の季語を失いかねない。
ここは南国。すっかり忘れていた桜前線も細長い日本列島を上り、道南で満開との報道を聞き、例年に比べ異常な速さに驚きを隠せない。つい最近、桜の花びらに雪の積もった映像を見た。
冗談ではなく、「雪桜」などという季語が当たり前になる日が来なければいいがと願う。
いま世界では脱酸素社会の実現に向け動きを強めているが、社会基盤を脱酸素型に転換するまでには時間を要する。
先ずは、塊より始めよ。己のカメラ遍歴に終止符を打て。
2021/4/29 13:46 [2355-39]

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八重の花 | 八重の花 | ドクダミの花 |
友とドクダミ
ドクダミの花が我が家の庭一杯に広がっていた。白くて清楚な花なのにクダミと言う異名を付けられている。この子にとっては嬉しい筈はない。どんな訳あったにせよ可哀そうに。
でも、別名は十薬とも言われ、薬草として重宝されている植物である。
隣に住む娘が、そのドクダミを刈り取っていった。老夫婦に代わって厄介者を取り除き、庭の清掃をしてくれたのなら嬉しいが、そうではない。アトピー性皮膚炎に悩む自分の長女に塗る薬草として使うためである。いずれにせよ、庭は奇麗になった。
今は亡き植物学者でもあった友人が、北山から八重のドクダミを発見し、興奮して帰ってきたのは、つい5年ほど前のことである。根のない一輪を貰い植木鉢に刺した。それが今も鉢植えのまま咲いている。
彼が興奮したのもの頷ける。何処かで咲いているかもしれないが自分の知る限り、八重の花咲くドクダミは、我が家以外で見たことはない。
発見者の彼の家にも。
2021/6/9 19:58 [2355-45]

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父の日
最近カメラに興味を持ち始めた孫娘。じいじ、広尾(東京)の叔父ちゃんから父の日のプレゼントよと、小堤を抱えて来た。開けても良いといって取り出したのはEOSーRPだった。長男からライカを買って送るが好きな機種を知らせ、との連絡があり、ライカは欲しいが要らない、EOSーRPがいいと返事していた。
この裏話を孫娘は知らない。私も使っても良いと聞いたので、良いよと答えた。来年は高生、写真部を視野に置いている様子だ。中高一貫校なので先輩の活動を見ているのだろう。
さて、EOS-RPは、ずんくりむっくりしている5Dシリーズからすると、小くスリムになったボデイはスタイルも文句なし。キャノンに慣れ親しんでいることもあり、取扱説明書を見なくても直感で操作できるのは流石である。手持ちのEFレンズも生き返るが、アタプターは1ヶ月待ちである。
ありがとう。
2021/6/29 15:16 [2355-46]

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小さな菜園
物も言いよで角が立つ、豆腐も切りよで丸くなる。半世紀も前に受けた新規採用職員研修は、こう切り出された。講師は、女性に対し「あなたの足は大根足だね」と言えば他人ならず近しい人でも気分を害される。
だが「大根のような白い足」と言えば少し柔らかな表現となり、大きな失言とはならない。多少の嫌味は残っても苦笑程度で終わる話だ。物を言うときはよく考えてから口に出すべし、と教わった。あれから50年、数えきれないほどの失言を重ね、今、老いの坂を越えようとしている。
収穫を終えたトマトの株を引き抜き、猫の額ほどの跡地を耕していると、小学3年生になる孫娘が「ジャガイモ」と聞いたので「大根」と応じた。
跡地には作りやすい青首大根を蒔くつもりだったが、何故か心変わりして白首大根を蒔いた。
2021/9/20 16:45 [2355-49]

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而今
今を大切に生きる。人生第四コーナーをまわり、ゴールまであと一鞭というところで、やっと而今の本当の意味と大切さを思い知る。
フランスの著術家、ラ、ブリュイエールの「人間にとつて、ただ三っの事件しかない。生まれること、生きること、死ぬことである。生まれるときは気がつかない、死ぬときは苦しむ。生きているときは忘れている」、これも而今と同様、人生の終盤でやっと理解できる言葉だ。
人生において過ぎ行く歳の速さやその速度、感覚は年代によっうて変わる。少年期から青年期は、一年は永遠に繰り返すことを疑わない。壮年期は、この一年が何十年も続くことを信じている。老人も人生の終盤に来たことは理解しているが、自分は「まだまだ」と思っている。だが無情にも人や動物に例外はない。
人生の終盤は、まさにつるべ落としだ。
2021/11/24 14:25 [2355-51]


