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「縁側」-みんなが作る掲示板-からのお知らせ
縁側からのお知らせ

縁側をご利用いただく際のルール&マナー集を用意いたしました
ユーザーの皆様に楽しくご参加いただけるよう、主に投稿時の注意点などをまとめています。
ご投稿の前には必ずご一読をお願いいたします。詳しくはこちら⇒「縁側 ルール&マナー

紹介文

建ててみました。
取り敢えず、誰でも書き込める状態にしますが、刑事訴追の恐れがあるとかなら、ポリシー変更の権利は留保します。

今のところ、時事ネタがメインテーマです。

主張なら、ソースなり、論理なり、を明示して書いていただければ、と思います。
感想なら、できるだけ短くお願いします。
共に、ヒデェ(特に同じことの繰り返し)と思ったら、サクッと削除します。

なお、カメラ・写真の話は、基本的には、カメラスレでお願いします。ただし、写真論のような俯瞰的な話は、メディアスレでお願いしたいと思います。カメラ業界系の話は、カメラ板でお願いします。どうしても言うなら、銘柄ボードスレで(^^)/

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あれこれどれの縁側の掲示板に
あれこれどれの縁側の掲示板に新規書き込み

メディア論・作品論・作家論のスレッドです。
ここで作品とは、おおよそ、表現と名が付くものなら何でもあり。
メディアについても、表現の媒体になり得るものなら何でもあり。
作家の定義は難しいのでパス(^^;)。従って、何でもあり。かも?

出典は忘れたのですが、最初のメディアは沢山集まった人間だ、と言うのがあって、それが印象に残っています。
個人的には、メディアのあり方として、仮ですが
向き合うもの(いわゆる、インスタレーション?)
書かれる(た)もの(いわゆる、エクリチュール?)
語られる(た)もの(いわゆる、パロール?)
みたいな「極」と言うか「軸」というのがあるのかな、妄想しています。具体的なメディアや作品や作者は、どこかに位置付けられる?

実際、その作品や作家はそのメディアの特性をどう引き出しているのだろうか、みたいなことを思うことがあります。メディアミックス展開なら、なおさら。あと、印画紙とディスプレイの違いとか。

もっとも、皆さんにおかれましては、そういう、妙な思惑は置いといて、気になっている、メディアについて、作品について、作家について、気ままに語っていただければ、と思っています。

一言?だけ
正直言って、ちょっと勘弁して( ´△`)、というトピックもあって、いくつか、例示しておきます。

便所の落書きは作品か否か?
XXというレンズ/カメラ/メーカー/カメラの様式は「空気」を撮し取れるか?(作家はその限りではないかも?)

とりあえず、盛大な書き込みをお願いいたします。

2018/12/28 21:11  [2194-1790]   

 めろん王さん  

私は後で見返したいと思う記録が載っているか、よほど残したいと思わないと本は捨てちゃいます。
それとプレミアが付いてる本かな。
私は読む時に邪魔なのでカバーを外しちゃうんです。
その日のうちに読み終わる漫画はキレイなので古本屋で売りますが小説や活字本はたいていボロボロになり捨てちゃいます。
中にはもう一度読みたいと思う本もあり買い直したりすることも珍しくありません。
貴志祐介が書いた【青の炎】は10回以上買い直してるんじゃないかな?
1番長く手元にあったのは小学生の頃に買った藤子不二雄の【ポコニャン】でした。
35才ぐらいまであったと思ったけど実家に置いてたらいつの間にかなくなってました。
今ある中で1番古いのはカールセーガン、アンドリューヤンの共著【ハレー彗星】かパソコン雑誌の【コンプティーク】です。
【コンプティーク】は捨てる機会を失っただけですがたまに開いてノスタルジーに浸ったり、違う人生を選んでたらどうなってただろう?とか空想したりするのに役立ってます。

【キャントバイミーラブ】と【タイムアクセル】という映画が好きですが【キャントバイミーラブ】は海外版とVHS日本語吹替版しか持っていません。
【タイムアクセル】はVHS日本語吹替版とVHS字幕版を持っています。
両方とも日本向けDVDが発売されてなかったり高かったりしてDVDを買えないんですよね。

DVD化されてませんが所有したいと思っている映像は【世にも奇妙な物語 過去からの日記】と【泣きたい夜もある 僕だけの女神】です。
この2つはキレイな映像で手に入るなら50000円ぐらいまでは迷わず購入します。

2018/12/29 07:16  [2194-1801]   

私は、もう読まないとわかった本は、まとめて、ブックオフに売りに(自分の中では捨てに)行きます。
ダンボール箱単位ということで、車に載せて自前の台車も積んで…。
それ自体は、ブックオフ以前からやっていたのですが、その当時は、世の中的には異端だったようで、古本屋さんからは、怪訝な、下手すれば敵意を含んだ、目で見られたものです。ブックオフが普通になったことで、ようやく、時代が私に追いついたのだ、とか思ったりしました。(*^^*)

本と言えば、日本の場合は、電子ブック化が遅々としているように思います。新刊は、まず紙で出して、みたいな感じで、電子ブック版を待ちきれず、紙バージョンを買ってしまうことも多々あります。で、手元におきたくなった本は、結局、電子ブック版を買い直すとか…。

電子ブックですが、この前、読まないのを、まとめて、捨て(クラウドからも削除し)ました。それでわかったのが、今のところ、電子ブックこそ、自分で手を下す必要がある、という、単純な事実でした(笑)。

2018/12/29 07:56  [2194-1803]   

藤子不二雄と言えば、「分裂」で有名ですが、公表前には、一般読者の間では、どんな憶測が出ていたのだろうか?
ウィキペディアによると、「白い不二子」、「黒い不二子」、みたいな話は出ていたようですが、絵柄の違いによる指摘(「純化」とか)については、どうだろう?
改めて、ざざっと比べてみたのですが、私のボンクラな目には、さほどは…(*_*;)
もちろん、キャラやストーリーに合わせた、みたいなのはあるけど。

多分、他の人の作品だと思うけどこんなのも…どちらかというと、藤子不二雄(A)風?
https://bokete.jp/odai/3423298

コミック作品の属人性って、一義的には、どこにあるのだろうか?
メディアでは、一概に、一括りにはできないものだろうか?

2018/12/29 10:08  [2194-1806]   

ブックオフと古本屋さんの関係とは別の場所、物語を公開する場はインターネット時代で変化だね。

インターネットでラノベ?公開Webサイト?が幾つも存在する様だ。
以前は本の会社に原稿を持ち込んで本にして貰えるかだったんだろね。

しかし、ラノベのWebサイトでは、1話1話連載されるなかで、
サイトに登録された人々が感想や意見を作者に発信出来る様だね。
編集部がインターネットに広がった感じなのかもね。

で、Web版が書籍版やコミックス版やアニメ版と進行しBlu-ray版やDVD版に成って広がってる様だ。

Web版から親しんだファン層は書籍版やコミックス版やアニメ版と進行して行くのを
見守れるんだろうね。

2018/12/29 11:07  [2194-1809]   

 めろん王さん  

えっ!?
古本屋にダンボールで持ち込むと白い目で見られるんですか?
普通にやってた、、、
3箱とか。
藤子不二雄め1番好きなのは【カンビュセスのクジ】てすがどっちなんだろ?
Aかな?
Fかな?
ラノベもいいけど味が出てるのは小説かな?
【ぼくは明日、昨日のきみとデートする】と【時尼に関する覚え書】を読み比べると感じやすいかも。

2018/12/29 13:37  [2194-1820]   

 めろん王さん  

電子書籍ですがKindle paperwhiteの画面はいい雰囲気で気に入りました。
しかし検索が大変。
結局、埃をかぶってます。
日本語の読み上げ機能が付けば利用したいんだけどな。

2018/12/29 13:55  [2194-1823]   

売っている本を見ても、まぁ、普通っぽい感じのところばかりなのですが、地域差かも?
今は、ブックオフに押されて残ってはいない気がします。

「カンビュセスの籤」は、藤子・F・不二雄みたいです(名義は藤子不二雄)。
藤子不二雄に関するウィキペディアの記述によれば、彼が青年向きをやってみた時期の作品のようです。
絵柄はこんな感じ。やっぱり、F?

https://twitter.com/uran120/status/97426
8605427679232

https://twitter.com/kuno_toriazo/status/
869972841642377216

2018/12/29 13:59  [2194-1824]   

Kindle PaperWhiteは、いまだに、愛用しています。
普段使いのタブレットがでかいので、持っていくのが億劫なので。
どうしても、電子移動になることも多々あるので。(^_^;)

写真と比べて、本は、紙とディスプレイで、あんまり、違う感じがしないのは、なぜだろう?
それとも、そう思うのは私だけ?

2018/12/30 17:25  [2194-1863]   

ラノベですが、インターネットで発表という場合、普通は、スマホで見ることが前提のように思うのですが?

# 実は、ラノベどころか、小説はあまり読まない(特に最近は…)(-_-;)
# 小説といえば、最近、読んだのは「帰還兵の戦場」シリーズくらいか…
# そもそも、洋物(の翻訳)が主体なので…

スマホと本やタブレットでは、見た印象がまるで違う気がします。その昔、いわゆる、ケータイ小説を単行本化しようとして、かなり、苦労した話を出版社関係の人から聞いたことがあります。
今は、最初から、スマホでも本でも行けるような文章作法が確立されているのかな?

ウィキペディア的には、ラノベについては、いわゆる小説との違いは曖昧だとか書いてあるようです。最初から単行本化されているのを前提にしたような感じですが、この理解の方が正しい?!

2018/12/30 17:59  [2194-1864]   

紙という物と液晶モニタなど発光物体とでは、
人間の目に映る印象が異なるのでしょうね。

CRTや液晶モニタは表示は垂直同期周波数という存在があり点滅しているのだろうと思う。
DisplayPortの登場で垂直同期周波数固定の楔から解き放たれるのか?

それに、光の三原色と、色の三原色は、異なりますよね?
赤・緑・青と、マゼンタ・イエロー・シアンの、三原色の違いは永遠に相まみえないか。

2018/12/30 18:52  [2194-1867]   

元々は、スマホと本屋タブレット、ということで、表示範囲の違いを言ったつもりです。(^_^;)
紙とディスプレイ、そんなに違いますか?
個人的には、あんまり違いは…。むしろ、PCとタブレットで、タブレットは縦表示ができるのが、大きな違いと感じてます。PCにもKindleアプリは入れていますが、コンテンツのメンテ(削除)とか購入にしか使わないです。
この辺は、個人差が大きいのだと思います。

電子ブックといえば、日本語コンテンツで固定レイアウトが多い(ほとんどすべて?)が気になっています。可変レイアウトだと、PCでも見ても読みやすいことも多いので(今の所は横書きのみ)。
これは、縦書き(または日本語表示?)の根源的な問題なのだろうか?単なる出版社の手抜き?

2018/12/30 19:59  [2194-1870]   

 めろん王さん  

私は紙とディスプレイは大きい違いを感じます。
Kindlepaperwhiteはいい感じに思いましたがタブレットやスマホは嫌な感じしてます。

2018/12/30 20:44  [2194-1872]   

これもメディア論の守備範囲?

テレビ局は危機対応が遅い「茹でガエル」だ
スカイマーク佐山会長「まだ危機感がない」

https://toyokeizai.net/articles/-/253337


個人的には
もう遅い!!
の一言に見えるけど…

本来、放送が意味を持つのは、元々、ニュースとか(CMを含む)アナウンスに限られると思うし…。ドラマとかも、新作のアナウンスメディアと割り切って、あとは、VODで稼ぐ(もれなくCM付きにして客からは金を取らないとか…)モデルにして欲しい。

2018/12/30 20:45  [2194-1873]   

これも、Kindle版への誘導の一環?!

アマゾンの「あわせ買い」、対象拡大で雑誌に波紋
https://www.sankei.com/life/news/181230/
lif1812300028-n1.html


そうなると、いわゆる、大判雑誌はやりにくくなるような気がします。実際、大判雑誌の類のKindle版を何回か購入したことがありますが、極めて見ずらかった…(>_<)ので、この前、クラウドからも、バッサリ、削除しました。元々、雑誌は買わないのですが…。例外は、NewsWeekの日本語版くらいか。これもそういう理由で紙で買って見ています。

フォーマット(仕組み)の面からも、出版物の変革は進むような気がします。
大判雑誌(相当)は、スマホで受けてTVに映す、とかですね。それで、中型TVの高精細化は進むかもしれません。2Kだと解像力が足りないのがわかると思うので。それが、コンテンツそのものに作りにも跳ね返ると思います。

2018/12/31 08:06  [2194-1883]   

めろんさん

> 私は紙とディスプレイは大きい違いを感じます。
> Kindlepaperwhiteはいい感じに思いましたがタブレットやスマホは嫌な感じしてます。

どんな感覚でしょうか?
よく言われる、ギラつき感みたいなものかな?

私自身は、長年のVDT労働のせいで感覚を痛めたのか(^_^;)、あまり、違和感を感じないのですが…。
もちろん、Kindle paperwhiteが、割と暗いところで目に優しい、というのは、感じます…。

2018/12/31 10:00  [2194-1889]   

大判雑誌の件ですが、TVに飛ばす以外に、VRで見るというのもありそうですね。こちらの方が主流になる?
VRで見ることで、印刷物では、いまいち、希薄だった、インスタレーション性(向き合うものとしての意味)が出てくるような気がします。

写真の鑑賞に対して、俺の写真は大きなパネルに伸ばして見てくれ、みたいなことをおっしゃる人がいるようですが、そういう人々は、写真のインスタレーション性を重視しているような気がします。VRではどうなのだろう?やっぱり、不満なのかな?

2018/12/31 10:09  [2194-1890]   

 めろん王さん  

感覚なんで言葉で表現しづらいです。
ギラギラした感じというのはありますが他にもあるような、、、

2018/12/31 11:28  [2194-1895]   

めろんさん

そうですか…。
私の場合、マジで、感覚が鈍磨しているようです。
なので、VDTでの目の疲れについては、タイマー等で監視していないと…(;_;)

テキストとかだと、表示遅れとか残像とかは、あまりないような気もしますが。

2018/12/31 14:46  [2194-1910]   

 富士山3776mさん  

・ジャイアント馬場展 

渋谷東急本店でジャイアント馬場展見に行って来ました、ちなみに無料、等身大ジャイアント馬場が飾ってあったけど、本当にデカイですね。特に靴はデカイ。

展示品は、当時ポスター、名場面の写真、チャンピオンベルト、トロフィー、シューズ、ガウン等々、巨人時代のユニホームもあった。

馬場さんの現役時代を生で見たかった。

ところで書き込みはココで良かったのでしょうか?ちょっと違う気もする?

2019/1/5 00:24  [2194-2061]   

 富士山3776mさん  

・NHKスタジオパーク

入場大人200円、朝ドラや大河ドラマのポスター、名場面、実使用小道具台本等々、あと子供向けコーナー、スタジオパーク実使用のスタジオにも入れました。

懐かしかったのは、あまちゃんモロモロ、真田丸のオープニング曲、新選組、八重の桜とか。

今年のオリンピックをテーマにした大河ドラマも売り出してました。

私はやっぱり、あまちゃんが好き、当時は録画して一日3回くらい見ていた気がする、続編作ってくれないかな?

2019/1/5 00:35  [2194-2062]   

 富士山3776mさん  

・フェルメール展

上野の森美術館にてフェルメール展を見て来ました、今回は”牛乳をそそぐ女”が来ていたので絶対に見に行きたかったです。

正直ジャイアント馬場展、NHKを見た後なのでだいぶお疲れで、感覚が鈍っていたのが悔やまれる。

前回フェルメールの作品を見た時は、その時代に一瞬タイムスリップしてその場に居る様な気がしたけど、今回は同じ作品を見てもそこまでは感じなかった、疲れていたからでしょうか?

今回フェルメールの作品は8点来日していたけど、特に良かったのは、”牛乳をそそぐ女””手紙を書く女と召使”の2点。

フェルメールの作品で私が感じるのは、写真の様な瞬間の静止画では無く、その時代の一瞬の空間を捉えた作品に感じるんですよ、あとフェルメールは椅子に座って書いていたのか、目線の位置が意外と低いんですよね。

絵は正直小さいけど、本当に素晴らしい作品でした、写真では表現できない空間を描く画家ですね。

ちなみに、ジャイアント馬場展は男性が多数派、NHKは子供連れが多い、フェルメール展は女性が多かったです。

2019/1/5 00:56  [2194-2063]   

3776さん

どうもです。

> ところで書き込みはココで良かったのでしょうか?ちょっと違う気もする?

良いのではないでしょうか。
ジャイアント馬場と言えば、創成期にあった日本のテレビメディアの超優良コンテンツの一つであったことには違いがないので…。かなり、強引かな?

> 馬場さんの現役時代を生で見たかった。

当時の記録映像などを見ると、本当に人々がテレビの前に釘付けになっていますね。
個人的には、芸人のイジリネタ、というイメージが強いのですが。(^_^;)

2019/1/5 07:49  [2194-2064]   

3776さん

> フェルメールの作品で私が感じるのは、写真の様な瞬間の静止画では無く、その時代の一瞬の空間を捉えた作品に感じるんですよ、

おそらく、本人には、その気は「なかった」と思うのですが…。でも、その作品は雄弁に時代(の一瞬)を物語っている…。
よろしければ、もう少し、書いていただければと。(^^)/

写真が切り取る「時代」と、絵画が描き込む「時代」…。なんとなくわかる気もするのですが、それはどういうこと?、と考えるとわからなくなってきた(^_^;)。私の感性の程度に問題があるのでしょうね…(自爆)。

> あとフェルメールは椅子に座って書いていたのか、目線の位置が意外と低いんですよね。

なる。

2019/1/5 08:11  [2194-2065]   

写真と絵画…
ググってみると、こんなのが…。ちょうど、フェルメールが引き合いに出されています。

http://photocell.la.coocan.jp/kaiga1.htm
l


フェルメールは、カメラ・オブスクラというものを使って下絵を作ったようで(この話、前に見たような気がする…)、視点が低いのはそのせいかもしれないですね。こういうツールで、人間の目の高さ、というのは、かなり後の時代の話のような気がします。

P.S.

本当の写真を下絵に、と言うと、ドガなんて人が有名だったような?
カメラ・オブスクラと違って、カメラはレンズを使うので、レンズによる画像の歪みも、しっかり、描き込まれていたみたいです。

2019/1/5 12:20  [2194-2076]   

風の谷のナウシカ
たまたま、東京地方で(?全国?)放送されたので、録画して見ました。
見返して、ほとんど、小学生の感想文(自爆)ですが…。

[2194-1991] でめろんさんが

> ジブリは所詮アニメなのに売れ過ぎて変にテーマが後付けされちゃった気がする。

と指摘されたように、この作品、そんなにテーマ性が重要かつ先進的(だった)のかな、と感じました。元々は、それほど感じていなかったし。

もちろん、最初に作られた時から、かなりの時間が経ってからの視聴なので、その間の価値観や知見の変遷があるので、フェアではないのかもしれません。また、作品のテーマ性とかは、受け取る側が「発見(往々にして創作や悪くすると捏造)」するもの、という側面があると思いますから、世の中の解釈が間違っているという気はないです。

ビジュアルは、いつ見ても見事、というのは当然として、前に見た時から思っていたのは、ナウシカとトルメキアの皇女クシャナとの関係性です。エピローグは、何を表しているのか、みたいなことです。風の谷のリーダーとなるナウシカは、クシャナから、リーダーとしてあるべき、胆力や常に大局を(も)見ていること、を学んだのかも、と思いました。ナウシカは、元々は、ボトムアップな見方をする(それゆえに鋭い観察眼を持つ)と言うキャラ設定だと思います。
印象に残ったのは、クシャナがクロトワに、巨人兵を「今使わずにいつ使うのだ」と言うシーン。これ自体は、指揮官とその部下(クロトワって、思ったより偉いのですね…初めて知った…)の視点の違いを語るもの、としてありがちだと思いますが、ここがキャラを語るポイントかもです。

P.S.

ウキペディアによれば

「原画として参加した庵野秀明は、後に作中の登場人物クシャナを主人公にした外伝を作りたいと申し出るが、宮崎駿は庵野の企画を「戦争ごっこをやりたいだけなのだ」とし、「くだらない最低のものになるのが決まっているから」と却下していた。しかし2011年頃になって宮崎がアニメ映画『風立ちぬ』制作中に体調不良で病院で検査することになり、その際に死を覚悟して心変わりを起こす。庵野が『風の谷のナウシカ』をやることを許す気になり、宮崎は自分も亡くなった人の作品を原作にやりたいようにやったのだから、庵野もやるのなら原作通りではなく好きなようにやることを希望した。」

この辺は、宮崎駿と庵野秀明の、良くも悪くも、世代の違いを反映しているのかもしれない、と思います。

2019/1/5 17:15  [2194-2090]   

 めろん王さん  

宮崎駿は漫画のほうでアニメとは違うテーマを描いてると思うんです。
アニメは人類の自然破壊に対する警鐘。
漫画は皮肉な描写?
正義や悪じゃなく1個の命のふてぶてしさや、それぞれの種族の立ち位置の変遷、ありのままの現実?
私はそれぞれの思想というか価値観には上下はないと思いますが同じ作品でテーマが変わるとこを見ちゃうと取ってつけたようなメッセージなんだろうなって思っちゃいます。
それが悪いとは言いませんけどね。

2019/1/5 20:22  [2194-2097]   

実は、コミックの方は見たことがありません…(*^^*)

> 同じ作品でテーマが変わるとこを見ちゃうと取ってつけたようなメッセージなんだろうなって思っちゃいます。

私は、かなり、ひねくれているようで、取って付けたメッセージで本当に悪いのか、と思ってしまいます。
世の中の「作品」って、すべからく、メッセージを読み取るべきもの、もっと言えば、そこで評価すべきものか?です。

もちろん、それはメディアによっても違うとも思っていて、とにかく金がかかって、結果、スポンサー(いわゆる社会主義国なら政府の類)の発言力が大きい映画(アニメを含む)では、メッセージは、スポンサーが許すもの(往々にして取って付けたもの)に限定はお約束、小説とか絵画みたいな属人性の高い(とされるもの)は、メッセージという切り口(それ自体は陳腐なものでも表現みたいなところ)で勝負しなくてどうする?みたいな偏見を持っています。

とは言え、映画やアニメでも、そこに(しばしば作品のメッセージとは異なる)独自のメッセージを潜り込ませられるのが、本当に「できる」作者なのだし、そこを読み取れるのが秀れた受け手なのかな、と思っています。そう思っただけで、どうなるものではないですが(自爆)。ただ、批評なんかは、そういう観点から読んでいたりします。眼から鱗が落ちた錯覚にも浸れます。

特に、表面的なメッセージとかモチーフだけで、乱暴に断罪するようなのには飽き飽きしています。ロボットものの戦争(バトル)アニメだから、好戦的、とか。好戦的と見えるのは、要するに現実が平和だから平気で書ける、で、あって、それゆえ、戦いは、いわゆる、書き割りみたいなものと思う方が、正しい見方だと思うのです。

そういう観点からすれば、コミックの方が、宮崎駿の生のメッセージに近いのだと思いますが、見たところ、どんな感じですか?何が新しくて何が興味深いか、彼は本当は何がしたかったのか、みたいなことです。

2019/1/5 20:52  [2194-2100]   

 富士山3776mさん  

ジャイアント馬場展、SNS OKと言う事なので、画像UPします。

戦後、力道山がプロレスのスーパースターとなり、次の時代を築いたのが馬場さんと猪木さん。

この二人の存在でプロレス界は大いに盛り上がった。

2019/1/6 00:33  [2194-2106]   

 富士山3776mさん  

フェルメールは1632年にオランダで生まれる、日本の関ヶ原の戦いが1600年だからその32年後と言う事、つまり400年近く前の作品ということになる。

約400年後の人を感動させるフェルメール作品、恐るべし。

2019/1/6 00:57  [2194-2107]   

> 約400年後の人を感動させるフェルメール作品、恐るべし。

なのですが、そう感じるのは、一つには、我々、日本人が、明治維新みたいな、文化的な断絶を経験していることも大きいのかな、と思います。広く言えば、Western Impactというやつです。それで言うと、「中国の夢」とか抜かしている、中国も、そういうところでは、相当に「洋化」が進んでいて、「日本文化はツギハギだけでできていて、所詮、根が浅い」なんて抜かすのは片腹痛いかもです(暴言)。
当のヨーロッパ人にとっては、400年前は、昔には昔だけど、さほど、断絶した感覚はないのかも、と言う気がします。フェルメールの時代というと、絵画技法的には、現代と連続性があるようです。

文化の強(したた)かさ、というと、むしろ、インドだと思います。日本や中国と違って、インドは、丸ごと、イギリスの植民地になったわけですが、例のインド映画なんかは、400年前に映画があったとして、こんなのを作っていたんだろうなぁ、みたいに思えます。あと、見事に、カトリックをねじ伏せた、マヤ文明とかも?

なお、日本だと、1000年以上(近く)前に?!、と思ったのは、京都の三十三間堂に置いてある、木像のいくつかです。クソがつくほどのリアリズムの極致みたいなのがあります。立体なので、ある意味、「不気味の谷」の領域かもです。何年か前に、六本木ヒルズで見た、ティム・バートンの作品(フィギュア)みたいな感じでした。その時代に、宗教に様式化されない作り方ができたのも、日本文化の持ち味なのかもしれません。

2019/1/6 07:59  [2194-2109]   

昔?のプロレスのイメージというと…
アメリカ(とメキシコ)、(今で言う)裏社会、覆面(発祥はメキシコらしい?)
ですね。(^^;;

この中で、健在っぽいのは、覆面かなと思います。ザ・グレート・サスケ、とかも健在なようです。また、いわゆる、地方プロレスには多いようですね。
なんとなく、今は絶滅が危惧されているらしい「ナマハゲ」なんかに通底する気もする(マレビト信仰というらしい)のですが、どうだろう?
考えすぎ?

2019/1/6 09:38  [2194-2111]   

作品のメッセージ(テーマ)性と言うと、ゴジラを思ってしまいました。(*^^*)/

ハリウッド版(新バージョン)の「Godzilla」は、非西欧世界の台頭(の脅威)、みたいなのがテーマ(それに対して西欧世界はどう立ち向かうべきかがメッセージ)、「シン・ゴジラ」は、日本のトップダウンの意思決定の頼りなさとボトムアップの底力、がテーマ(その底力の対処範囲をも凌駕する脅威に対して何ができる?と言う問いかけがメッセージ)、だとは思います。共通するのは、アメリカと日本の立ち位置の違い、で、二つの価値観の通訳的立場のキャラが、ハリウッド版の渡辺謙、シン・ゴジラの石原さとみ、かなと思っています。

旧バージョンのハリウッド版も基本的には同じですが、旧バージョンでは、ゴジラは、西欧世界への闖入者的立場だった(ので、侵入者として根を張ってしぶとく居座ることが示唆されている)のが、新バージョンでは、正面切った脅威に昇格した感じです。続編は、ハリウッド版の方が意識している感じで、実際に、「King of Monsters」では、ぞろぞろと出てきて、さらに「多極化」するようです。「シン・ゴジラ」の方は、続編があるとすれば、日本の「国のカタチ」のままでは根源的に対処不能な脅威が相手になる?、のかもしれませんが、それは、もはや、普通の意味の「ゴジラ」ではないような?

あと、ゴジラのテーマについては、1954年版について、「三角関係清算殺人説(つまり、水爆云々は表面的な話だった!)」と言うがあって、これが公開当時から指摘されていたのか、ネット発祥なのか、さらには、「ゴジラvsデストロイア」の設定に関連して関係者が意図的に流したのか、わかりませんが、確かに…、と思いました。

殺人といっても、手口としては、相手を自殺に追い込む、です。三角関係清算ではないけど、「エデンの東」と似てる?

2019/1/6 10:35  [2194-2114]   

 富士山3776mさん  

フェルメールの作品は1650年〜70年がほとんどだから約400年前と言うより約350年前かな。

作品に出て来る壁や床、窓、シャンデリア、机、椅子、パン、服、布等々、350年前でもこのレベルとは改めて西洋文化に驚きを感じる。

2019/1/6 10:58  [2194-2115]   

宮崎駿について

この人の作品を見て感じるモヤモヤについて、ちょっと、考えて見たのですが、この人って、いわゆる、西欧文明的な見方を自明のものと内面化しているのかな、とも思いました。なので、西洋文明世界と非西洋文明世界の対立みたいな構造(のメタファ)が読み取れなくて、モヤモヤを感じるのかも?
飛ぶときは、いきなり、西洋も東洋もない、文明以前の原始に飛ぶ、みたいな感じです。

同じ、ジブリでも、高畑勲は、日本自体に深くフォーカスしている感じで、むしろ、こっちの方がわかりやくすく感じるのかもしれません。

それに対して、もう少し、世代が下の、庵野秀明、押井守、大友克洋、とかは、明らかに意識をしていると思います。オクシデンタリズムまでは感じないけど。単に海外セールスを意識しただけかもですし。

宮崎駿と同じ感じ(臭い)は、実は、ファンの間の「代理戦争」で名高い、手塚治虫にも感じる。(^^;;「火の鳥」も、あんまり、東洋的な感じは受けなかったし。永遠とか輪廻転生を扱っている割には。

やっぱり、浅い…、かな?

2019/1/6 12:19  [2194-2120]   

そういえば…
日本を舞台にした、外国、特にいわゆるハリウッド、映画について、皆さんのイメージは?
そんなに大した数を見ている訳ではないのですが、印象に残ったのが…
別スレに書いた
キル・ビル
 日本のデフォルメの仕方が秀逸・圧巻の一言 「CARS 2」みたいなのは論外だけど

ブラック・レイン
 特に最後の空撮映像が印象に残っています。いかにも日本、という感じで。

ミスター・ベースボール
 こっちは、むしろ、今との対比で見ると面白い? NOMOの数年前なんだ!!
の他

ロスト・イン・トランスレーション

 とにかく、日本人(それもクリエーターの類!!)がいわゆるコンテキスト(というか、内輪のあ・うん)依存症なのが、グロテスクなまでに描写されていて…(-_-;)。当然、通訳がつくのだから、日本語で言えれば良いだけなのですが?
もちろん、作品のテーマは別なのですが、監督さんの半自伝でもあるということで、日本での疎外感(生きにくさ?)の原点なのかな元凶なのかな?

あと、

ワイルドスピード X3 TOKYO DRIFT
これは、いい意味でチープで面白い。主人公の無理感ありすぎとか…。実際に、日本のいわゆる、ドリフトは、世界的には奇異なようです。その中で、主人公に手を差し伸べるのが、在日韓国人のチューナーという設定も、娯楽映画のスパイスとしていい感じでした。

SAYURI
日本では酷評されているようですが、私にとっては、あまり、違和感なく見られたし、良い作品だと思います。着物の左前と右前って、そんなに重要か? ウィキペディアの記述は左前だけど、右前では?

ひどいと思ったのは

ウルヴァリン SAMURAI
ラスト サムライ

どちらも、舞台が日本である必然性が、いまいち、ピンとこなかった。やるなら、メガシャーク vs ジャイアント・オクトパス、くらい突き抜けないと?
細かいことは忘れたけど、こっちの方が、なんか、日本を感じるものがあったような気がします。

あとは、パシフィック・リム。
こっちは、日本自体はいわゆる書き割りに徹している感じで、それなりに、見れると思います。それでも、日本がアメリカの全き「保護」下にあること、中国人のめちゃくちゃなバイタリティ、とかきっちり押さえています。
ちなみに、この作品、出てくる怪獣(KAIJU)の造形が、いかにも、何らかの知性によって作られた(という設定である)ことが、第一印象でわかる、秀れた造形だと思います。この辺は、日本映画が追いつけない、ハリウッドの実力、かなと思います。

他にも色々と見た気もするけど…(^^;;

2019/1/7 20:36  [2194-2153]   

 めろん王さん  

日本が舞台ではなかったけど【ハワードザダック】かな?
どんなに認められても日本は子分扱いがせいぜいなんだろうなって思った。

水野広徳の全巻集が欲しい、、、
廃盤になる前に。
しかし10万円OVERか、、、
この人の本は少ない。
私が持ってる【此一戦】は仮名遣いが古くてライト感覚で読めない。
現代文のを買おうかな?

2019/1/7 20:48  [2194-2155]   

 富士山3776mさん  

日本じゃないけど昔の映画なら

・ローマの休日
オードリーヘップバーン最高です。

・明日に向かって撃て
ポールニューマンとロバートレッドフォードがカッコいい

・猿の惑星
コーネリアスの名が忘れられない、面白かった。

昔の映画はラストシーンが面白かった、明日に向かって撃ても猿の惑星も衝撃的なラスト。ローマの休日の”ローマ”も良かった。

幸せの黄色いハンカチもラストが良かったね〜。



2019/1/7 21:48  [2194-2158]   

明日に向かって撃て

何と言っても、音楽ですね。印象に残っているのは。
「雨に濡れても」

いま、ウィキペディアで見たら、凄まじい数のカバーが…

猿の惑星、の「猿」は、(太平洋戦争に勝っちゃった場合の)日本人のメタファという説があったような?
原作の話かも?

猿(チンパンジー)が、人間レベルの知性を身に着ける話だと、最近(と言っても、確か21世紀になってから程度の意味(^^;;…)のやつの方がリアルだったと思います。猿の表情つくりがなんとも…。
うろ覚えですが、猿の惑星だと、それほど、複雑な表情は作れなくて、いかにも寓話的だった印象があるので。

調べたら、多分
「猿の惑星: 創世記」
です。

前作とされる
「PLANET OF THE APES/猿の惑星」
は、表情つくりがリアルというか、チンパンジーと人間の連続性がもろにわかる感じ、以外は、まぁ、普通のSF映画(製作者のいうとおり「猿の惑星」のリメークでもない…)と感じたのですが。

2019/1/8 10:44  [2194-2166]   

 ネオパン400さん  

カメラ板から来ました。こんにちは。
縁側は初めてです。はじめまして。よろしくお願いいたします。
とりあえず読むところから始めます。

2019/1/23 14:10  [2194-2699]   

ネオぱんさん

ありがとうございます。よろしく、お願いいたします。
向こうでいただいた、コメントのいくつかを、ここに再掲してよろしいでしょうか?

2019/1/23 14:19  [2194-2700]   

 ネオパン400さん  

はい。お願いします。

でも映画の話題も面白いですね。映画はほとんど見ないけど、久々に見たくなりました。

2019/1/23 14:54  [2194-2701]   

> はい。お願いします。

かしこまりました。

> でも映画の話題も面白いですね。映画はほとんど見ないけど、久々に見たくなりました。

映画や写真作品のお話も、よろしく、お願いいたします。

2019/1/23 15:12  [2194-2702]   

許可をいただいての再掲です。
[22411409]

あれこれどれさん

そうですか。ペンタックスは勝手なイメージですがなんか野外で三脚に据えて使われるっていう印象が有りますが、やはりそれ相応の配慮が有るのですね。パナは舞台撮影で背面液晶は眩しいからかなとか想像します。

EVFですが、これは有ると便利で使っちゃいます。
今まではピント合わせは背面液晶を拡大して行ってました。暗い所とかでも使えると言えば使えます。特に三脚を使う場合は、必ずと言っていいくらい使ってました。

でも、手持ちのスナップだとひと手間というか一呼吸というか、背面液晶だとやることが増える感じがするのです。
その点EVFの拡大機能は凄くいいです。マルチファンクションバーをササッと撫でてピント合わせをするのですが、それはまるで脳みそに直接画像が投影されているような印象で、サイボーグってこんな感じか? とか思いながら使ってます。

2019/1/23 15:14  [2194-2703]   

引き続き

[22411682]
です。

>ネオパン400さん

> でも、手持ちのスナップだとひと手間というか一呼吸というか、背面液晶だとやることが増える感じがするのです。

そこは、慣れなのかな、とも思います。私は、手持ちのスナップは、基本、液晶です。

私も、銀塩時代はOVFを使っていて、デジタルも、しばらくは、コンパクトも漫然とOVFを覗いて撮っていたのですが、ある人の所作を見て、目が覚めました。LVの方が自然であることに。

それからは、EVF/OVFは、本当に必要な時に使うようにしています。その方が、特段のことをすることなく、写野を相対化して見られると思います。フレーミングを考えやすく感じます。

P.S.

まぜかえすのかようですが、手持ちでは「ない」スナップとは?
それこそ、置きカメの仕事のようにも思います。(^^;;

2019/1/23 15:15  [2194-2704]   

まだです…。
[22412070]

あれこれどれさん

お付き合いありがとうございます。これはいい感じの議論ですね。価格.comに出入りしている甲斐が有るというものです。

まず答えやすい方から。

スナップの定義は広いと思いますが、基本早撮りという事かと思います。なので、ご指摘の通り手持ちでないスナップはありません。

で、何故あえて手持ちでスナップと述べたかと言うと、「手持ち、手持ちでない」「スナップ、スナップでない」マトリックス上に、手持ちかつスナップではないと自分が意識する写真が有るからです。
例えばピアノの発表会の写真撮影をする時、会場の都合等で三脚が立てられない場面とか状況が有ります。
その際には手持ちで撮るのですが、その際は場所は予め決めてありその場所も確保していて、それから人によって写真が違ったらあんまり宜しくないので画角と構図も背景を頼りに、なるべく全員同じように構えて撮ります。これは手持ちですがスナップではありません。

ここからはごく個人的な意見なのですが、風景を撮る時にカメラは手持ちでも、スナップとそうでない写真って自分の中では違いが有ります。言葉にすると、一瞬の気づきで撮るのがスナップで、考えて計画して撮るのはそうではないです。肉体的か抽象的かと言っても良いと思います。

なので、スナップではない手持ち撮影と区別したくて、手持ちでスナップと範囲を限定した訳です。
尤も、単にスナップと言えば自動的に、肉体的早撮りという事で範囲は同じになる訳ですけどね。

(アンセルアダムスが撮った夕方に教会の十字架に光がさしている奴は、本人のエッセイを読むとどうもスナップ的に急いて撮ったようですが、カメラはビューカメラですから三脚も使っていて、こういうものは例外です。実は私の写真の先生も若いころ8×10で車のラリーを撮影したことがあったそうです。これははっきり言って全くの例外です)

2019/1/23 15:17  [2194-2705]   

あと、ちょっと (^◇^;)
[22412170]

あれこれどれさん

続きです。
>ある人の所作を見て、目が覚めました。LVの方が自然であることに。
このある人が誰でどんな写真を撮っているときの事なのか気になります。
分かる気もするんです。やっぱり、覗き穴を見て撮るのと、対する、LVにしても又はウエストレベルファインダーにしても、撮り方と言うか、頭に伝わって来る感じが全然違うんですよ。多分MRIで分析したら、脳の活動領域も違っているんじゃないかと思います。

目で見るものの延長と、それが頭の中で抽象化されたものって、全く違います。ワインの入ったコップがテーブルの上に置いてある風景と、あっ!コップにワインが入っている、と思う事は全く、全然違います。
で、前者はファインダーで後者がLVなんですよ自分の中では。


なので、じっくり考えて自分はこの世界を、この目の前の風景をこう見ているんだ。それを写真にきっちり仕上げて思い描くように表現したいんだ。水平垂直を出して構図を決め決めに決めて、おもむろにシャッターを押す。
てな撮影にはLVが向いていると思います。
で、先の書き込みによる分類の話と関連しますが、これはスナップではないと思ってます。

スナップって自分の意識の中では、撮影方法は全く逆なんです。今ここに有るものを、(感覚的に言うと)認識というフィルターを通さずに撮るには、ノーファインダー(背面液晶も見ない))もしくはファインダーを適当に覗いて撮ることが私には必要で、それが私の言いたかった所の「手持ちのスナップ」なんです。

あ、あと、近眼かつ老眼ぎみなので、風景見た後LV見にくくかつLVを見た後風景見にくい、と言うのも有ります。

2019/1/23 15:19  [2194-2706]   

ここまで (^^)v
[2413774] 

>ネオパン400さん

> 続きです。

前に引き続き、ていねいなレスをありがとうございます。
いただいた、コメントは反芻中です。^_^;
しばらく、お待ちいただければと…。

もし、よろしければ、私の縁側で続き、はいかがでしょうか?
正直、スレの残りを気にして書くのは、大変でもあるので…。
メディア論、とか言う、大層なスレタイですが、およそ、なんらかの「表現」に関することなら、ほぼ、なんでもアリ、ということ、だけ、で付けたモノです。(=^^=)

いただいた、先のコメントに、一つだけ、お答えするとしたら、私は、手持ちでは「ない」スナップに、注目しています。その上で、「気付き(認識)」の時系列に沿った、分類・整理、と言う視点は、とても、示唆に富んだものだと感じました。

2019/1/23 15:21  [2194-2707]   

ネオパンさん

> 言葉にすると、一瞬の気づきで撮るのがスナップで、考えて計画して撮るのはそうではないです。肉体的か抽象的かと言っても良いと思います。

ここは、腑に落ちる、というか、言うべき言葉を見つけていただけたように思います。

ひとつ思うのは、一瞬の気付き(スナップ)、と、考えて計画して(私の言葉だと「仕掛け撮り」です…)、は、スペクトル(座標軸)の両端、なのだろうか、そうではない、のだろうか、ということです。

スペクトルだとすると、スナップと仕掛け撮り、は、構想から実行までのタイムスパンの違いということになりそうです。両者は、質的に異なるもの、とすると

仕掛け撮り
構想→計画→仕掛け→シャッターチャンスの認知→撮影

スナップ
(仕掛け≒カメラを撮影可能状態に近く保つ)→シャッターチャンスの認知→(構想→計画)→撮影

みたいな感じで、プロアクティブ、リアクティブ、が根本的に違うのか、とも思います。

例示された、アンセル・アダムス、とかを考えると、難しいですね…。

2019/1/24 07:56  [2194-2732]   

 ネオパン400さん  

なんかスレッドの話を変えてしまって申し訳ないですが・・・

ジョンボイドのOODAループみたいな話ですね。

撮影までにかかる時間(使える時間)の長い短いは、これは確実に関係して来ると思います。これはは重要な点です。
加えて先がどの位予測可能かどうかも関係していると思います。
予測が確実で、その予測時間までの準備の時間が長く取れるほどスナップという言葉とは遠くなると思います。
そして、予測は何をどの程度するのか出来るのかと言うのも関係していると思います。
レールの上を走って来る列車レベルの予測なのか(それは予測可能でより計画的) あるいは目の前の子供はいずれ笑うだろうという予想も含まれるのか(相手の性格まで考慮に入れて確率的には予測可能。しかしブレが多い・・・)

ただこれは実際には混ざっているので、どっちに分けられるというよりはスペクトラムでどの辺かくらいにしか言えないと思います。

で、タイムスパンの違いを肯定しつつなのですが、かつ撮り方の違いはやはり出て来ると思います。
自分の場合はどうだろうと考えてみるのですが、あれこれどれさんのモデルって良く出来てますね。「シャッターチャンス」って、絵になる瞬間って事ですよね? だとすると、自分の場合もほぼ提示されたそのモデルの通りではないかと思いました。

例えば保育園に行った時、そこでは限られた時間の中でまあまあの売れる写真をある程度の数撮らないといけません。
とすると状況はタイムスパンからしてスナップで、頭の中で回るループはスナップモデルです。
具体的には、
絵になりそうな場所や人の塊の認知(言い換えると、シャッターチャンスが有りそうな状況への予想を含む認知)→構想・計画(自身の位置取り、カメラを構える)→撮影→背面液晶で評価、基準を満たさない場合は再度構想・計画に戻り同じ人たちを撮影。基準を満たせば次の人達を撮影の為ループ先頭へ戻る。
てな感じだと思います。
因みにカメラの設定は自分の場合ほぼAE、AF頼りで設定は露出補正位で、あえてループに入れるとすると構想・計画の中に入ります。

逆に、風景や所謂街角スナップですと、自分の場合はスナップと言うより仕掛け撮りモデルに近いかなぁ。

他の方のご意見も聞きたいです。

2019/1/24 20:04  [2194-2749]   

ネオパンさん

コメント、ありがとうございます。
いただいたコメントは、よく、読んでみます。

> ジョンボイドのOODAループみたいな話ですね。

別に、軍人経験者ではないのですが…(^^;)

それは置いといて、

ここでは、手持ちでは「ない」スナップ、の話を書きたいと思います。お許しください。
先に持ち出した、手持ちでは「ない」スナップ、は、多分、お察しの通り、自動撮影のことです。

自動撮影による作品作り自体は、銀塩時代からあって、宮崎学(同名の作家ではない方)の「けものみち」が有名だと思いますが、これは、むしろ、仕掛け撮りの極北と言えるようなものです。少なくとも、私の見方では。仕上がりが見えないものを仕掛ける作業であり、かなりの試行錯誤を繰り返したと思います。

でも、最近、本来は作品化の意図などなく自動撮影された(としか思えない)画像に基づく、作品(少なくとも、そう、呼びたくなるもの)、を目にする機会が多くなった、と感じます。

こういう、いわば、後からの気付き、を写真製作の類型として、どう位置付けるのが、適切か?、という、疑問、と言うか、問題提起?、です。

と言うのは、自分自身で撮影した画像を見ていて、あああぁ、こう撮ればよかったのにぃぃぃぃ…、を高画素・デジタル補正などを使って、後からの気付き、に沿うモノに仕上げることが、それなりに、可能になったからです。私なんかは、超ヘボなので(=^^=)、その可能性を残すような撮影を心がけてさえいます…(カメラ板に書いた言葉では、shoot now, adjust later です)。こう言うのは、いわゆる、トリミング、によって、行われていたこと、でもあるとも言えますが…。

このような、後からの気付き、は、仕掛け撮り、でも、スナップ、でもない、別の何か、のような気がします。
ネオパンさんは、どう、お考えになりますか?

2019/1/24 21:03  [2194-2751]   

余談です。ごめんなさい。

そう言えば

OODA、と、PDCA
考えて見ると、リアクティブ、プロアクティブ、の関係みたいですね。

2019/1/24 21:46  [2194-2756]   

今ごろ、漫画という芸術?!
読売新聞の頭は、どこで止まっているのだ?!

漫画は芸術…「浦沢直樹展」ハリウッドで始まる
https://www.yomiuri.co.jp/culture/201901
24-OYT1T50097.html?from=ytop_main9


記事で言及されている、漫画(コミック)と映画については、手塚治虫、が言ったという、映画を撮りたかったけど、映画は一人では作れないから、僕は漫画家になった、というのがあるのですが、漫画と映画の関係、個人的には、プレゼン資料とプレゼン動画、くらいに違う、と思うのですが…。みなさんのご意見は?

P.S.1

で、手塚治虫は、アニメーションに手を染めて、結局、一人では作れない漫画(のようなもの)を作ることになってしまった…。

P.S.2

漫画というと、どうしても、北斎漫画、を連想してしまって…^_^;
あれこそ、絶妙にデフォルメして描かれた線画、の極北だと思う。

2019/1/25 09:25  [2194-2761]   

 ネオパン400さん  

>後からの気付き、を写真製作の類型として、どう位置付けるのが、適切か?

この話は、撮影時の失敗を救うという類の話ではないと受け取りました。
トリミングや明るさ、コントラストなどの修正、またレタッチまで含めて良いと思いますが、それらは撮影時の意図に従って手を加えている訳で、仰る気付きはほとんど撮影時に起きていると思われるからです。(尤も、やりながらもうちょっとああしようこうしようというのは有ると思いますが)


しかし、仰る後からの気づきによって、撮影時には意図していなかった写真が後から作られるという事も、確かに有るのではないかと思います。
それは元の写真の修整というよりは、元の写真を使った二次創作に近いのかもしれません。

時間を元に戻して、その場所に行って取り直したいという気持ちは反省です。
しかし、撮ってきた写真を使って新たな作品を作るというのは、これはもう、気持ち的には二次創作だと思います。

そして二次創作の場合、元になる写真は材料に過ぎないと思います。

>本来は作品化の意図などなく自動撮影された作品
とは、例えばGoogleMapの写真を使った写真展とかでしょうか?
あれも、元の写真は材料という感覚だと思います。

宮崎学の自動カメラは撮影機材も自分でセッティングしているのでややこしいですが、撮影行為をそこで(ほぼ)完結する創作行為と捉えるのではなく、後で出来上がる作品の為の材料集めと捉えるなら、スッキリするのではないでしょうか。

2019/1/25 19:03  [2194-2773]   

ネオパンさん

> この話は、撮影時の失敗を救うという類の話ではないと受け取りました。
> それは元の写真の修整というよりは、元の写真を使った二次創作に近いのかもしれません。

はい。お見通しの通り。
もっとも、自分自身については

> 時間を元に戻して、その場所に行って取り直したいという気持ちは反省です。
> しかし、撮ってきた写真を使って新たな作品を作る

その、ない交ぜ、で(あることが普通で)あることを、ここに、告白します…。(^^)/
ただ、最初に、デジタル一眼レフ(20Dでした)を手に入れて使った時から、これは「写真機」ではなくて、「素材」を集めるための道具だ、という感覚(直感)を、なぜか、強く持っていました。

一方の、コンパクトデジタルカメラについては、単に、銀塩コンパクトカメラの延長、という感覚しか持たなかったのですが…。写真をメールでそのまま送れて便利♪、とか。

でも、例えば、ここのカメラ板の書き込みとか、デジタルカメラの創生期から活動してこられた写真家の方の言動とか、を見ても、そういう感覚は、あまり(ほとんど?)、共有されていない、印象を受けます。どう感じられますか?

ここのカメラ板だと、特に、上がった作例へのコメントで、そういう方向性のものは、ほとんどないように感じます。

「けものみち」の位置付けについては、概ね、首肯、なのですが、もう少し、考えさせてください。

2019/1/25 20:25  [2194-2776]   

ネオパンさん

> 宮崎学の自動カメラは撮影機材も自分でセッティングしているのでややこしいですが、撮影行為をそこで(ほぼ)完結する創作行為と捉えるのではなく、後で出来上がる作品の為の材料集めと捉えるなら、スッキリするのではないでしょうか。

これで思ったのですが、この場合、二次創作、とは言い難いように感じています。なぜなら、素材自体は、作品、ではない思われるからです。言葉遊びのようですが、一次創作がないものに二次創作があるはずがない、と言うものです。

GoogleMapから作った「作品」も、二次創作かどうか、議論の余地があると思います。もちろん、権利関係でいえば、れっきとした、二次創作ではあると思います。ただ、それは、所有権と創作性、を単純に「=」で結んでいるようにも感じます。

「けものみち」については、実は、インターバル動画との関係で考えていました。カメラ板でも、度々、言及しているのですが、私は、創作じみたこと(その真似事)として、インターバル動画を作っています。

作成プロセスをサクッと言うと

調べる→日の出・日の入り、なら時間と方角など
カメラを仕掛ける
チェックする
使える画像が撮れたかを確認する
ダメなら、調べる、からか、カメラを仕掛ける、からやり直せる限りやり直す
画像を調整して、一気に動画化
音を入れて、ごにょごにょ

みたいな手順です。
「けものみち」の製作過程は、なんとなく、似たものであるように感じました。

後からの気付きの補足です。

撮影した画像の中に、建築中のビルが写り込んでいて、作業員さんたちが朝礼をやって、クレーンが動き始めて…、の一部始終が写っていたことがありました。

これ自体は、本来、調査の時点でチェックしておくべきこと(もっと、静的な風景を期待していたので…)ですが、そこは、悲しいことに、自分の観察眼の不足…。
で、どうする?

私は、インターバル動画の「原画(というのか?)」は、最高解像度のRAW(しかも、カメラのアスペクトのまま)撮影しているので、HD〜4K程度なら

画像を加工して
視点を少し変えて
クロップして

作業員さんたちの朝礼・終礼
クレーンの動き始め・停止

を、あたかも、別の望遠カメラで別撮りした「かのように」(原理的には)できる

と思いました。
こういう「後からの気付き」は、
失敗(少なくとも、思惑外れ)の救済
でもあり
新たな被写体(題材)の発見
でもあり
と感じています。

でも、それは、あくまでも、動画の話、であって、写真(静止画)の話、ではないのかな?
どう、思いますか?

P.S.

「けものみち」について付言すると、そのアプローチ(姿勢)自体は、「データ(事実)」をして語らせる、という、フォト・ドキュメンタリーの定番?・王道?、に厳格に則った。作品、であるように感じています。

2019/1/26 09:05  [2194-2794]   

一次創作、二次創作、について、今思っていること

一次創作、二次創作、…、n次創作、…
は、所有権の帰属(と使用の許諾)だけに閉じた話にして、
0次創作(「表現」としては、いかなる意味でも創作性はない、とみなされるもの)、以外、全て、等しく、創作物、で、世の中、丸く収まらないのだろうか、収まらないとしてら、なぜ?

0次創作には、素材、そのもの、写真・動画なら被写体、も含みます。

2019/1/26 10:56  [2194-2797]   

インターバル動画→タイムラプス動画
です。m(__)m

2019/1/26 16:19  [2194-2803]   

浦沢直樹のインタビュー、無料で読めるようです。

浦沢直樹さんインタビュー「漫画は映画に匹敵」
https://www.yomiuri.co.jp/culture/201901
24-OYT1T50110.html


展示場所もあってか、映画との対比が中心のようです。
皆さんの感想は、いかがでしょうか?

私自身は、漫画と映画は、ものすごく違う、と感じています。
基本的に、
漫画は(文字で書かれた)本の延長、時間軸を受け側が支配するから
映画は(口承される)物語の延長、時間軸を送り側が支配するから
と思うので。そもそも、何を表現するのに向くかが違う?
もちろん、コミックの、没入感は知っているつもりですが、それって、文字で書かれた本も同じでは、ということです。

優劣自体を問うのが、ナンセンスに思います。
ただ、浦沢直樹は、インタビューの趣旨から?

「日本の漫画は映画に匹敵する。紙の上に描き、映画と同じか、むしろ勝る魅力、訴求力がある。」

と発言していて、同じ土俵で比較するべき存在と捉えているようです。
また、漫画と映画の関係について

「手塚治虫先生や、さいとう・たかを先生らが、「映画と同じようなものを作ろう」と、ここまで進化させてきた。

映画制作は、たくさんの予算やスタッフが必要な大プロジェクトになるが、漫画は違う。紙とペンさえあれば」

とも言っています。

手塚治虫やさいとう・たかについて言えば、

手塚治虫は、結局、映画そのもの(アニメーションは、れっきとした、映画だと思います)を作ってしまった
さいとう・たかをは、映画製作に擬したシステムを作り上げてしまった

と、私は認識しているのですが?

「その文化が加速し、大きくなってきたのが日本の漫画だ。」

ということですが、元の場所から、全く、違うところに来た、みたいな捉え方はしていないようです。アウトサイダーの目、インサーダーの目、の違い?

それで言えば、いわゆる、アメコミの方が、むしろ、少人数製作で手工業的、と聞いたような?そう言えば、アメコミとの関係は、特に言及されてはいないようです。

なお、別のインタビューもありました。合わせて、どうぞ

浦沢直樹 インタビュー前編
http://eggman.jp/special/post_1/
浦沢直樹 インタビュー後編
http://eggman.jp/special/post/

2019/1/27 17:32  [2194-2856]   

> アメコミとの関係は、特に言及されてはいないようです。

メディアミックスについては、少し、言及しています。
浦沢直樹は、どちらかと言うと、メディアミックスに否定的?
オリジナル作者だから?

個人的には、メディアミックスは良いことだと思います。出来の良し悪しは、厳然とあると思いますが。
コミックを映画にすることで、作品の中のある要素だけを濃縮したものを見られる可能性もあるし、作品世界の「歴史のIF(婉曲表現?)」も見られるかもしれない。

皆さんは、メディアミックや、私自身は、オリジナルと同じメディアを使っているだけの類似行為だと思っている、リメークについて、どう思っていますか?

2019/1/27 19:25  [2194-2861]   

 ネオパン400さん  

あれこれどれさん

・一次二次創作について
そうですね。何をもって作品とするかによるとも思いますが…
私は、最初に出来ている物からその創作物の意図を離れて再利用される場合は二次と言っても良いかなと思っています。(元が所謂作品と呼べるものかどうかにかかわらず)

写真にはファインディングフォトと言う分野がありまして、蚤の市とかで昔の写真を見つけて来て、それは家族写真でも風景写真でも構いませんが、兎に角古い写真を集めて自分好みのアルバムを作るという行為を差します。
撮るのではなく、ただ集めるだけなんですよ。

でも振り返ってみると、写真撮影と言うのも、そこにある物を見つけて獲ると言う意味でこれと何か似ているような気がしています。
昔森山大道が壁に貼られた交通安全のポスターか何かを写真に撮っていたのを思い出します。

見つけるというのは、それそのものが面白い事なのだと思います。そして、素材について自分が関与しなくても、もともと有るものを、でも人の手で編纂して見せるという行為それ自体が一つの(編纂した人の)作品なのではないかなと思ってます。

言い換えると、何処から見つけるのか、誰のものでもないものなのか、それとも誰かが作ったものなのか、あるいは自分自身が撮ったものなのか、いづれにしても、ある種の方向性と作為で纏めたり加工したりしたものは、それを行った人の行為をしてその人の作品、その一つの作品となるのではないかと思います。

勿論上記は一般論として述べています。個別に見て行くとそれぞれ事情も有ると思います。

・漫画と映画について
私も時間を誰がコントロールするかの差がある事について、同じ風に感じています。
漫画の場合、間は頭の中で読み手が作ってますが、映画はあちらサイドが作ってます。

しかし、視点の移動について、漫画は映画的な工夫が凝らされているという点浦沢直樹氏に同意です。
とは言え、漫画のコマ割りそのままで映画を作ると、凄く間延びするんですよね。漫画はやはり、映画と言うよりは頭の中での映像再生の切っ掛けみたいなもので、なので私もその点からして文学により近いと思います。

個人的にはやっぱり漫画はそのまま読むのが楽しくて、読み手の頭の中で再生されるままにする方が良いですね。これをそのまま下手に別のメディアに移したようなのは、がっかりする事が多いです。(まあ、時間や予算の都合とかも有るのでしょうけど)
漫画をアニメとか映画にする場合はそれらは別物考とえて、映像は映画的に詰め込んで行くものの方が見ていて気持ちがいいです。

2019/1/29 15:26  [2194-2902]   

親を超えていく、という成長
ガンダムの話です。

ガンダムの、いわゆる、SF設定はともかくとして、この作品の大きな特徴は、日本の作品には珍しく?、子供が、親の限界を知って、彼らが経験しなかった(できなかった)世界に踏み出していく姿、を、割と明確に描いていること、があると思います。

そこが、ウケた理由の一つなのかな、と思います。皆さんのご意見は?

日本では、いわゆる、儒教的道徳観の影響なのか、色々な作品の中で、暗示こそはあれ、あまりあからさまには描かれていなかった、ように感じます。

いわゆる、芸道の世界では、自分の世界を確立して先人を越えよう、などという不遜な考えを起こさず、先人の道を徹底して模倣せよ、みたいな言われ方もするようです。もちろん、本人にそれだけの力量があれば、その結果として…、なのですが。(^^)

2019/2/11 08:09  [2194-3106]   

虚実皮膜?

この写真は…本物? 人工知能がつくる「フェイク画像」の驚くべき世界
https://www.sankei.com/wired/news/190209
/wir1902090001-n1.html


本家の翻訳は、こっち
https://wired.jp/2019/01/23/real-ai-bett
er-faking-images/

動画のサンプルとかは、こちらに掲載されています。

この辺を見てしまうと、いわゆる、フォトコンの類で、デジタル処理禁止(のところが、まだ、多いらしい)とかやっているのが、あほらしくも見え、逆にそこに価値がある、とも見え、ですね。

こうなると、本当に、何をどう描きたいのか、それはどういうユニークな価値を持つのか、みたいな、その作品の本質的なところに話が絞られる結果、作家(写真家)への道は、どんどん、ハードルが上がるような気もしますが、どうなのだろう?
むしろ、グレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する)、そのままの世界が実現してしまう、誰でもが作家(写真家)を名乗(れ)るので、本当の作家が誰、のか、微妙なところから、本当の本物を見分ける、本当のキュレーターへのハードルが上がるだけなのか?

皆さん、例えば、ネオパンさん、のご意見は?

いただいたコメントへのレスは、今日、なんとかしようと思っています。
m(_ _)m > ネオパンさん

P.S.

原文は
https://www.wired.com/story/is-this-phot
o-real-ai-getting-better-faking-images/

2019/2/11 09:34  [2194-3107]   

初代ガンダムって、
マジンガーZや仮面ライダーなどの正義VS悪ではない事があげられますよね。


しかし、再放送というテレビ局の手法によって幾度が再放送されたから知られる様に成ったと言えるか。

今なら、Web動画配信やその前ならビデオレコーダの磁気テープ記憶の媒体か。


初見で、見逃す要素を2回や3回や回数を見る事で解釈が深まりガンダムに嵌まり込む。
新放送の第一回目はビデオレコーダの無い時代なら見逃し易いですからね。

さて、ガンダムは戦闘機パイロットを夢見る少年は視るのか?だ。
現実の戦闘機の操縦よりSFの巨大人型ロボットの操縦に当時の男児は憧れたかも。
再放送で人気が出てプラモデルの販売に火がつき更にガンダム人気は拍車が懸かったのかも。

連邦側のMSとジオン公国側のMSのデザインがあからさまに異なる事から、
MSの機種の人気が分かれる。
当時の男児たちが憧れるMSは分散した事だろう。

続編を造るエネルギーを制作側に与えた結果がガンダムのシリーズの多さだろうね。

今の時代のアニメは、円盤(Blu-rayビデオやDVDビデオ)の売れ行きが制作側のエネルギーに成るんだろうけど、
視聴者とテレビや動画視聴サイトと制作側のエネルギー循環が滞りなく循環する事が必要なのだろうね。



はてさて、私がRX-78ガンダムに惹かれた理由は何だったかな?
Ζガンダムの変形も魅力だし、
νガンダムのRX-93も配色も好きだしフィン・ファンネルも好きだ。
ΞガンダムのRX-105?が戦闘している場面をアニメで観たいと思ってる。

ガンダムの宇宙から大気圏突破し地面に立つまでのシーンはSF物の魅力が詰まっていると思うけど・・・、
どうだろう?

地球から大気圏突破の重力・・・地球の引力圏脱出は、アっという間の出来事なので、
物語的には宇宙から地球の大地へ向かう場面は物語を創りやすいだろうから有力だろう。

そう言えば、SFって、
宇宙から地球の大地への流れの物語と、
地球から宇宙への流れの物語は、
どちらが多いかな?

宇宙戦艦ヤマトは、ヤマト発進は地球の地上からだけど・・・。
銀河鉄道999も地球の地上から宇宙へ・・・だね。

初代ガンダムは宇宙のサイド7から地球へ、地上から再び宇宙へ・・・だね。

2019/2/11 15:34  [2194-3122]   

 ネオパン400さん  

あれこれどれさん
複数チャンネルでの受け答えお疲れ様です。凄いバイタリティですね。

Wiredのその記事は、たまたまTwitterにお知らせが流れてきていたのを見て読んでいました。
2)暗闇でも明るくについては、被写体そのものは実際に有るものと言う意味で現在の写真撮影技術の延長上に有るものと思います。

しかし、その他の技術、特に3と5の、ディープラーニングによって無いけど有りそうな画像を作ってしまうについては・・・
もはやコンピューターによる創造と言ってもいいかもしれません。面白いと思いますし、出来上がる画像には人の心に(そして購買意欲にも)訴える画像も出来て来ると思います。
現に、AIによるアートの制作活動とその市場と言うのも出て来ているようです。(そのプログラムを書いた人は、それを使って出来た作品が売れても自分にはお金が入って来ないとか言ってぼやいているようですけど)

https://wired.jp/2018/11/29/ai-dollar-43
2500-piece-of-art/


芸術の価値自体もともと曖昧なものですし、出来上がったものの作家性とか芸術作品としての価値については何とも言えません。仰るようにキュレーターも大変だと思います。まあ、これからも売れる物は売るでしょう。

もしAIによって個人がどんどん良い画像を生成できるようになったら、もしくは誰も介在しなくてもコンピューターがどんどん生成するようになったら・・・
今でもコーヒーはコーヒーメーカーで淹れられますが、それでも喫茶店は商売として成立しています。作家も、AIと上手く付き合い、上手く利用しながら自分の表現を行って行くと思います。
AIに文句を言う人もいるかもしれませんけど、それは文句を言う事が単にその人の欲求を満たすという人か、あるいは文句が何らかの特になる人なのだろうと想像します。

2019/2/13 20:47  [2194-3142]   

ネオパン400さん

> 複数チャンネルでの受け答えお疲れ様です。凄いバイタリティですね。

さすがに疲れました…。(^^)
こっちがお留守になってしまって、申し分けありませんm(_ _)m
こんぺいとうさんも…

確かに、ここに出てくる、敵対的生成ネットワーク(GANs)は、贋作と鑑定のいたちごっこを再現したようなものであり、かなり、色々なことができる可能性がある、と感じます。

この敵対的生成ネットワーク(GANs)については、これが、割とわかりやすいようです。ご参考まで
https://qiita.com/simonritchie/items/2cc
30fe18933e29cd454


> 今でもコーヒーはコーヒーメーカーで淹れられますが、それでも喫茶店は商売として成立しています。

この話、そのコーヒーメーカーは、せいぜい、工場でしか学んでいない、わけですが、もし、コーヒーメーカーに、飲んだ人のダメ出しを受け取らせて、鍛えることができたら、どうでしょうか?
そして、別の場所にあるコーヒーメーカーにも、その人の好みを伝えることができたら?

多分、喫茶店は、単なる、コーヒーの味を超えたところに、活路を求めるような気はします。

> 作家も、AIと上手く付き合い、上手く利用しながら自分の表現を行って行くと思います。

ここは、創作活動の特殊性に注意を向けた考察が必要なのかもしれない、と思う反面、創作活動とコーヒー淹れが本当に違うのか、違うならどう違うか、みたいにも考えてしまいます。
例えば、写真なんかも、撮影関連技術の習得の中で、作品を作る眼、観る眼、が磨かれるわけですから。別スレで書いたのですが、この辺は、AIが跋扈する時代の落とし穴になりかねないところだと思っています。そういう、退屈なところをAIがサクッとやってしまうようになったら、どうやって、人間が、AIと同じことを学ぶモティベーションを維持できるか(もちろん、それをしなくて良いとできるなら、どうやる?)、ということです。

今日は、この辺で、ごめんなさい。(^^)

2019/2/13 21:16  [2194-3145]   

 めろん王さん  

>多分、喫茶店は、単なる、コーヒーの味を超えたところに、活路を求めるような気はします。

これ、凄く分かる気がします。
私は会社から少し離れた実家に車を止めて実家から会社までは歩いています。
ここ2,3日は冷え込みが厳しい日が続いています。
雪もサラッとですが降っています。
積もるってほどでもないんですがベーキングパウダー程度かな?
その雪を踏むと鳴き砂のような音がするんてす。
1歩踏み出す度にキュッて。
雪がフワフワのカキ氷みたいな感じなので暗い帰宅時に街灯の下を通ると道路がダイアモンドダストにキラキラしています。
気温が低いからなんでしょうね。
そういうのは今まで生きてきた経験があって感じることだと思うんです。
コーヒーもそういう日々の感覚をバックアップさせたもてなしみたいのがあると気持ちが違うと思います。
AIは美味しいコーヒーを作れても機微に触れるようなサービスはまだ至っていないと思うし私が生きてる間は無理じゃないかな?と思います。

2019/2/13 21:42  [2194-3146]   

最近漫画喫茶のコーヒーしか飲んでない(味は二の次)・・・

2019/2/14 07:13  [2194-3147]   

 ネオパン400さん  

あれこれどれさん

●制作の助けとしてのコンピューター技術と審美眼について
自動生成のものは話がややこしいので、ちょっと脇に置いておきます。
既存の技術を補完するものとしてのAIについて、これは作者の制作の助けになると思います。
今だとオートフォーカスとか自動露出とか自動のRAW現像とか…。これはですねぇ、個人的には肯定的です。

とは言え、ご指摘の、技術の研鑽によってその部分の見る目も磨かれるというのは確かに有ると思います。
(研鑽のモチベーションですがこれは心配しなくても作家なら勝手に出て来るんじゃないかと思います)
それを踏まえた上でなのですが、個人的には、審美眼を得るために技術の研鑽が必要かどうかという事について、やっぱり正直よく分かりません。
と言いますのは、事デジタル画像を目の前にする限りにおいては、何が本物の良貨で何が悪貨であると言うのは元々難しいと思うからです。
(例えば、話を写真に限ってしまうと、技術的に良く写っているか、だけではなく、何が写っているか、どうしてそれが写されたのか、という要素が見る人に訴えるものになります。そしてそれは撮影者鑑賞者とも技術とはあんまり関係ありません(本人の技術ではなくてAE,AFで撮った、と言ったところで写されたものの価値が下がるものでもないです))


●自動生成された画像の価値について
話は変わります。
河原で綺麗な石を見つけたとして、その石は偶然出来た物だから綺麗じゃないという事はありません。出来方がどうであっても、綺麗とか素敵とか欲しいとか、そう感じる物は有ります。

同じように、自動生成された画像についても、それと分かっていたとしても個人的には良いと思える、というものは沢山出て来るのではないかと思います。それは例えれば、無名の画家が描いた抽象画のようなもので、あるいは切り花なんかと同じで、単に自分が勝手に気に入ったら買って飾るという感じかと思います。

そこには審美眼が求められるのか? 
市場価値の有るものを探すにはそれなりの目も知識も必要でしょう。でも、単に好きなものを求めるだけなら、価値はその人の中にだけ有る、言い換えると自己満足で、それで良いのではないかと思います。
河原の石の例えだと、珍しい何々石を見分けるには知識も目が必要、しかし単にカワイイ石を見つけるのなら子供でも出来る、てな感じです。
(今高値で取引されているAIの絵については、歴史的価値が値段的には付加価値としてのせられているでしょうけど)


めろん王さん
>そういうのは今まで生きてきた経験があって感じることだと思うんです。
その通りだと思います。
そして悩ましい事に、それは写真を撮る者からすると他の人の経験なんです。
なので、どうやったらその、経験を積んできたその人自身にいいな(いいは必ずしも快とは限らないんですけど)と思ってもらえるのか、日々考え続けていたりします。答えは(有るんでしょうけど)まだ分かりません。

2019/2/14 13:44  [2194-3151]   

価値あるフェイク画像

This Empty World
https://www.thisemptyworld.com

ここに掲載されている画像ですが、どれも、ある意味では、フェイクです。
// 種明かしは書かれています。

とは言え、ストレートに撮ったので表現できない、ある意味、ジャーナリズムの「神髄」とも言うべきものが表現されているように感じました。

よくある(かってはあった?)小説とノンフィクション、どっちがエライ、と言う論争(?)について、小説は、個別の事実の再構成、だからこそ、その本質により鋭く切り込める、と言うのがありましたが、写真でも、それが言える場合があるのだな、と感じました。

関心も持った方は、ここに感想を書き込んでください♪

2019/2/28 19:01  [2194-3493]   

 めろん王さん  

これもメディアになるのでしょうか?
http://karapaia.com/archives/52271491.ht
ml

2019/3/25 23:26  [2194-4039]   

ワンちゃんかわいいですね(*^^*)
ゆで卵を隠してやり過ごそうとする事まで考えるなんて犬の知能の高さが伺えます。
最後はちょっとかわいいお間抜けでしたが小学生くらいの知能はありそうな感じはします。

2019/3/26 00:43  [2194-4040]   


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