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(平成30年1月 記)

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ここは、所有している機器の音質報告、機器更新報告、CD試聴記などを、載せるスレッドです。

旧縁側に掲載した内容も、再録させていただいています。

2015/3/27 10:08  [1736-1]   

(26年7月4日)

P-1uがやってきて一夜明けました。今日は早起きしなければならなかったので、昨夜は私はほとんど聴けませんでした。
今日からみなさんへの音質報告も兼ねて、色々聴いていきます。
報告は後日と言ってましたが、色々聴くと初めに聴いたのを忘れそうなので、聴いたそばからご報告にしました。

まず、P-1uの全体的な音傾向。
スピーカーでの聴こえ方に例えると、ミニコンポ直挿しのときは口径の小さなスピーカーをニアフィールドで聴いているような聴こえ方でした。P-1uを通すと、ユニットの口径が大きくなって、少し離れた位置で聴いている感じに変わります。
これによって、遠近感の表現が格段に向上して、定位もわかりやすくなりました。

直挿しより大きく向上したのは聴感上のSNです。絵画に例えれば、キャンバスそのものの質みたいなものです。写真に例えれば白色をどれだけ白く見せられるかみたいな。
SN比が良くなると、音場、定位が明瞭になってきて、楽器の音が上質になったような感覚になります。ただ、これもSN比の値がある程度を越えると、寒色系の音に傾きます。P-1uは寒色系にならないよう、よくしすぎない程度に抑えているみたいですが、そうなると「聴感上」という曖昧なポイントでの調整が求められます。この「聴感上」の音質チューニングにおいて、P-1uは長けていると感じました。
寒色系の音にせずに、音場と定位、質感を聴かせるところに、ラックストーンの源がありそうです。

P-1uは音場の広さを誉めておられるユーザーさんが多いですが、その一方で期待はずれという評も。
まだ半日の使用ですが、中古なのでバーンインは十分と考えて、私なりの見解を。

HD650で聴く限り、音場の広がり向上度は程ほどです。決して狭くはないですが、もっと広大なのを期待した人たちも多かったのだと思います。
音場に関してポイントは2つありそうです。
まず第一に、解放型ヘッドフォンはもともと広めの音場を提示できるので、P-1uから聴いても、ドーンと大きく広がりが向上するわけではなさそう、ということ。
夫が東京での試聴時に、解放型よりも密閉型のほうが相性がいいと感じたそうですが、私も音場提示で不利な密閉型のほうがすごく広がった感じに聴こえやすいと思います。
第二に、音量によって音場感が違う、ということ。
P-1uにHD650で聴きますと、私の普段の音量は時計の9時くらいのポジションなのですが、この音量ですと、音場の広がりはさほど大きくありません。でも、試しに10時〜11時のポジションにしてみると、広がり度がかなり大きくなります。音量が大きくなれば、それだけで広がった気になりますが、10時過ぎのポジションは音量のためだけでなく、明かに広がりが増しています。聴取音量によって音場感が左右されるのは間違いないと思われます。
私は小音量派なので10時はちょっと大きいのですが、一般的には10時でも問題なく、音が上質で肌目も細かいほうなので、10時〜11時でもうるささは感じません。高域も刺さりませんし、低域もボンつきません(上流にもよると思います。DCD-1650ALはボンつきました)。私も10時を多用しそうです。

このアンプは、インピーダンスよりも能率の高さで、相性が決まる感じもします。103dbのHD-650よりも能率の低いヘッドフォンのほうが、お互いがお互いを生かせる感があります。
93dbのAKG K7xxシリーズでは能率低すぎ?でもインピーダンスは低いから、相性はいいと想像します。

後ほど、CDを聴いての細かい試聴レポを。

2015/3/27 10:48  [1736-4]   

ここからは、私のP-1u+HD650での、CD試聴記です。


CDを聴いてみました。
第1弾は、ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲、サルヴァトーレ・アッカルド(vn)カルロ・マリア・ジュリーニ指揮スカラ座管弦楽団(ソニークラシカル)。

【試聴のポイント】
ソロヴァイオリンとオーケストラとの距離感。低弦や弱音ティンパニの質感と雰囲気感。ヴァイオリンの音色、特に高域で。

【試聴レポート】
ジュリーニのソニー録音は緩い演奏が多いですが、柔らかい作風のこの曲でゆるさが魅力となるかも注目しました。
この録音はそもそも音場的に広めではないかもしれません。しかし、遠近感はまずまず正確に捉えられているみたい。ソロヴァイオリンは近めです。そのあたり、P-1uは割に正確な表現みたいです。
冒頭の弱音ティンパニの4連打をどう聴かすかで全体の雰囲気が決まるのですが、P-1uは柔らかく包むような広がりのある弱音でナイスでした。コントラバス、チェロの低音も温度感がほんのりあって、ここらへんはラックストーンが生きているところと聴けました。余韻の多さや残響は、ここではさほど感じませんでした。残響の多い録音でどう聴こえるか、別のCDで検証してみます。
音色は、アッカルドのヴァイオリンは潤い豊かとまではいきませんが、艶はあります。高域がよほどのことがない限り刺さらない(P-1uのおかげでしょう)ので聴きやすいのですが、ちょっと線が細い。中音域も太くならないので、録音自体がそうなのだと思います。オケのボディは感じられたので、P-1uは量感の表現は録音に忠実なようです。
驚いたのは、定位として、音出所の上下が感じられたことです。
管楽器は口で吹きますしステージの上の段、チェロやコントラバスは下の段にいて、膝から腰の高さ近くが出所。ステージ配置通り、管楽器の音よりも低弦の音が下方向から聴こえるのがヘッドフォンでわかるというのが、このアンプの能力の高さなのかも。

2015/3/27 10:49  [1736-5]   

CD試聴記、第2弾です。
今回は、@ビゼー/「カルメン」組曲・「アルルの女」組曲、イーゴル・マルケヴィチ指揮ラムルー管弦楽団 Aシベリウス/交響詩「フィンランディア」、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィル(1976年録音、EMI)

【試聴ポイント】
楽曲の勢い、キレの表現力。

【試聴レポート】
@はビゼーの代表作で、マルケヴィチの録音は管も弦も全開ながら整いの良いお薦め盤。「闘牛士」から始まる曲順がユニーク。その「闘牛士」はP-1uとHD650との相乗効果で、角が丸く、勢い感は若干ですが削がれた印象。テンポが非常に速い曲ですが、P-1uによる余韻や残響が悪影響を及ぼすことはありません。ベートーヴェンよりも音の余韻はあるように感じましたが、ある音の余韻や残響が次の音をマスキングするようなことは、最速テンポ時もないと聴けました。ベートーヴェンの時も感じましたが、ラックスマン独特の余韻や残響は、物理的に絶妙な付加がなされるというのではなく、聴感上のチューニングによって余韻や残響があるように聴こえる、というものではないでしょうか。だから楽曲によっては、余韻も残響もなく感じられることもあるようです。
この事実はかなりの収穫です。柔らかく角が丸い傾向はあるにしても、このアンプは女性ボーカルやアニソンのような楽曲もかなり聴けるのではないかと思います(もちろんそれに相応しいヘッドフォンで)。
このCDであれ?と感じたのは、金管楽器だけかなり近い音に感じたこと。HD650は音が近い傾向はありますが、金管だけというバランスなので、録音そのものがそういう傾向で、P-1uはそれを忠実に再現したと考えていいみたい。

Aは、カラヤンの数種あるこの曲の録音でも、最高かつ奇蹟の録音。このテンポの速さと勢いのよさを備えながら、縦の線がピッタリと、寸分の狂いもなくピッタリと合っている演奏は、カラヤンの他の演奏も含めてもおそらく存在しないでしょう。とにかく他の演奏とはキレが違います。
このキレの良さがどう聴こえるかがポイントなのですが、結果からいうとキレの感覚はだいぶ減じられました。勢いはちゃんと感じますし、このCDでも余韻や残響はあるかどうかくらい。縦の揃いはヘッドフォンでも改めて驚くばかり。良さは再現されているのですが、音の立ち下がりが若干遅いように感じました。若干といっても、0.05秒とかそんなレベルなのですが、感覚的なキレというファクターには大きく影響するみたいです。
おそらく、この演奏のようにキレが際立っている曲だからそう感じたのであって、他の演奏や曲では気になるようなことはないかもしれません。実際、インバル指揮のストラヴィンスキー「春の祭典」を一部だけ聴いてみましたが、これもある程度キレのある演奏ですが、キレの感覚が減じられた感覚はあまりなかったです。
今回の試聴では、P-1uのキレの表現は一般的なレベルは十分こなせるが、キレのレベルが相当に高くなると感覚的に減じられたように聴こえる、という結論です。
なお、金管の位置は@ほど近くはなく、音場の左右の広がり方が印象的でした。

2015/3/27 10:49  [1736-6]   

CD試聴、第3弾。
今回は、ラヴェル/ボレロ、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団

【試聴ポイント】
音色の魅力をどこまで出せるか。楽器の質感の表現力。

【試聴レポート】
音色の魅力では唯一無二の超名盤。パリ音楽院管弦楽団のしっとりツヤツヤの音色は、他に類似盤がありません。多くのファンが虜にされました。かくいう私もその一人。管楽器が入れ替わり立ち代わりソロを吹くこの曲で、各楽器の音色と質感がP-1uでどう表現されるかがポイントなのですが、これは驚き。なんと各楽器それぞれの音色を描き分けていることか。潤い充満の素敵すぎる音。特に木管楽器。オーボエ、クラリネットの木質感をここまで聴かせてくれるとは思いませんでした。
フルート、チェレスタのソロ時は楽器自身の共鳴音らしきものもしっかり聴かせてくれ、分解能も高いことを示していますが、この音色の前には分解能は黒子に過ぎませんでした。
クリュイタンスの演奏は、伴奏の小太鼓が曲頭からはっきり目立つのですが、こういう小太鼓の扱いは珍しいほう。リズム感が強調されて面白く聴けます。
そして、今回嬉しかったのは、余韻、残響といった、いわゆるラックストーンを十分に味わえたこと。
やはりラックストーン、どの程度つくのかは楽曲によるらしいです。さすが聴感チューニングの賜物。

比較のために、ブーレーズ指揮ベルリンフィルの演奏も聴いてみました。音色は意外に温かいのですが、完全にインターナショナルな音。各楽器の音色の描き分けは見事ですが、クリュイタンスのあとで聴くと質感が足りずです。で、やっぱりというか、ラックストーンはあまりつきません。
小太鼓はヘッドフォンで聴いても微かにわかる程度から始まり、だんだん大きくなっていくのですが、一般的にはこっちの扱いが普通。
さらに、デュトワ指揮モントリオール交響楽団も聴いてみました。温度感の低い演奏なのですが、P-1uとHD650の組み合わせで聴くと、ほんのり加温された感じで、曲に合うようになりました。デュトワのラヴェルが今までこんな風に聴けたことがなかったので、新しい発見でした。

3枚のラヴェルをヘッドフォンで改めて聴いたのですが、パリ音楽院管弦楽団は腕が全然上手くない。しかしこの音色、この表現力、ブラボーの一言。

2015/3/27 10:50  [1736-7]   

CD試聴、第4弾です。
今回はフル編成のオーケストラもの。
@マーラー/交響曲第2番「復活」、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨークフィル(1987年録音、ドイツグラモフォン) Aブルックナー/交響曲第8番、ギュンター・ヴァント指揮ベルリンフィル

【試聴ポイント】
音場の広がり感、定位の明瞭度、強奏時の音圧

【試聴レポート】
@ではまず定位の良さが印象的でした。どの楽器がどの辺の位置にいるかがほぼ正確にわかります。音場も、おそらくP-1u+HD650で出せる上限を聴かせてくれたと思います。欲を言えばもっと広いのを聴きたいですが、それにはヘッドフォンをもっと上のグレードに換えないといけないですね。今回は今まで聴いたなかで、もっとも広い音場を感じることができました。
フォルテッシモでは音量の大きさに比してうるささは感じませんでした。音圧はもっと大きい音量でないと感じないようなので、ボリューム位置を10時、11時、12時それぞれで聴き直してみると、音圧そのものは10時でも感じられ、11時のところで快感がよぎるくらいになりました。それ以上になると、いくらなんでも大きすぎる感じ。音の荒れは12 時くらいならまだ生じていませんでした。
大きな音量でも十分音を荒らさずにシンフォニーの音圧を楽しめることがわかりました。
ラックストーンは、この演奏にはほどほどについていて、絶妙と感じる部分もありました。第4楽章からの声楽陣を聴くと、アルトの音域でラックストーンは最大の魅力を出してくれるようです。

Aでは若干音場が狭まりました。定位も少し曖昧で、これは録音自体がそうなんでしょう。
音圧はボリュームを上げることで感じますが、11時で少しうるさく感じ、12時では混濁感に耐えられませんでした。今まで演奏、録音ともにいいCDと思っていましたが、録音のほうはそうでもなかったようです。
ラックストーンは今回はじめて、過剰に感じました。小音量だとそうでもないですが、音量が上がると過剰感があります。今まで聴いたのは、音量をあげても過剰になることはなかったです。ヘッドフォンを変えれば解決するのかもしれませんが、今回のヴァント盤は録音と器機との相性が残念だった面もあります。

2015/3/27 10:51  [1736-8]   

CD試聴の第5弾はピアノ独奏曲です。
モーツァルト・ライヴ・イン・コンサート、内田光子(p)1991年録音

【試聴ポイント】
ピアノの音色と質感、ペダル効果の聴こえ方、協和音と不協和音の表現の描き分け

【試聴レポート】
内田光子さんが当時の集大成を聴かせると銘打った伝説のコンサートライヴがこのCDです。ライヴとはとても思えない完成度の高さに加えて、録音が秀逸なことでも知られています。内田さんのスタンウェイがどのように響くのか、知的すぎるほど知的でありながら、それを全く意識させない演奏スタイルがどう聴こえるのか、聴きどころは多いです。
ライヴゆえにCD冒頭に拍手が収められていますが、その臨場感のリアルさがビックリするほどで、私も会場にトリップした感覚でした。拍手はホールの後ろ側にいるような聴こえ方でしたが、演奏が始まると最前席近くにいるような聴こえ方で、ちょっと戸惑いましたが、CD製作側の意図としてあえてこうしたと解釈します。
最初の曲、幻想曲K475が始まると、ピアノ独奏にしては広めの空間だと意識できますが、そのホールの特等席にいるような極上の直接音と間接音とのブレンドです。このブレンドは、このCDが終わるまでずっと変わらなかったので、満足度は満点以上です。ペダルを使用しても間接音が過多にならず、P-1uはこういうところではラックストーンをつけない、とてもおりこうさんなアンプとわかります。ラックストーンは全体を通しても薄く、それが今回は相応しかったです。
ピアノの質感は中高音から高音にかけて音に艶を感じさせるのが特徴。これはP-1uの力かHD650の影響なのかは分かりませんでしたが、演奏に気品を与えたのは事実。素晴らしいですね。
質感といえば、テンポの遅い部分では、ピアノはフェルトを挟んで打鍵されている楽器であることを感じさせる柔らかさが聴こえた部分がありました。これは演奏者の表現力が良くないと感じることができないもの。内田さんの才能もさることながら、それを再生で表現したP-1uの忠実度の高さを感じました。
ピアノソナタK457で効果的に現れる不協和音を聴くと、このアンプの解像度の高さを改めて認識させられます。協和音でも、ハーモニーとしてのピアノ音がとても素敵でした。
今回の試聴は、誉め言葉ばかりが相応しい、至福のひとときでした。

クラシック音楽での試聴レポートは今回で終わりです。

2015/3/27 10:52  [1736-9]   

CD試聴の第6弾は、J-POPの女性ボーカル。といっても、私はたいした数をもっていないので、たいして話題でないものになりますけど。
今回聴きましたのは、@浜崎あゆみ/A BEST A谷山浩子/冷たい水のなかをきみと歩いていく

【試聴ポイント】
ボーカルの声質、低域から高域までのバランス

【試聴レポート】
@は浜崎あゆみさんの初めてのベスト盤で、最初期のヒット曲がぜんぶつまっています。改めて聴くと、声が若いですね。録音自体も決して乾いた音ではないですが、P-1uですと潤いが明らかに増します。それと、口元とマイクの距離はアーティストそれぞれのクセというか、どのくらい口元に近づけて歌うかは、人それぞれ。尾崎豊さんのようにマイクを舐めることができるくらい近くで歌う人もいれば、美空ひばりさんのようにかなり離して歌う人まで。このCDの浜崎あゆみさんは、15センチくらいはありそうな、少なくとも間近でないことが、息継ぎやリップノイズの聴こえ方で、明瞭にわかります。
今まであまり気にしてなかったのですが、P-1uで聴くとベースがかなり活躍する作品群だとわかりました。これは、P-1uが低域を強調したわけでなく、低域が減衰を始めるのが、だいぶ低い周波数帯からだからと思います。つまり、低域が伸びているんですね。高域もキラキラせずに控えめですが伸び自体は感じました。スペック上だけでなく可聴周波数レンジを広く取れているようで、このアンプは基礎力が高いですね。
「M」でのギターとストリングスでのアコースティックな部分は、P-1uの面目躍如でした。
音場感は、スタジオの箱庭的な空間を出せていたと思います。スタジオの狭さを表現できていたというのは、やはり音場表現は上手いということでしょう。
ラックストーンは、女性ボーカルには乗りやすいと想像してましたが、余韻や残響としての付き方ではなく、声の潤いを増す感じで良かったです。それと、ベースに若干量感が増した効果もあったかと思います。このCDでラックストーンが邪魔に感じることはありませんでした。

Aは谷山浩子さんの声が一番きれいだった時期のCDです。今でも素敵なお声ですけどね。
谷山さんの作品は女の子の深層心理を抉るようなものが人気ですが、本作品はファンタジー路線。谷山ワールドといわれるダークな雰囲気がないので、ファンの支持度は今一つですが、私は好きなんです。
聴き通して、ラックストーンの付き方が予想と違ってました。ボーカルに余韻や残響が乗って、ライヴ録音のような聴こえ方です。これはこれで良くて、だんだん気にならなくなるのですが、今までの聴こえ方と違うので戸惑いました。といっても、この効果で、声のきれいさは減じられたかな。
谷山作品はパーカッションの使い方も印象的なのですが、広がり感があって、@より広いスタジオであることが想像できます。
シンセサイザーも多用されていますが、ピアノとの対比があまり際だたなかったのは、ラックストーンがマイナスに作用した感じです。
低域も高域も管楽器とパーカッションでの音が多いので、全域通して統一感はありました。fレンジはここでもアンプの能力発揮です。
「森へおいで」でのファンタジーさは、スッキリ再生でも、P-1uでの粘り再生でも、それぞれ良さがあって、これはヘッドフォンを変えることでもコントロールできそう。いくつもヘッドフォンを所有して、聴く曲によって使い分ける人が多い理由がわかります。
「月日の鏡」の控えめなナルシズムの表現は、もっと繊細な音で聴きたいと思いました。

2015/3/27 10:53  [1736-10]   

たーやんジュニアさんがP-1uの購入を検討されているので、たーやんジュニアさんがお好きなセリーヌ・ディオンとレオナ・ルイスのCDが、どんな感じで聴けるのかをレポートしました。


まず、セリーヌ・ディオンの方から聞いてみました。
私はすべての曲が初めて聴くものでしたが、深みのあるボーカル、力強い歌唱、アコースティックバンドのバック、すごくいいですね。動詞よりも形容動詞に感情を込める表現方法が独特ですが、なんかこれがセリーヌのマジックではと思うくらいハマってます。

ミニコンポ直挿しとP-1uとでの聴き比べでは、@ボーカルの深みがどれだけ増すか。ラックストーンがどういう効果をもたらすか A歌唱の力強さに過不足ないか Bボーカルとバックとのバランスと距離感 Cバックの楽器の充実度と質感、バック全体で音が団子にならないような解像度が出せるか、をポイントにしました。

【ミニコンポ直挿し】
実はこれでも悪くなかったです。この前、浜崎あゆみさんや谷山浩子さんを聴きましたが、セリーヌは冒頭10秒で、使っている機材も良く、録音にも手間暇かけているのがはっきりわかりました。
声の深みもそこそこ表現されていましたし、楽器の質感も描き分けが巧み。こだわりのない人なら、これで満足するくらいです。

【P-1u】
少し聴いただけで、音楽全体の支えがしっかりして聴こえることがわかります。直挿しの時より、低音を基盤とした全体の重心が低いというか、腰が据わっているというか。安定感が大きく増した、というと分かりやすいでしょうか。

@セリーヌの深みのあるボーカルは、P-1uで聴くと、抑揚が適度に増した感じで聴こえました。決して付き過ぎまではいきません。本当に適度です。抑揚が少しアップするだけで、深みが増した気がしますね。これはラックストーンが楽曲に適合した結果と思います。

Aミニコンポの時も感じましたが、セリーヌのボーカルはパワフルで、CDではおそらく、ミックスの段階でボーカルを少し落として、バックとのバランスをとっているように思います。コンサートで生の歌声を聴くと、声量のパワフルさに圧倒されるのでは、と想像します。
P-1uで聴くと、一聴パワフル感が増した感じがしましたが、よく聴くとバランス的には直挿しの時と変わってないです。おそらく、音程的に低いところでの声の密度感が上がっていて、それが力強さを増したように感じさせたのではないでしょうか。音程の高いところや、声量を抑えて歌う部分は、繊細な感覚に力感を含ませた、彼女独特の表現みたいで、これはミニコンポの直挿しでも聴けた部分。
低い音程での密度の高さはバックのバンドにも同様に感じられました。ボーカルのパワフル感に過不足を感じなかったのは、ボーカルとバックで密度が揃ったのが大きな要素でしょうし、CDの音源通りのバランスなんだと思います。

Bミニコンポの直挿しでは、セリーヌのボーカルもバックの楽器も近めでした(といってもいきなり間近でもないですけど)。特にボーカルとバックが距離的にあまり離れていない感じでした。
P-1uになると、セリーヌとバックとの間の距離が少し離れます。ボーカルとバックとの音量バランスは変わらないので、このあたりはアンプの力でしょうか。
くどい説明になりますが、中くらいの距離から中音量で演奏するのと、離れた距離から大音量で演奏したものとで、収録デシベル値が同じだった場合は同じに聴こえると思われがちですが、能力の高いアンプでは、中距離の中音量か離れた距離の大音量か、ちゃんと感覚的にわからせてくれます。P-1uはそれができる優れたアンプということですね。
実際の収録での正しい距離は、P-1uで再現されたものでしょう。

Cバックバンドはほぼアコースティック楽器での編成で、P-1u得意の分野です。直挿しの時よりも音場が明らかに広がり、左右も奥行きも倍くらいになりました(直挿しは音場がウィークポイントでしたので)。ただ、クラシックを聴いたときのような上方向の広がりまでは出なかったです。
1曲目と2曲目にはバックコーラスが入りますが、この広がりと柔らかさが素晴らしかったです。デュエットの曲では、11曲目が二人の距離が近くて、まるで肩でも組んで歌っているかのような近さでしたが、これは録音がそうなのかは判断がつきませんでした。12曲目はクラシック声楽界のスター、ボチェッリとのデュオですが、さすがのセリーヌも声量では負けてますね。ボチェッリがだいぶ抑えているのが窺えます。この曲では、二人の距離感は左右に3、4歩分は離れていたように聴きました。
楽器の質感は、変な艶でメタリックな感じになることはまったくなく、アコースティックそのもので、それにラックストーンがさりげなく抑揚とわずかな余韻を添えてくれて、とても好感がもてます。全体的に、このCDでは余韻や残響が悪さすることがなく、適合度が高いと思います。
一方で、ビー・ザ・マンのような繊細でウェルサッドネスな伴奏では、物悲しいストリングスを上手い余韻で引き立てていました。ラックストーンってホント不思議です。一様な付き方はせず、まるで人間が感覚でつけているかのよう(たまに上手くないこともありますが)。
バックバンドの解像度は、これで十分という人も多いかもしれませんが、私は正直もうちょっと欲しいです。たしかに分解能は高いですが、このCDでは低弦と他の楽器の低音が重なったとき、もうちょっとほぐれて欲しいかな。でも、上流が結局ミニコンポなので、上流を良くすればあっさり解決かも。

その他として、日本語ライナーにはトラック5に音の歪みがある旨が書いてありましたが、そこ以外にも同様のノイズが3ヶ所わかりました。もっと集中して聴けばさらにあるかも?


こんな感想でしたが、お役に立ちますでしょうか?
個々の曲に触れるととんでもなく長くなるので、全体の感想ということでご勘弁くださいね。
レオナ・ルイスはまだ聴いておりませんので、後日いたします。

2015/3/27 10:54  [1736-11]   

レオナ・ルイス聴きました。たーやんジュニアさんは、セリーヌといい、レオナといい、ボーカルの魅力が強いアーティストに心惹かれているみたいですね。

ボーカルの声量はあまり多いほうではないようです。セリーヌはミックスでボーカルを落とした感じでしたが、レオナはミックス時に少し上げているようです。ボーカルの音域が広めのようで、ミックスでは苦労したアルバムぽいです。バックコーラスをはじめ、多層楽曲が多いので、そのあたりがどう表現されるか興味深かったです。

【ミニコンポ直挿し】
これがセリーヌのアルバム以上に、かなり良く聴けました。おそらく音場がセリーヌほど広くなく、多重録音を常用しているので、ボーカルと各楽器が中央寄りでも気にならなかったのだと思います。
もしくは、多重で加えた楽層を左右に広げているので、ボーカルやアコースティック楽器を録音したベースの層と対比をつけて多重録音の効果を強調する狙いがあったのかも。
レオナのボーカルはセリーヌよりも近く、これは直挿しのいつものパターン。ただ、低音やキーボード類も近く、ちょっと圧迫感ありでした。

【P-1u】
1曲目の冒頭のパイプオルガンをノイジーに処理した音響は、P-1uのもっとも苦手とするところのようです。余韻や残響はそんなに多くはなかったぽいですが、ちょっと音が膨らむだけでかなり聞き苦しい感じがしました。6曲目も同様です。
しかし、アコースティック楽器がメインの楽曲は、セリーヌのCDのようになかなか絶妙なラックストーンでした。レオナの楽曲は、アコースティックと電子楽器との混合編成なので、P-1uを通すと、ちょっと統一感がない気がします。電子楽器のほうで、特に低音域になると音の膨らみ方が大きく、アコースティックとバランスがとれにくいようです。通奏低音ぽく伴奏に徹した電子楽器があると、特に感じました。
でも、全部の楽曲がそうだというわけでなく、「homeless」「yesterday」「angel」といった楽曲は、電子楽器が入ってもそれが重なる部分が少ないので、P-1uの得意範囲といったところでしょうか。

ボーカルはP-1uを通してもだいぶ近く、これはミックスの段階でボーカルを持ち上げたから、変わりようがないのかもしれません。レオナは音域が広い声の持ち主のようで、ラックストーンは低い音程を歌ったときに深みとして表れ、高い音域では若干の空気感を出していた気がします。ラックストーンのために、低いところと高いところで声質が違う感じがするのは、やむを得ないでしょうかね。
ボーカルとアコースティック楽器は中央よりなのは直挿しのときとあまり変わらず、むしろあとから多重録音で付加したと思われる一部の電子楽器とバックボーカルが左右に別れました。ただ、この別れ方は、あまり自然な感じがしません。別録りするなら、同じスタジオでやればよかったと思いますが(クレジットをみると別っぽい)、何曲かはコンピュータープログラミングでの電子楽器なので、多分全曲まとめて別録りを行ったのかも、と想像します。セリーヌのCDと比べると、手間が抜けたかな。でもセリーヌは手間をかける伝統の強いアメリカ制作ですし、いくら注目の新人といっても、セリーヌほどのビッグネームのような制作費用はかかってないということなんでしょうか。楽曲は全部いいので、なんかもったいないです。
といっても、日本のアーティストのCDに比べると、格段にグレードは高いですけどね。あくまでセリーヌと比べたら、ということです。
アコースティック楽器はおそらくあえて中央寄りにしたと思うので、音場は狭くても左右の空気感があります。アコースティックピアノ、ソロヴァイオリンは中央より少しずらした位置で、ボーカルと出所が重ならない工夫はちゃんとされています。このピアノやソロが、P-1uの面目躍如です。歌としても音としても、やっぱり「angel」がいいですね。

レオナの歌唱は、歌詞が大人びているせいもあって、勢いに任せたところがなく、好感が持てますね。口元とマイクとの距離は、セリーヌよりもだいぶ近いと思います。息継ぎ、リップノイズがリアルで、P-1uはこういう音はリアルさをきちんと伝えてくれます。

総評的に書くと、レオナの声域の広さゆえに歌声全体に統一感がないこと(低いほうにだけラックストーンが乗る。乗った音自体はいいです)、アコースティック楽器と電子楽器の組み合わせ方がP-1u向きでない(電子楽器単体では悪くないです。複数の電子楽器の組み合わせ方、つまり楽器の選択)、という2点で、このCDとの相性はもう一つ。
でも、CD制作の意図は十分に出せていましたし、バラード系楽曲は歌声にゾクゾクする瞬間もあったりしました。

先述とかぶりますが、このCDではミニコンポ直挿しでも、かなりの線をいっていました。もしかしたら制作側が、ちゃんとした機器をもたない若年層にも、新人レオナの歌をきちんと聴いてほしくて、こういう音作り(安い機器でもかなり聴ける。高級機だと少し不満が出る)にしたのかもしれません。

一応こんな感じで聴きました。ネガティブなことも書きましたが、気を悪くしないでくださいね。

レオナ・ルイスも初めて聴いたアーティストでしたが、実力派ですね。この人には声域の広さという武器があるので、クラシックを聴く人にもすんなり耳に入る良さがあります。
この人、これがデビューアルバムなんですね。初々しさとかなくて、ホント堂々と歌ってるのがすごいです。

2015/3/27 10:55  [1736-12]   

クリエティブのアルバナライヴでもレオナ聴いてみました。
密度感が落ちて、腰高な感じにはなりましたが、全体のバランスはアルバナライヴのほうがいいです。レオナの声も、統一感が増しました、といってももっと増して欲しいけど。
電子楽器はアルバナのほうが相性いいですね。そのかわりアコースティック楽器は、HD650より音色が少し乾いたけど、ラックストーンの良さは、ちゃんと出てました。
全体的には、アルバナライヴのほうがレオナとは相性いいと思いました。
ヘッドフォンで、感じ変わりますね。やっぱり1本じゃ足りないなあ。スパイラルの始まり?!

で、アルバナライヴ、なかなか実力派のヘッドフォンであるのを再確認。眠らせておくのはもったいない、時々使ってあげなきゃ。

2015/3/27 10:55  [1736-13]   

2014年7月に、上流をオンキョーのミニコンポから、SONY MAP-S1に替えました。
USBストレージをタブレット端末で選曲操作できるコンポです。
座ったままで曲を選べるので、CD交換のたびに、不自由な足を引きずらなくてもよくなりました。

2015/3/27 10:56  [1736-14]   

2014年10月に、新しいヘッドフォンAKG K702を追加しました。
HD650の苦手な楽曲を担当してもらいます。
このスレッドで、K702のことも書きますので、こちらもよろしく。

2015/3/27 10:56  [1736-15]   

LUXMAN P-1u+SENNHEISER HD650のCD試聴記。

今回は洋楽の女性ボーカル。
1.シンディ・ローパー/グレイテスト・ヒッツ
2.スザンヌ・ヴェガ/SONGS IN RED AND GRAY
3.エンヤ/ペイント・ザ・スカイ

試聴ポイントは、それぞれのボーカルの魅力をどこまで再現できるか。バックバンドのバランスと質感はどうか。ラックストーンとの相性はどうか。などです。
今回から、プレーヤーをSONY MAP-S1に変更しています。

●シンディ
シンディの初期のベスト盤で、デビュー当時のスマッシュヒット曲を中心に編まれたアルバムです。
シンディのボーカルは女性としてもハイトーンで、P-1uのラックストーンは乗りにくいと予想していましたが、どうしてどうして、しっかり余韻をつけて聴かせてくれます。ボーカルに深みを加えてくれる傾向ではありませんが、余韻は適度で、まったくシンディの歌声を邪魔しません。
バックバンドは、発表当時の風潮らしく、ドラムスがバンバン叩かれますが、予想外にキレが良く、シンバルや時々聴かれるスネアの高域も気持ち良く、重心の低い低域との対比が楽しいです。
アンプ、ヘッドフォンともに解像度が高い機種ですが、その恩恵を受けて、細かい音がかなりわかり、手の込んだ編曲をしていることが良く伝わってきました。最後をフェードアウトで締める楽曲も多いですが、解像度の高さは、音の消え際でも発揮されていました。
わずかですが、ボーカルの高音域で刺さりを感じ、この機器とシンディの声質との相性はバッチリとはいかないようです。

●スザンヌ
アコースティックな曲作りに徹して、スザンヌらしく、素朴に、緻密に、ツンツンして、なげやりになって、達観して、というアルバム。クラシック以外をほとんど聴かない私が、大好きになって、何十回と繰り返し聴いています。
スザンヌのボーカルは、ラックストーンとの相性がとても良く、深みと余韻をスザンヌに相応しいバランスで加えてくれます。この相性の良さは、以前試聴したセリーヌ・ディオンと同等です。
アコースティックギターの爪弾き、重心の低いベース、生々しいドラムス、控えめに活躍するキーボード類、それぞれがとても魅力的な音で、質感の高さは群を抜いており、全体のバランスがP-1uによってこれ以上ない安定感でととのえられています。
特にアコースティック色の強い「PENITENT」「SONGS IN RED AND GRAY」の2曲は、これ以上の再生は望めないと思うほど、強い訴求力を持つ音でした。

●エンヤ
誰しも多層楽曲の手のかけように感嘆し、女神のようなボーカルに癒され、唯一無二の音響空間に引き込まれるエンヤのベストアルバムです。
明瞭感を排し、ソフティケイトされた楽曲群ですが、解像度の高いP-1uとHD650で聴くと、アラも散見されるようになり、使用機材のグレードが高くないことやディティールの処理の甘さを意識させられてしまうことがあります。
ボーカルも含めて、各楽器を多重録音で重ねていますが、バランスは完璧。統一された音世界がエンヤの最大の魅力ですが、その点の再現は文句なしです。ある意味、この世の楽器ではないような独特の質感も忠実に再現されています。しかし、ソフティケイトの手法が残響利用なので、ラックストーンがしつこく感じられる傾向があり、K702のようなヘッドフォンではどう聴こえるのか興味のあるところです。


次回はまったくガラッと違うジャンルを用意する予定です。

2015/3/27 10:57  [1736-16]   

今回のCD試聴記は、マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」。
P-1uとHD650の組み合わせで聴いています。

モード手法というクールなジャズは、スウィング系を過去のものに追いやったほどの受け入れ方をされましたが、マイルスたち以外の人がやったらおそらく認められてなかったと思います。
それにしても、このCDのメンバーのすごいこと。
コルトレーン(テナーサックス)、キャノンボール・アダレイ(アルトサックス)、ビル・エヴァンス(ピアノ)、チェンバース(ベース)、コブ(ドラムス)。夢の共演という言葉だけでは片付きませんね。

ジャズのことはよくわかりませんので、試聴のポイントは、どんな雰囲気で聴けるのか、それだけです。

マイルスのトランペットは、退廃的な雰囲気が漂い、エヴァンスのピアノ、コルトレーンのテナーサックスも、そのあたりは共通性を持っています。一方で、キャノンボールのアルトサックスは官能的な音色で一貫していて、全員が同じベクトルを意識して演奏しているわけではないようです。
時代としても、プレーヤーの「個」が重視されて、調和が尊ばれたクラシックとは趣が違うことがよくわかるCDです。
「SO WHAT」「FLAMENCO SKETCHES」で顕著ですが、P-1uのラックストーンは、キャノンボールのアルトサックスの音をより深く、より官能的に味付けしており、高音域にはあまりのらず、コルトレーンのテナーサックスはむしろスッキリ傾向。
ドラムスはキレよりも重みを感じさせる叩かれ方に聴こえます。あまり活躍の多くないベースですが、意外なことにラックストーンは影響せず、楽曲の下支えとして機能させているあたり、P-1uの不思議さを感じます。おそらくHD650のゆったりなのに高解像度という性格とのパラドックスなのかも。
マイルスのトランペットには、グルーヴ感を与えて、このあたりはリズム表現を重んじるマイルスの本来の再生ではないのかもしれませんが、ひとつの聴き方として説得力があります。

マイルスのモード手法は、それまでのジャズの常套だった流れで聴かせる音楽ではなく、リズム、メロディ、転調の細分化と管理による組み立て音楽のように理解していますが、クラシックに例えれば、ストラヴィンスキーと同じ思想と思います。
そのあたりに注意して聴くならば、P-1uとHD650の組み合わせは、ダークで退廃的な雰囲気に寄り過ぎかもしれませんが、こういう聴き方が好きな人、きっといるはず。この組み合わせでは、キャノンボールが本当にゾクゾクする音を出してくれますしね。

2015/3/27 10:58  [1736-17]   

今回の試聴記は、今までにないジャンルで。
「続々・テレビまんが主題歌のあゆみ」という、昔のテレビアニメ主題歌集です。
収録曲は「シンドバットの冒険」から「銀河鉄道999」まで50曲。私は観たことがない番組ばかりです。今回聴いたのは、前半の25曲です。

この時代のアニメ主題歌は、オペラの序曲や前奏曲と同じコンセプトです。主題歌1曲で、作品内容の全貌を提示するもの。ちょっと調べてみただけでも、ボツ楽曲、NG版など、多数存在したらしいです。どの曲も凝縮感が濃く、メロディが耳に残ります。
現代のタイアップでの相互宣伝手法では、制作不能な楽しい曲ばかりでした。でも、歌ってる人が数人に限られていて、特別なジャンルなのかな。といっても、水木一郎さん、ささきいさおさん、堀江美都子さん、大杉久美子さん、素晴らしすぎです。ささきいさおさんが、俳優の佐々木功さんのことだと初めて知りました。

どのヘッドフォンが合うのか、予想がまったくつきません。試聴ポイントも検討つかず。なので、今回ドーンと、手持ちの3種類すべてで聴いてみました。

◯AKG K702
すっきりバランスで軽快な音調で終始しているのですが、fレンジが広大で、低域の相当低いところまで再生できており、しかも隈取りがクッキリしています。高域も輝き系で、クラシックを聴いたときとは、印象がかなり違う再生傾向でした。
このCDの曲はかなり狭いスタジオ収録と思われますが、その狭い空間の空気感がよく出ていて、音場表現に秀でたヘッドフォンであることが明らかです。バランスもフラット基調なので、「マシンハヤブサ」「ポールのミラクル大作戦」などのリズムの秀でた曲で特にこのヘッドフォンは生きますね。
他に「キャンディ キャンディ」「ドカベン」がK702に合っています。
こうした主題歌集は、やはりボーカルがどう聴こえるかが生命線だと思うのですが、K702ではどの歌手の歌声も空気感があり、少し乾いた印象も。一言で表せば、軽い声でした。このあたりは、好き嫌いが分かれそうな印象です。私はもっと密度あるボーカルがいいかなあ。
しかし、歌の上手さはむしろこの再生が良くわかります。歌手とはいえないかもですが、こおろぎ'73(コーラスグループ?)上手すぎです!

○SENNHEISER HD650
こうしたアニメ主題歌であっても、低域を土台とした安定感、楽器の充実度は唯一無二です。K702はいろんな楽器が聴こえすぎる感もありましたが、HD650はちょうどいい。といっても聴こえない音があるというのではなく、隈取りをしていないということ。集中して聴けば、ちゃんと聴こえています。
アニメ主題歌なら、ボーカルを立てるためにも、こういう再生がベストではないかと思います。
K702よりも音場は狭く、fレンジも狭く聴こえますが、ボーカルが適度に近く、声質がとても良いです。意外なことに、大杉久美子さんの歌声はこれがベストと言えるほど、潤いと柔軟さが備わっていました。他の歌手も充実度が高いです。
HD650で特に良かった曲はたくさんありますが、「ゴワッパー5ゴーダム」「超電磁ロボコンバトラーV」「合身戦隊メカンダーロボ」「母をたずねて三千里」は最高でした。

○クリエイティブ アルバナライブ!
これが実にいいです。音源そのものの音場が狭い曲を得意とするこのヘッドフォン、この曲集にピッタリです。
K702やHD650にはない適度なメリハリもあり、ドラムスも重みとキレのバランスが非常に良かったです。メリハリがあるので、堀江美都子さんやささきいさおさんの発声が最大限生かされている感じがします。とくに驚いたのが、児童合唱団のコロンビアゆりかご会のコーラス。あんまり上手ではなく、K702やHD650ではズレが気になってました。アルバナライブ!でもそれは変わらないのですが、メリハリがちょっとついただけで、こんなに楽しそうに歌っている印象にかわるとは!
絶対音質では3機種中一番下でも、曲との相性は一番上ですね。
曲自体楽しい「一休さん」「ロボっ子ビートン」「ピコリーノの冒険」は特に良かったですが、「鋼鉄ジーグ」「UFOロボ グレンダイザー」の管弦ボーカルの三拍子揃った見事な表現にはビックリでした。「母をたずねて三千里」もHD650に肉薄していました。「マシンハヤブサ」もK702とは違った魅力で溢れてます。
アルバナライブ!は、今やクラシックのフルトヴェングラー再生専用になっていましたが、アニメ主題歌でもこのヘッドフォン、手放せません。本当に素晴らしいヘッドフォン!

2015/3/27 11:00  [1736-18]   

ドイツ・グラモフォン・オリジナルス Mythos復刻盤

お久しぶりのCD試聴記は、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67「運命」です。
これは20世紀の超名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、終戦後に連合国より演奏活動を禁止させられていたのが解除されて、1947年5月27日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮で活動を再開したときの「ベルリン・フィル復帰コンサート」として有名なライヴ録音。クラシック音楽ファンにも、あまたある「運命」のレコードでも、ベスト・ワンに推す人が多数いらっしゃいます。

今回はこの演奏を、2種類の復刻で聴き比べてみました。
@ドイツ・グラモフォン・オリジナルス(OIBPリマスター)
AMythosレーベル復刻盤(DGG LPM18724 ホワイトレーベルサンプル盤からの復刻)

既に半世紀以上も世紀の名演奏と言われ続けているものなので、演奏についての良し悪しには触れません。2つの復刻の、音質の違いに注目して聴きました。
使用機器はCD再生にソニーMAP-S1、ヘッドフォンアンプにラックスマンP-1u。
ヘッドフォンには、使い慣れているゼンハイザーHD650を使用しました。
ただ、モノーラル録音に相性の良いクリエイティブのアルバナライブ!の方が総合的には良かったです。今回は聴き比べなので、性能の高いHD650を選択した次第です。

@ドイツ・グラモフォン・オリジナルス(OIBPリマスター)
グラモフォン所有のリマスターテープは弦の音色の乾燥、管楽器の高域のしなびが従来から指摘されていました。オリジナルスでは、全体のダイナミックレンジをいったん縮小して音の密度を確保してから、23bitへの拡張リマスタリングを施しているようで、弦楽器、特に高弦の乾いた音色はだいぶ改善されていると聴きました。しかし、管楽器の方はそれほどには聴きやすくはなっていません。
第1楽章主部運命の動機で、フェルマータの後休符を挟んで再度運命の動機が出る時に、フライングしている管楽器がありますが、この音でOIBPは管楽器再生にはあまり効果がないように思いました。
モノーラルなりの解像度は、多くの楽器が重なるトゥッティとなると、ダイナミックレンジが頭打ち、低弦を中心に音響はお団子状態となります。第1楽章再現部、第2楽章全体でのffでは、特に音が抑えられた印象があります。聴こえとしては、かなりこもった感じです。
資料によれば、1991年に発売されたCDは音の団子はありましても、ダイナミックレンジは広めのようでしたので、もしかしたらそちらの方がスケールの大きさがウリのフルトヴェングラーの芸風とマッチしていた可能性もあります。
全体的には、低音から中低音にかけてのボワつきはあまり感じられず、中音にも楽器の質感を感じます。クラリネット、弦のチェロ、ヴィオラは恩恵を受けたと思います。
一方、フルート、オーボエ、ホルン、パーカッションは割りを食った印象です。
OIBPの一番のメリットは低ノイズ化でしょう。第3楽章のp〜ppが続く楽想では、ヒスノイズが目立たない静寂な背景に、弱音のスタッカート、ピチカートが弾けていく様は素晴らしかったです。
このCDの総評としては、音としては一長一短、フルトヴェングラーのスケールや激しさを聴くには物足りなさが残るかと思います。

AMythosレーベル復刻盤(DGG LPM18724 ホワイトレーベルサンプル盤からの復刻)
これはLPレコードからの、いわゆる「板起こし」と呼ばれる復刻方で、最良質な状態のLPレコードの再生音をそのまま収録するという、現在の主流とも言えるやり方です。
フルトヴェングラーをはじめとするヒストリカルレコーディング音源復刻では、音質の評価が高いのはみな「板起こし」であると言ってもいいくらいでしょう。
「板起こし」されたフルトヴェングラーの「運命」の中でも、最も評価が高いのがこのMythos復刻盤です。
古いLPからの音なので、プチプチノイズはありますが、この手の「板起こし」としては少ない方です。
オリジナルスと比べて、音の密度が高いことが一聴して分かります。これは音の情報量が多いことを意味しています。また、オリジナルスの弱点だった管楽器が色艶を保っており、特にホルンが救われています。弦の潤いも相応に確保されました。
音の分離も格段に向上しており、キレのある音、スムーズにあがるクレッシェンドなどが、ダイナミック感をもたらしていて、フルトヴェングラーらしいスケールです。これはオリジナルスの音を基準にしたなら、感動ものなくらいです。
しかし、低音を中心に音がお団子になる傾向は、Mythosでも改善されておらず、これは録音時のどうしようもない事象なのでしょう。
また、「板起こし」の宿命であるSNの悪さは、他の「板起こし」よりはマシであるものの、リマスター段階で拡張したオリジナルスにはやはり勝てません。
総評としては、物理的な音質向上も分離や情報量の点で感じますが、それよりも、音楽としての聴感的な向上を優先した印象です。
フルトヴェングラーのイメージに合致するスケールとダイナミックを求めるならMythosです。ダイナミックレンジの頭打ち感があまり感じられないメリットは大です。
音響としてオーディオ的に楽しむなら、オリジナルスの方に分がありそうです。クリアさ、低ノイズは、音を楽しむ基礎条件でもありますからね。


次回は、アルバナライブ!やK702で、Mythos盤の音質比較をしてみたいと思います。

2015/7/13 03:24  [1736-1186]   

前回試聴したMythos復刻盤ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67「運命」を、AKG K702とクリエイティブ アルバナライブ!の2つのヘッドフォンでも聴いてみました。

@AKG K702
HD650に比べると明らかに音調が明るく、清々しい雰囲気です。
解像度の高さはHD650と同等くらいですが、弱音の拾い方が丁寧かつ明瞭で、小さい音もはっきり聴こえるのが特徴です。HD650は、集中して聴かないと解像度の高さに気づきにくいですね。
明るめの音のためなのか、音色が全体的に乾燥気味で、色艶は感じにくい結果となりました。
また、HD650よりもこもり感があるように聴こえますが、聴き込んで行きますと、全体の明瞭度が増したために相対的にこもった感じがしているみたいです。こもり具合の絶対値は、HD650と変わりないと思うのですが、聴こえ方としては明瞭度に劣るHD650の方が聴きやすかったです。
また、LP独特のプチプチノイズも、明瞭になってしまうという負の面も表れてしまいました。
Mythosの情報量の多さは、ローレベルの処理の明瞭さゆえに、HD650よりもK702の方が有利な再生です。
また、音源の距離が、近めのHD650であるのに対し、K702は若干遠め。モノーラル録音なので音場感にさほどの違いは生じないと思っていましたが、どうしてどうして、かなりの違いです。K702で聴きますと、ニアフィールドでスピーカーから再生させているような錯覚に陥るほどです。
HD650はその音調にラックストーンが加味されて満足感の高い貫禄の再生でしたが、K702はオーディオ的気持ち良さが全面に現れて、ヘッドフォンリスニングの醍醐味を味わえると言えるでしょう。
両機とも異なった個性で素晴らしい音楽を奏でてくれて、ひとつを選ぶなどできませんねぇ。

Aクリエイティブ アルバナライブ!
このヘッドフォンはHD650やK702よりもかなり安価なものですが、音場の狭い音源の再生を得意としており、低域から高域までのバランスの良さと音色の過不足ない艶が特徴です。
私はフルトヴェングラーをはじめとするヒストリカル音源は、モノーラルとの相性の良さを買ってほぼアルバナライブ!を使って聴くことが多いのです。
アルバナライブ!で聴いてみまして、やっぱりこれは惚れ惚れする再生です。P-1uの性能のおかげで、能力を大化けさせたアルバナライブ!ですが、語弊を恐れずに言えば、これはHD650とK702の良いとこどりをした、美味しい再生でした。
それに加えて、アルバナライブ!のもつ適度なメリハリ感が音楽に躍動を与えてくれて、ダイナミック感は最高です。音色も低音から高音まで適度な潤いと艶がつきます。
解像度はやはりHD650やK702よりも落ちますが、モノーラル音源ではせいぜい1段程度の落差です。fレンジも、モノーラルでは高級機と比べても再生能力に遜色ありません。
何より、アルバナライブ!一番の弱点だった音場の狭さが、モノーラル音源では無問題となるのが大きいですね。
フルトヴェングラーを堪能できると言っても過言ではないこのヘッドフォン、今日(7月13日)現在で4,888円という安価で購入できるなんて素晴らしい!

2015/7/13 15:41  [1736-1187]   

ちちさすさん、こんにちは、

お久しぶりです。
こちらにお邪魔してもいいのかしら?

ヒストリカルレコーディングにはアルバナライブ!なんですね。
売ってるうちに買っとくかな?でも今8つもヘッドホンあるしね、、、

どうもロックにいいよ、って言われてるヘッドホンでフルトベングラーとかトスカニーニとかの交響曲聞くのが好きで、変かなーって思ってたけど、、、

Koss PortaPro(10年以上使ってたのを娘にあげたら2週間ぐらいで断線、、、涙)、Grado SR60i, Sennheiser HD25Iなどが、うちではヒストリカルレコーディングに活躍してますよ。

また来ますね。

2015/7/14 11:56  [1736-1190]   

新しくJVC HA-FA1100が仲間入りしました!
初のダイナミック型イヤホンです。

2015/8/17 08:41  [1736-1470]   

このスレッドは、私の音楽試聴記と購入報告のために用意したものですので、書き込みはご遠慮くださいませ。
このスレッドの内容のお話は「イタいの飛んでけ」か「ちちさすの履歴書」でお願いいたします。

それから、常設は「ちちさすのお蔵」や「旧縁側の過去スレ案内」と定期的に入れ替えるつもりでおります。

2016/4/10 07:36  [1736-2944]   

新しい機器、STAX SRM-006tA+SR-404をお迎えして、クラシック音楽を聴き込んでおります。
Foolish-Heartさんによりますと、中古でもエージングに時間がかかるであろうとのことですが、まずは2日間でオケ、ピアノ、オケ伴声楽を聴きましたので、簡単に感想を書き込みます。

私のリファレンスはラックスマンP-1u(ヘッドフォンアンプ)+ゼンハイザーHD650なのですが、聴き比べてみまして、両者がほぼ同じようなバランスで鳴っているのに驚きました。
バランスというのをもっと具体的に説明いたしますと、低域・中域・高域のそれぞれの量感的なバランス、低域から高域までの分布の仕方のバランスですね。そして音場感が両者でほぼ同じ広さです。
なので再生中に夫にSR-404とHD650を付け替えてもらっても、感覚的にガラッと音が変わった感じではないのです。
発音方式がダイナミック型と静電型の違いがある両機で、これは本当に意外な印象でした。
しかし、個々に細かく項目を分けて聴きますと、違いは多々あります。

@P-1u+HD650は、音圧、密度感で充実感を有利さを持ち、解像度の高い音を滑らかに均した音です。滑らかさゆえに旋律にレガート感があり、音楽的な印象を与えてくれます。
SR-006tA+SR-404は音圧、密度ともに押し付けがましさがまったくなく、実に自然です。HD650が常に強めの音圧と濃い密度感で再生を進めるのに対し、SR -404はかなりリラックスした感じなのですが、これが軽い音なのかというとそうでもなく、一番近い言葉を探すと「速い音」だと思います。トランジェントがどうのという難しいお話でなく、聴感上速く感じるのです。
なので音の立ち上がりと立ち下がりはHD650よりも優れていて、特にスピーカーでもヘッドフォンでも難しいとされる立ち下がりの良さは、長くオーディオをやってきてますが初めての経験かもしれません。

AP-1uの持つ、俗にラックストーンと呼ばれる聴感的残響の効果は抜群で、響きが豊かでオーディオっぽい再生となり、さらに楽器の音色や声楽に潤い(湿度感)を加えてくれます。これが私にはたまらなく好みなのですが、見方を変えましたら演出色の濃い音とも言えます。HD650はそれをかなり忠実に再現していると思います。
SRM-006tA+SR-404は、音の量感としてはP-1u+HD650に近いくらいのものを持っています。なので一聴似た感じですが、残響の減衰が両者で比較するとこちらはかなり速く、しかもシームレスなので非常に音楽の見通しが良いです。
響きは若干足りませんが、その分解像度の高い、弱音も容易に聴取できる、しかしK702のような音の隈取りでなくごく自然な感じの再生です。HD650も解像度は高いのですが、かなりの集中力で聴きませんとそれがわかりません。
残響については、P-1uはチューニングで意識して付加されたと見られる一方、SRM-006tAは終段デバイスが真空管というのもあり残響は少ない機種なので、この点をチェック項目にしましたら正反対の製品同士になるでしょう。
そしてこの残響の違いが、それぞれの魅力の違いに直結しており、独自のアピールポイントを形成しています。
具体的には、SRM-006tA+SR -404はp〜mpでの繊細な響き、音の消え際のなんとも言えない侘び寂びにも通じるほどの表現が素晴らしく、全帯域で少ない残響ながらもその浮遊感と柔らかさが特に傑出しています。
P-1u+HD650はmf〜fでの響きの良さが特筆もので、全帯域で音色や発声のニュアンスの表出、遠近感の良さと拡散感、充実感、エモーショナルな官能性の表現が傑出しています。
Foolish-Heartさんが言われるような「ふわっ」とした響きはmpあたりのレベルで聴けたかな、というくらいで正直まだ「おおっ」と感じるところまでは至っておりません。
STAX独自の音世界という点では、おそらく静電式の発音方式と、先に書きました残響の特徴との相乗効果で醸してくれるものでは、と想像しております。
響きの質そのものを比べますと、潤いのP-1u+HD650、艶のSRM-006tA+SR-404と言うことができ、これは個人的好みでP-1u+HD650に軍配をあげます。

2017/4/2 22:52  [1736-4768]   

BP-1u+HD650の低音は力感よりも量感が主体ですが、これはP-1uもHD650両方に共通する特色で、キャラクターがかぶることで一層強調されています。なのでクラシック音楽に限っても、この組み合わせでは苦手な楽曲というのは確かに存在し、はまれば魅力MAX、一方ではずれも大きい、という結果があらわれます(そのために AKG K702を導入しました)。
高域は控えめで、ffがまろやかで刺さりません。この組み合わせで刺さるようならよほどの刺激的高音でしょう。
SRM-006tA+SR-404の低音は、先述の通り量感の減衰が速いため、中域や高域のマスキングや、マスキングまでいかなくても聴き取りにくいということも、通常の音源ではなさそうです。
なので苦手な楽曲は打音の強いジャンルくらいだと思いますが、まだいろんなジャンルを聴き込んでいるわけではありませんので、これ以上は言及しないでおきます。
高域はP-1u+HD650よりも張り出しがあり、音が近い感じです。ただ、オーディオの標準的なバランスにはこちらの方が近いのでしょう。管楽器が立ち、交響的な音響で、実体感があります。音の刺さりもf〜ffで感じられ、時に荒さも表れますが、これは使い込むことによってこなれていくかどうか、経過を見ていきたいと思います。

C音場感はP-1u+HD650とSRM-006tA+SR-404はほぼ同じくらいの広さと先に書きましたが、遠近感に関してはP-1u+HD650の方が表現が巧みです。これは音量的な大小をうまく使っている印象で、SRM-006tA+SR-404は広さはあっても音の距離的な出どころが段階分けされている印象でした。これはイヤホンのSHURE SE535LTDを標準ケーブルで聴いた時と似たような出方です。
また両機の決定的な違いとして、SRM-006tA+SR-404では音場の高さの表現ができていません。もっともヘッドフォンで音場の高低の表現ができるものは非常に少なく、HD650がその数少ないヘッドフォンの一つであるという事情はありますので、高さが出ないこと=劣っている、という結論にはならないのですが、聴き比べますと天井の低さと、ステージ上で段の上で奏している楽器とそうでない楽器が同じ高さから聴こえるのはやはり不利な面を感じます。
クラシックではオーケストラピッチの後ろ側にある管楽器はステージ前方より一段上に席があることが多く、それらの楽器がチェロやコントラバスの音と同じ高さから聴こえてしまうわけです。
静電型は三次元的な立体感の醸成が苦手なのか、もっと高級機ならばその表現が可能なのかはわかりませんが、そういえばQUADの静電型スピーカーも、空間の立体感に関しては、良くできたコーン型には及ばなかった記憶があります。


このように一聴では似た音と感じた両機も、細部は相当に異なる音質でした。
まだ2日だけでの感想ですが、STAXは基調としては原音再生のベクトルで、SRM-006tA+SR-404は音楽の、そして音源の魅力を教えてくれるシステムです。
一方、P-1u+HD650は演奏者(アーティスト)の、そして音楽表現の魅力を伝えてくれる組み合わせです。
どちらも良いシステムですが、趣味としての音楽鑑賞なら、P-1u+HD650の色付けが好きですね。STAXは官能性、演出が足りないです。でも、ある意味抑圧のある音ともいえるHD650に対して、STAXの音は癒しの音であるのは間違いないでしょう。ちょっと疲れている時は、STAXの音が断然良いですね。

2017/4/2 22:56  [1736-4769]   

今回は夫がものすごく好きだったロックシンガー、尾崎豊さんのデビューアルバム「十七歳の地図」を聴きました。
尾崎豊さんが「10代のカリスマ」「10代の教祖」と言われてましたが、精力的なライヴを敢行していたのは10代のうちだった1984年と1985年の2年間だけ、というのは今にしてみると本当に伝説的ですね。
夫は1969年生まれで、10代だった尾崎豊さんをリアルタイムで追いかけていた一番下の世代になるでしょう。
私は亡くなった時に初めてその存在を知ったので、夫からアルバムとライヴCD、DVDを視聴させてもらい尾崎豊さんの歌を経験しました。

あんまり詳しいことはわかりませんが、尾崎豊さんはCBSソニーのオーディションシステム、SD(サウンド・デヴェロップメント)に合格してデビューをしたということです。
このSDは、合格したら即レコードデビューというわけでなく、SBCソニー所属のアーティストの前座などで歌い、お客さんの反応などをみて、実際にデビューさせるかどうかを決めるようです。
尾崎豊さんは、ポップンロールと言われた白井貴子さんの前座などを務めたと、書籍の来歴には書いてありました。
インディーズからの転籍デビューがメインの現在と違って、歌謡曲や演歌歌手にも通じる苦労人的な道を歩んでいたんですね。

1983年12月にアルバム「十七歳の地図」とシングル「15の夜」でレコードデビューしたものの、SD出身としても低評価の3,000枚プレスで、しかも売れ残ったということです。
翌年3月に新宿ルイードというライヴハウスでプロデビューをしましたが、内輪の発表会的雰囲気も感じられたようです。
このライブハウス自体、アマチュアバンドもライヴを開けるところなので、デビュー当時の低評価が伺えてしまうのですが、その年、大阪のラジオで「十七歳の地図」を紹介されて以降、急速に若者の共感を得て、1984年のシングル「卒業」と1985年のセカンドアルバム「回帰線」につながり、この年の伝説的ライヴ「大阪スタジアムライヴ」や「LAST TEENAGE APPEARANCE」でロック史に名を刻むこととなりました。
でも、「回帰線」をリリースしたころには、大手レコード業界の利益市場主義的な方法論に違和感を抱いていて、CBSソニーとの契約を解除したい意向があったそうです。
結果として、「回帰線」からわずか8ヶ月でサードアルバム「壊れた扉から」をリリースする条件で、CBSソニーを離れることが決まったようです。
というのが、尾崎豊さんの活動前半(10代)の概要です。

こういうことを書くのは今さら感がありますが、夫の話も聞いた上での私の思うところも書いておきます。
尾崎さんが多くの同年代に「代弁者」として支持された背景には、当時の教育の画一保持が大きく影響していたのでしょう。
教育だけでなく、社会としても画一化され、それを良しと考えた大人たちが社会の支え手であった時代。
若者の世代は、多くの人が同じ事象に同じ不満をいだく。それは画一の時代の反映であり、画一からはみ出せば誹られ、社会的未熟の若者は誹りを受ければ不本意に従うか、力で反抗するかの、本当ならどちらも選択したくない二択を迫られる。
尾崎さんの登場は、反抗ではあっても力ではなく、言葉と歌で大人に伝えるという手段の開示だったのでしょう。大人たちにどう伝えればいいかわからなかったことが、言葉と歌で簡潔に伝えられる…二択以外の選ぶ道が開けた若者たちの共感が大きいのは当然だと思います。マスコミマスメディア関係では「共感」と言いますが、当時を知る夫の話を聞いたら、共感というより「同化」という言葉が相応しいように感じました。
尾崎さんを「教祖」、熱狂的ファンを「信者」と喩える見方は、時折事実の揶揄にように感じますが、時代背景を考察すれば人の心として理解できるものではないかと、私は思いました。


●録音・マスタリングについて
LPで当初リリースされた「17歳の地図」は、当然アナログ再生を前提としたアナログマスタリングであり、1985年4月に初CD化された際のデジタルマスタリングは、そのマスタリングから単にイコライジングカーブを外しただけのものと見ています。これは当時のクラシックでもジャズでもそうだったので、CBSソニー発売のLPだったもののCD化は、デジタル録音であってもマスターには戻らず、アナログマスターからのコピーを使っていたんでしょう。
「十七歳の地図」のCD化は、セカンドアルバムのCD「回帰線」の発売に合わせて行われましたが、「回帰線」の音のクリアさとリバーブ感のなさを聴くにつけ、LPアルバムのCD化によほど苦労していたことがうかがえますね。

さて、夫が所持している初期盤のCD(32DH192)で聴くと尾崎豊さんの歌声にもこもりがあり、バックバンドも音圧をかなり抑えた印象があります。
これは当時の風潮として仕方ないことだと思いますが、CDのノイズのなさを誇示するために、デジタル録音であってもノイズリダクションに頼った制作をしていたためと思われます。
私が聴いた限りでは、かつてフィリップスから発売されていた「ノー・ノイズ・システム」でリマスターされたクラシックCDの音質を想起させられました。
後年再発売されたアルバムはノイズリダクションも変え、リバーヴも弱くしたとも聴きますが、大元のデジタルマスターテープに戻ってリマスタリングしたということなので、もっとクリアに聴けるみたいです。
今回はこの最初期盤のCDを聴くわけですが、昨年P-1uとHD650やK702で聴いた時はベターな再生とはならなかった印象でした。
実は昨年この試聴記を書くつもりでいたのを取りやめたのもそれが理由です。

先日、病室で(私は現在入院中です)AK120UとSE535LTD+SXC24バランスケーブルで「十七歳の地図」を聴きました。ほぼ1年ぶりの試聴でしたが、据え置きシステムではできなかった、私の手持ち機器ではこの音源の弱点をもっとも緩和した再生なのではないかと思い当たり、試聴記を書いてみることにしました。

2017/7/6 14:24  [1736-4810]   

●音質について
楽器編成は少なく、ギター、ベース、キーボード、ドラムスが基本。「街の風景」と「I LOVE YOU」の2曲に至ってはこれだけです。サクソホーン、パーカッション、ストリングス、コーラスが加わる曲もありますが、当時のポップスやロックとしても音楽的に目新しくはなく、「15の夜」と「僕が僕であるために」でハモンドオルガンを使用している以外は標準的です。
ドラムスはバンバン打ち込まれることもなければ複雑なリズムを生むこともなく、ベースギターも前面で強調されることもない、ロックというにはおとなしめの曲。つまりは低音が少ないのですが、CDとしてのバランスは明らかに低域寄りで、意識的な低域盛り上げと、マスタリングでのリバーブを意識させる、ベールが2,3枚かけられたような印象です。
ただ、これでも聴き慣れてしまえば不満を言うほどでもありませんし、当時のLPアルバムをCDアルバム化した盤の音質は十把一絡げにこんなものと割り切ってもいいのかもしれません。私は割り切っちゃいます。

先述の通り、今回の試聴に使用した機器はDAPにiriverのAK120U、イヤホンにSHUREのSE535LTDで、ケーブルをALO AudioのSXC24 2.5mm4極バランスにリケーブルし、バランス駆動させています。
私の所有機器の中では、この組み合わせがもっともクリアでうるさくない音を聴かせてくれます。据え置きシステムのラックスマンP-1uとゼンハイザーHD650の組み合わせではエコー感が始終気になりますが、これなら許容範囲です。
「十七歳の地図」は音質としては全楽曲でほぼ統一されており、曲が変わることでの違和感はありません。SE535LTDは高域の伸びがあり、スッキリ系の資質ですが、このアルバムではギターもキーボードもさほど高音域を使われていないので、パーカッションの減衰で美点が確認できるくらいです。
一方低音は控えめで見通しが良いのですが、それでも低音寄りにマスタリングされた素性を変えるまでには至りません。半面、尾崎さんのまだ10代らしい声の甘さを損なわないでクリアさを付加した低音であり、この組み合わせの再生は良い落とし所と言えるかもしれません。
またSXC24のバランス駆動では左右の音場が本来以上に広いのですが、無理に広げずもっと箱庭でも良かったと思います。といって、オリジナルのアンバランスケーブルでは音場のシームレスさがなくなってしまうので、選ぶならSXC24ですね。
楽器の音色は若干金属質な方向で、これは録音というより、マスタリングの影響かもしれません。例えば「I LOVE YOU」の冒頭のアコースティックピアノソロが電子ピアノのように聴こえてしまうところ。これは以前HD650やK702で聴いた時も得た感想でした。

●再発売盤で音質向上との情報
「十七歳の地図」の初めての再発売はおそらく1991年5月15日のSRCL-1910だと思います。これが遺作アルバム「放熱の証」の発売(同年5月10日発売)に合わせた過去作リリースとして予定されていたのか、4月25日に尾崎さん本人が亡くなったのを受けた追悼リリースだったのかは今となってはわかりません。
「放熱の証」を発売日に予約で買った夫によれば、本来は尾崎さんが亡くなる前の3月リリース予定だったそうで、前年12月に尾崎さんのお母さんが急死したために、メモリアル曲を1曲追加することを2月に決めたための発売延期とのことです。
ということは、やはり追悼再発売だった可能性が高いですね。
音質を向上させたのがこのSRCL-1910なのか、没後10年の命日に合わせた再発売盤SRCL-5076(2001年4月25日発売)だったのか、聴き比べてみないことにはわかりません。
ちなみに以後の再発売は、紙ジャケット仕様の完全限定盤SRCL-20001(2009年4月25日発売)とBlu-specCD2のSRCL-30001(2013年9月11日発売)です。

2017/7/6 14:30  [1736-4811]   

●各曲について
全曲尾崎豊さんの作詞作曲で、編曲はCBSソニーの関係ミュージシャンお二人がてがけています。
@「街の風景」
この曲は尾崎さんの原点であり、元詞はかなり長いもので、録音ではプロデューサーの須藤さんという人にかなり赤ペンで直されたようです。尾崎さん本人は不満だったのか、ライヴでは元詞で歌っていました。
冒頭のギターとベースからいきなりリバーブ感がありますが、ヴォーカルが入るとあんまり気にならなくなるのは、当時の尾崎さんの甘い声質と合っているからでしょう。
歌詞は焦燥感あり、達観あり、と少々落ち着きません。メロディもおとなしく、淡々と歌っているのですが、写実と譬喩を織り交ぜた詞の訴求力の強さはすごいものがあります。この訴求力は元詞から既にありました。
淡々とした曲の運びだからこそ、詞が際立ったと思います。

A「はじまりさえ歌えない」
この曲は後にシングルカットもされた人気曲で、尾崎さん独特の叫ぶような歌い方が初めて取り入れた曲だそうです。「15の夜」や「愛の消えた街」の歌い方も、この曲の成果を受けてのもののようです。それでもちょっと可愛さも含む甘い声ですけどね。
リスナーへの語りかけと自身の発露を交互に織り交ぜたなかなか上手い構成の詞ですが、これが須藤さんの手直しが入っているのかはわかりません。
歌詞も「詩」と呼びたいくらい譬喩が巧みで、「楽しくやるには この街では金だけがたよりだよ」という世間への揶揄を、小馬鹿にしているような歌い回しをするあたり、ただの新人じゃないですね。
SE535LTDの特長でもあるのですが、中高域に伸びがあるのでパーカッションのカランカランという金属っぽい音がサーっと抜けていくのは地味な部分ですが爽快ですらあります。
その半面、シンセサイザーが少々こもってうるさいバランスに聴こえてしまいます。
ところでこの曲を聴いた夫は、編曲をした西本さんという人は大野克夫バンドの影響を受けているのかな?と言っていました。シンセサイザーの使い方がよく似てるとか。私はまったくわかりません。大野克夫さんをそもそもわかってない私です(^^;)

B「I LOVE YOU」
尾崎さんが高校停学中の間にレコーディングを済ませてデビューアルバムを制作するというスタッフの思惑だったのですが、8曲はできたけど、アルバムにするには曲が足りない、ということで急遽作った2曲のうちのひとつがこの「I LOVE YOU」だそうです。
制作当時は、これが尾崎さんを代表する曲になるとは誰も思わなかったでしょうが、シンプルなメロディと歌詞構成、得意の譬喩を抑えてひたむきさやピュアな想いを凝縮させた名曲ですね。
音程に忠実に、メロディを大切にして、流さないで歌っているのが、尾崎流ラヴ・ソングなのでしょう。

C「ハイスクール Rock'n'Roll」
尾崎さん自身がお気に入りであったというこの曲は、ライヴでは「街の風景」とともに長尺にアレンジされるメイン扱いのナンバーでした。
代々木オリンピックプールにおける10代最後のライヴでの、尾崎さん自身によるこの曲でのハーモニカ演奏は伝説だということです(ライヴアルバム、ライヴビデオで聴けます)。
高校時代の通学風景が題材ですが、ありふれた光景を切り取って歌にできるっていうのは若さと才能のコラボなんでしょう。
このアルバムの中ではアップテンポではありますが、それでもソフトロックの範疇にあるのは、浜田省吾さんを旗印にした当時のCBSソニーのロックというジャンルの考え方でしょう。
ハウンド・ドッグの大友康平さんがコーラスで参加しています。

D「15の夜」
アルバム発売と同時にシングルカットもされた、言わずと知れた代表曲のひとつが「15の夜」。
この曲の歌詞の一部は、実際のできごとを元に書いているだけあって、リアリティを伴った訴求力を感じます。
アルバムの中では早い時期での録音と思いますが、これまでの4曲と比べ、低音音符の少なさとちょっと楽器の使い方が違う感じがしますが、クレジットを見ましたら編曲が西本さんでなく町支さんという人でした。
サクソフォンも楽器に加えたのも町支さんのアイデアかもしれません。
聴きどころは「盗んだバイクで走り出す」から始まる心の叫びをそのままに声にしたところでしょう。

2017/7/6 14:33  [1736-4812]   

E「十七歳の地図」
この曲がラジオで紹介されたことで、尾崎豊というアーティストの知名度が徐々に広がったわけですが、直截的な訴求力の強さは後年の曲を含めても随一と言えるのではないでしょうか。
叫ぶような歌唱も訴求に輪をかけて迫ってきますね。

F「愛の消えた街」
デビューアルバムを10曲構成にすると決めた時、すでに録音待ちになっている8曲の他にさらに2曲を短期間で作らなくなった尾崎さんは突貫作業で「I LOVE YOU」を書き上げ、最後にこの「愛の消えた街」を作りました。
殴りつけたような歌詞とインテンポでビートアクセントを繰り返すメロディは、ソフトな全体印象のこのアルバムの中では異質とも言えます。ライヴであまり取り上げなかったのも、そのあたりが理由なのかもしれません。
この曲の編曲は相当難しかったと思われますが、担当は町支さんでした。

G「OH MY LITTLE GIRL」
すでに完成してた「ダンスホール」が収録NGとなり、代わりに作られたバラード曲が「OH MY LITTELE GIRL」と聞いています。実質この曲が尾崎さんが作った初めてのバラード曲となりますね。
好き合った2人のデートの情景を切り取った歌詞ですが、この曲といい、「ハイスクール Rock'n'Roll」といい、切り取りがとても上手いですね。ただ、女の私から言わせてもらうと、この歌詞は女の子がキュンとくるものではありません。尾崎さんの楽曲の中でももっとも地味なポジションに甘んじたのはそのせいかしら?

H「傷つけた人々へ」
人は人と関わって生きていることを哲学的な視点で、しかも平易な言葉で語りかけた名曲です。このアルバム中、もっとも親しみやすいメロディに乗せて歌い上げています。
吉田拓郎さんからの影響を指摘されるときに、この曲が取り上げられますね。

I「僕が僕であるために」
この曲も哲学的な視点からの歌詞ですが、作られた時期はかなり早く、表現も現実的かつ直截的です。不安定な自己をそのまま受け入れる姿勢に勇気をもらった同年代の人たちはかなりの数いたことでしょう。
また根底にラヴソングの脈絡が敷かれているのも、大いに共感をもたらしたと思います。

2017/7/6 14:34  [1736-4813]   

前回の試聴記から早3年(^^;)
久しぶりに試聴記をあげてみたいCDを入手しました。
今回の試聴盤はジャズ・ヴォーカルのレジェンドの1人、ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)が最晩年に残した名盤「レディ・イン・サテン(Lady in Satin)」です。

ジャズには全然縁のない私でしたが、他の縁側さんで知り合いましたBigshooterさんという方からジャズの名盤の数々をご教示をいただきまして、その中から選んでみたアルバムです。
ジャズには縁がないと言いましても、カウント・ベイシーやベニー・グッドマン、マイルス・デイヴィスのアルバムは少量所持しており、純粋にジャズではないのですがドリス・デイもあります。
しかし事前に集めた情報から推測するに、ビリー・ホリデイはそれらとは同列の聴き方で楽しめるアーティストではなさそうで、おそらく私の音楽履歴においても初めての享受体験となることでしょう。

試聴機材はプレーヤーにDENON DCD-1650ALとSONY MAP-S1、ヘッドフォンアンプにLUXMAN P-1u、ヘッドフォンにはAKG K702、SENNHEISER HD650、クリエイティブ アルバナライブ!の我が家のフルラインナップ。本格的ジャズ・ヴォーカルは初めてですので、どの機材が合うのか、果てまたどれも合わないのか、機材との相性も確かめてみようと思います。

ジャズはほとんどまったく聴かない私でも、クラシック音楽とはまったく異なる聴き方、音楽の受け止め方をしなければいけないことはわかります。クラシック音楽の場合、楽曲は論理で受け止め、演奏表現を感性で受け止める、同時進行での享受なのですが、まず通しで聴いてみましたら、ジャズはそんなことを意識しないで、ただ、心にズンと響いてくるかどうかで良い悪いも好き嫌いも決まるのだろうと感じました。
そうでないジャズもあるんでしょうが、このアルバムは間違いなくそういう性格のもの。ハートを射止められるかが好悪を分け、射止められた人が多いからこそ半世紀以上も名盤の地位を不動にしているのでしょう。

さて、ジャズに縁遠い私にどういう感銘を与えてくれるのか、本格的に聴き入ってみます。
最初に調節したのは音量です。音量調節は音楽鑑賞の基本中の基本。音源にとってその魅力を表せる適切な音量というものがあり、機材面でも性能を発揮させられる音量、音質や表現力を出せる音量というものが存在します。そしてその音量の度合いは、リスナーの聴取環境の都合にまったく配慮なく決まるのです。
それ故に、スピーカーでの聴取ですとお部屋の音響の具合や、家族やご近所への騒音都合も考慮して、妥協を加味した音量調整を強いられるケースが大半ですが、ヘッドフォンですとまず理想の音量に調節することが可能です。
クラシック音楽ですと、必要なダイナミックレンジはいつもほぼ同じなので、いつも聴いている音量というのがだいたい固定される傾向にあり、私にもいつもの音量というものがあります。
ですが、「レディ・イン・サテン」の最初の通し試聴では、いつもの音量では、音量自体は小さくないのですが、あらゆる意味で物足りない印象でした。なので「ここだ!」という音量位置までボリュームを上げました。ノブ角度にしてだいたい30-40度ほど上に回しております。

長くなりそうですので、試聴記は次のレスに回します。

2020/8/18 11:38  [1736-5148]   

「レディ・イン・サテン」

さて、私の入手した「レディ・イン・サテン」ですが2015年10月にソニー・ミュージックエンタテイメントから発売された日本盤です。
このアルバム、LPではモノーラルとステレオの両方で発売されており、モノーラルでは12曲、ステレオでは最後の曲「The End of a Love Affair」を収録しない11曲構成だったそう。
CD化されてどうなったかといいますと、1987年発売のCDではステレオLP収録の11曲に「The End of a Love Affair」のステレオヴァージョンを加えた12曲なのですが、その後のCDはステレオLP11曲にモノーラルヴァージョンの「The End of a Love Affair」を加え、ボーナストラックにそのステレオヴァージョンを追加するという方法をとっております。
うーん、別テイクではないようですし、オリジナルとボーナストラックは逆で良かったと思うのですが(^▽^;)
リマスタリングについては、帯に2000年リマスターと明記されていますが、ちょっと調べてみますとこの記載はアヤシイですね(笑)。リマスター無し(初CD化当初のデジタルマスタリング)か、リマスターがあってもおそらく1997年以前だと思います。
でも音質としては録音年代相応の質を確保していそうです。

前置きが長くなってしまいましたが、この「レディ・イン・サテン」は最初から最後までバラード尽くしです。それもラヴ・バラードばかりなのですが、歌詞の内容と声質との組み合わせに驚かされます。
ビリーはこの時まだ42歳ながら、アルコールやドラッグで体も喉もボロボロで(翌年に死去)、声質としてはおばあちゃん声です。
ですが…ですがですよ!
もう恋をするような年齢でなくなるかどうかくらいと感じさせる声質で、ある曲では失恋を歌い、ある曲では恋の高揚を表し、ある曲では女の健気さで魅せるのです。
異質でありながら、強烈なインパクトを伴うマッチング。これを「奇跡的邂逅」と言わずして、何と言えば良いのでしょうか。

私の購入したディスクは日本語対訳どころかオリジナルの英詞すら付いていないのですが、幸いビリーの歌唱は発音が判りやすく、なんて歌っているのかわからない部分が少ないので、歌詞の意はだいたいですが(ほぼ意訳ですけど)把握できました。
曲としての私の好みは、1曲目「I’m a Fool to Want you」、2曲目「For Heaven’s Sake」、3曲目「You Don’t Know What Love Is」、10曲目「Glad to be Unhappy」、12曲目「The End of a Love Affair」。
特に「For Heaven’s Sake」は私自身と重なる部分があり(笑)、「The End of a Love Affair」は曲が素晴らしく、ビリーの歌い方にも余裕を感じます。


では3本のヘッドフォンでどのように聴けたかのリポートです。
最初に聴いたのはK702です。
そもそも低音少なめのスッキリ音調のヘッドフォンで、音数の多い音源、低音を盛りすぎた音源では長所を発揮できるのですが、今回はそういう音源ではありません。
バックバンドのハーモニーのクリアさ、ビリーの尖ったビブラート表現の明晰さは感じましたが、高音域に実在感がなく、全体的に音が薄いです。歌声とストリングスにも密度感が不足しており、平板化してしまった印象が否めません。
ビリーの歌い口の痛々しい一面は表せていますが、聴きたいのはそこじゃない、という感じです。相性が合わず残念でした。

次に聴きましたのはアルバナライブ!です。
古い音源との相性は抜群なだけあり、これは1曲目の出だしのストリングスから違います。密度感、潤い、音色の良さと三拍子揃っています。ビリーの歌も湿り気が加わって、おばあちゃん声よりは少し若くなり、K702での不満点をあっさりと補ってくれました。
解像度が足りないせいか、バックバンドの音程が少し滑したような感じの聴こえ方になり、また各楽器がちょっと近すぎる気もしますが、アルバナライブ!は適度にメリハリ感を付けてくれるので、音楽の流れとしても心地よく、枯れた味わいのビリーの歌にも生命感を与えてくれたように思います。
これは音源との相性としてもおすすめの組み合わせですね。

最後にHD650です。
これは解像度も必要十分で、ビリーのビブラートも痛々しさを緩和しつつもきっちり聴かせ、バックバンドも各楽器がしっかり実在し距離も近すぎず適切、ヴォーカルも楽器も密度感をキープしながら柔軟に音色を描き分けられた優秀な再生……なのですが、何か足りない、何か違う。
アルバナライブ!のようなメリハリがないから、とも思いましたが、それは確かに欲しいですがこの再生はそこを補って余りある表現力です。では、この違和感は何なんでしょう?
1曲目と12曲目を何回か再生してみて、ハッと気づきました。
このアルバム、ヘッドフォンアンプのP-1uとの相性が今ひとつなのだと。
これにHD650クラスのヘッドフォンになって気づいたわけです。アルバナライブ!は基本性能がそんなに高くないので、逆にセンシティヴな相性面に私の神経が向かわなかったみたいで、K702はアンプとの相性以前の不満点が目立って気づかなかったようです。
そう、HD650との組み合わせで相乗効果すら出るはずの、俗にいうラックストーンがこのアルバムでは乗ってこないのです。それに気づいたら、音の潤いがアルバナライブ!を超えてこない、という具体的な不満点が見えてきました。
ではあっても、やっぱりHD650が最も良い再生には違いありません。
その一方で、アルバナライブ!では音楽の営みも味わえ、捨てがたいです。

またジャズには例えバラードであっても、アルバナライブ!かそれ以上のメリハリ(ドンシャリの意ではなく)があった方が良いです。
ですがメリハリ付けもおのずと限度がありますから、ジャズへの適合をそればかりに頼るわけにもいきません。ジャズを聴くならジャズのための上流を持たなければならないのでしょう。

2020/8/19 13:12  [1736-5149]   

チャカ・カーン「クラシカーン」 大和田りつこさん「夢にとどくまで」

「レディ・イン・サテン」がP-1uとの相性が今ひとつと書きましたが、ラックストーンと書いても抽象的で分かりにくい表現だったかもしれません。
分かりやすく言えば、P-1uでの再生らしからぬ薄味の再生、ということです。
思い返してみれば、我が家の谷山浩子さんのCDも薄味になるんでした。
どういうアンプだと良い相性を得られるでしょうかねぇ?


試聴記では音量調節のことに触れましたが、実は「レディ・イン・サテン」の他に、現代ヴォーカルのアルバムとして、チャカ・カーン(Chaka Khan)の「クラシカーン(Classikhan)」というアルバムも手に入れております。
こちらは録音も良く、現代の音質としてまず不満はまったく出ないであろうアルバムですが、このアルバムでも聴取音量を普段より上げて聴くことになりました。
「レディ・イン・サテン」も「クラシカーン」も録音レベルが低いわけではまったくありません。音量としては私がいつも聴くボリューム位置でまったく問題はないのです。
ところが、いつもの音量では歌が死んじゃうんですよ、これらのアルバムは。薄っぺらく聴こえてしまうんです。
音量を上げることで、音圧だけでなく、実体感とか、アーティストが歌に籠めたソウルとかが初めて現れてくるんです。ダイナミックレンジで音量を決めるクラシック音楽ではそういうことはあまりないんですよね。
つまりは、音源が求める音量がこれだった、ということです。ここは本当、大事なポイントだと思います。


最後にジャズというジャンルのことです。ジャズはすでに作られている曲を取り上げて、アーティストが自分流の表現で歌ったり演奏したりするものみたいです。アレンジはもちろん取り上げる際に変えるんだと思います。
スタンダードナンバーとか、どういう意味かと思いましたが、多くのアーティストが取り上げている有名曲のことなんですね。
私の良く知っているジャンルだと、童謡がジャズと同じなんじゃないでしょうか。
「七つの子」「みかんの花咲く丘」「里の秋」「赤とんぼ」「ゆりかごの歌」「雨」など、多くの童謡歌手が取り上げて各々独自の編曲で歌っていますが、これらの曲がジャズでいうスタンダードナンバーにあたるわけですね。
私にとっては思いがけない共通項でした。
ちなみに私の好きな童謡歌手は大和田りつこさんです。

2020/8/20 09:13  [1736-5150]   

好きな童謡歌手は大和田りつこさん、と書きましたが、その大和田さんが今朝のNHK-AMの「MY!あさ」5時台の終盤にご登場されました。
「どの国に行きたい?世界の童謡」というコーナーでしたが、私が子どもの頃と変わらず、しゃべりがお上手です。
大和田りつこさんといえば「手のひらを太陽に」でブレイクされ、テレビの「たのしいきょうしつ」などご出演されていましたが、私の年齢では見ていても記憶に残っていません。小学生の頃にいろんなトークで拝見(拝聴)していたわけです。
明るいりつこお姉さんのお声を久しぶりに聞きまして、次の試聴記は大和田りつこさんを取り上げようと思いました。
先日触れました「夢にとどくまで」と、私をりつこファンにした決定的な曲集「赤毛のアン」の正副主題歌と挿入歌集を用意しております。
後日アップの予定です。

2020/9/4 11:52  [1736-5151]   

ちと間が空いてしまいましたが、お陰で探しておりましたうちの長男が小さい頃に聴かせておりました童謡のCDが見つかりました。
そのCDはりつこお姉さんの歌ばかりではなく、他の歌手の方のも入っていますけど、これも試聴に加えたいと思います。

まずは大和田りつこさんの略歴をご紹介します。
1952年1月17日生まれ、今年で68歳になられました。今もってお声も容姿もお若いのでちと驚きです(^^;)
子どもの頃から「うたのお姉さん」になるのが夢だったそうですが、武蔵野音楽大学在学中にNHK教育テレビ「たのしいきょうしつ(低学年版)」にうたのお姉さんとしてご出演。1972年4月から大学卒業後の1977年3月まで担当されました。
先日聞きましたラジオ「MY!あさ」では、大学入試の合格発表を見に行き、合格していることを知るやすぐに公衆電話でNHKに電話をかけて、「武蔵野音大の学生なんですが…」と売り込みをしたという仰天エピソードを披露されていました。入試に受かっただけで入学もしてないのに、このバイタリティいっぱいの行動力はすごいですね(^^;)
そして歌唱でも、この元気さが反映された歌い口で、リズミカルな曲を得意にされていたと思います。

「たのしいきょうしつ」出演中の1976年9月から1978年3月まではTBS「ワンツージャンプ!」にうたのお姉さんとして出演。
後述のCD「夢にとどくまで」のブックレットには、この「ワンツージャンプ!」のディレクターの方がご主人との記載があります。この番組が出会いだったんですねぇ…ムフフ(//∇//)

「たのしいきょうしつ」と「ワンツージャンプ!」を卒業されたあと、1979年4月から1981年3月まではNHK教育テレビ「ワンツー・どん」でうたのお姉さん、期間ははっきりわかりませんがメインキャラクターのどんくんの声も担当されました。どんくん役の前任者である声優の潘恵子さんに関するアーカイブによると、うたのお姉さんとして出演途中からどんくんも兼任するようになったらしいです。

このようにNHKと民放を掛け持ちできたのは、童謡や唱歌を正しく歌え、さらにしゃべり上手でMCもこなせ、ステージを駆けまわる元気さも兼ね具えた人材が、りつこお姉さんの他にほとんどいなかったという事情もあるのでしょう。
ご結婚とご出産をされたのは「ワンツー・どん」を終えられた頃だと思われますが、育児などもあり、テレビのお仕事に区切りをつけられたのだと思います。
その後は童謡のコンサートやレコーディング、幼児イベントなどで活躍を続けられており、幼稚園等園歌の歌唱は200園を超えるとも聞いております。

また1989年には、NHK教育テレビ「できるかな」のナレーションを、急逝した声優のつかせのりこさんの後任として担当。この時は、大和田りつこではなく、かずきかずみのお名前をお使いでした。
ちなみにかずきかずみとは、作詞作曲をする時の名義「一樹和美」から取られているようです。
ちなみに、りつこお姉さんが作詞作曲で別名義を用いるのは、シンガーソングライターの松任谷由実さんが「呉田軽穂」名義を使うのと同じ図式のようです。

りつこお姉さんの歌唱は音大声楽科出身ながら声楽然としたものとは一線を画す、子どもも真似して歌いやすいスタイルなので、テレビアニメの主題歌のお仕事にも恵まれます。
初仕事は「ろぼっ子ビートン」(1976年)の正副主題歌。その後「まいっちんぐマチコ先生」(1981年)の副主題歌、「パソコントラベル探偵団」(1983年)の正主題歌を歌いましたが、代表曲はこの試聴記でも取り上げる「赤毛のアン」(1979年)の正副主題歌でしょう。
アンの曲についてはこの後触れますので、ここでは置くことにします。
また声優としても、「うる星やつら」「さすがの猿飛」「スプーンおばさん」などにご出演です。

童謡歌手という性質上、レコーディングは多数行っていてもご自身のアルバムというのは制作されていなかったのですが、1972年の「たのしいきょうしつ」でデビューしてから、この年「うたのお姉さん20周年」ということで、1992年1月16日に童謡20曲をセレクトした記念アルバム「夢にとどくまで」をリリースしました。
このCDが今回の試聴記のメイン楽曲となります。

私はご出演された番組が放送されていた頃には生まれておらず(ワンツー・どんの後半時には生まれてましたが)、「できるかな」のナレーションを少し覚えているくらいです。
アニメ「赤毛のアン」も初めて見たのは高校に入った年だと記憶してます。アンのCDを購入したのもアニメ視聴後のことです。
りつこお姉さんの歌に一発で魅了され、「夢にとどくまで」も買ってしまったわけです。

思いがけずご紹介が長くなってしまいました(^^ゞ
試聴記は次レス以降になります。

2020/9/15 10:52  [1736-5152]   

@「夢にとどくまで」 A「赤毛のアン」 B「新・どうようスーパーベスト」

ではりつこお姉さんの歌のCDを聴いていきますが、改めて試聴盤3枚をご紹介します。

@「夢にとどくまで〜こどもたちへのメッセージ」東芝EMI TOCT-6373
伴奏にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの弦楽器。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの管楽器。ハープ、ピアノ、チェンバロ、チェレスタ、そしてマリンバとグロッケンシュピールの打楽器。電子を排した楽器編成で、生の楽器の音を子どもたちに聴かせたいという趣旨のもと、チャーミングでこだわりの編曲も聴きものです。

A「赤毛のアン」日本コロムビア COCC9682
正副主題歌と劇中挿入歌6曲の計8曲。現代音楽作曲家の三善晃が5曲作曲。三善の弟子である毛利蔵人が3曲を担当。三善の曲はフルオーケストラ伴奏による、夢が広がるような素敵な音楽です。毛利の曲は室内オーケストラの編成と思われ、少女の心情を内面から照らすような秀逸さ。
8曲中7曲をりつこお姉さんが歌っています(他の1曲は石毛恭子さん歌唱)。
当CDには毛利作曲の劇中BGMを、プレリュードから始まり、第一楽章〜第十楽章、レクイエム、エピローグまでと、各章組曲風に構成した素晴らしいBGM集が収録されていますが、今回の試聴からは除きました。
ちなみに日本コロムビアからは完全版のBGM集(厳密に完全ではありませんが)もリリースされていますが(日本コロムビアCOCX32784~85)、こちらはBGMピース集といった感じでBGM全体をひとつの楽曲として聴けません。完成された音楽として楽しむには当CDをお勧めします。

B「新・どうようスーパーベスト」日本クラウン CRCD2197~98
内外の民謡発祥の歌は数曲しかなく、NHKの「みんなのうた」「おかあさんといっしょ」「たのしいきょうしつ」などで取りあげられた歌を中心に編成。当時の第一線のうたのお姉さんお兄さんの録音を集成しており、試聴ではりつこお姉さんが歌う中から「みなみのしまのハメハメハだいおう」「クラリネットをこわしちゃった」「ふしぎなポケット」「おもちゃのチャチャチャ」「おへそ」「ぞうさん」「5ひきのこぶたとチャールストン」の7曲をセレクトしました。


試聴にあたっては機材は固定した方が良いと考え、プレーヤーはSONY MAP-S1、ヘッドフォンアンプはLUXMAN P-1uで上流を決め、手持ちの3本のヘッドフォンのいずれを採用するか下聴きをしました。
実は3枚の試聴盤ともに、3本のヘッドフォンのどれも良かったのです。
正確に言いますと、3本ともにそれぞれ従来持っている欠点がほとんど耳につかず、楽しんで聴くことができたのです。

AKG K702では控え目な伴奏が歌唱を引き立て、肝心のりつこお姉さんの歌も乾いた感じにはならず、高音もまずまず充実。「夢にとどくまで」では楽器の質感がやや平板傾向になり、ちとメリハリが足りませんが、曲自体にメリハリがあるために気になりません。「赤毛のアン」では多彩な楽器編成をクッキリ聴かせて、編曲の妙を楽しませてくれました。「新・どうようスーパーベスト」は煩くなりがちな伴奏をよく抑えており、バランスが良かったです。

クリエイティブ アルバナライブ!はりつこお姉さんらしい元気な声での歌が素晴らしく、高い音域にも潤いのある歌声で聴かせます。「夢にとどくまで」は各楽器の質感が良く、編成が小さいために滑された感じもありません。ただ、伴奏が近く聴こえるため、歌手とプレーヤーが並んで立っているかのような印象になってしまいます。曲によっては伴奏が大きすぎる場面も。「赤毛のアン」は驚きました。音場感が狭いこのヘッドフォンで、これほど広い空間を感じたのは初めてかもしれません。「新・どうようスーパーベスト」では伴奏がちとしつこい感じになりますが、歌い口の良さ、歌の楽しさはこれが理想でしょう。

ゼンハイザー HD650は質感もさる事ながら、楽器の音色に品格を与えてくれました。「夢にとどくまで」では弦楽器の音色変化、管楽器類の上品な艶、りつこお姉さんの歌唱も全般潤い豊かで程よい残響で聴かせます。「赤毛のアン」は広々とした音場、質感表現の余裕度、歌唱の浸透度、伴奏が適度に下がるので歌と伴奏との距離感の良さが魅力です。「新・どうようスーパーベスト」は逆に特徴が薄くなってしまいましたが、これはバランスが良すぎてのことでしょう。

どのヘッドフォンで本格的試聴に入るか迷うのですが、「夢にとどくまで」で音色の良さだけでなく品の高さも感じさせた、「赤毛のアン」ではまるでオーケストラ歌曲のような音場と極上の質感で聴かせた、HD650に決めました。

次回のレスで、具体的な試聴感想を書いていきます。

2020/9/15 15:59  [1736-5153]   

ではまず、「夢にとどくまで」から聴いていきましょう。
このCDは先にも書きました通り、りつこお姉さんの歌手活動20周年を記念して制作されたアルバムで、童謡の心を伝えると同時に、弦や木管などの「本物の楽器の音」をアンサンブルで味わわせる趣向です。
テレビを通して聴くような電子楽器や打ち込みによる「作られた音楽」でなく、「生きた楽器の音」を子どもたちに聴かせてあげたい、というりつこお姉さんをはじめとする制作クルーの願いがいっぱいに詰まった、「作品」と言える出来栄えとなっております。
編曲も大変高レベルの完成度で、単なる伴奏を超えた「アンサンブル音楽」として後世に残せるものだと思います。
編曲を担当したミュージシャンの方々は、りつこお姉さんとかつて「たのしいきょうしつ」で歌手と音響監督の間柄だった玉木宏樹さん、「ワンツー・どん」で作曲や音楽制作を担当した上柴はじめさん(現在は口笛奏者として有名)、りつこお姉さんとの接点は分かりませんがかつて宇崎竜童さんの竜童組で活躍されていたハープ奏者の朝川朋之さん。
お三方とも素敵なアレンジをされておられ、特に玉木さんの弦、朝川さんのハープといった得意分野の楽器のフィーチャリングはお見事です。上柴さんはどの楽器でもその使い所の妙が魅力です。

りつこお姉さんの歌といえば、元気で楽しいリズミカルな歌唱の印象で、実際そのような曲を得意にされていたわけですが、このCDで聴けるのはご結婚されお母さんとなられた、大人の女性の歌声です。
曲はりつこお姉さん作詞作曲の「まっかな秋のわすれもの」で始まります。ほとんどの人は聞いたことがないと思われ、当時の私もこのCDが初めてでしたが、それもそのはず、この曲は「たのしいきょうしつ」の今月の歌として1974年に流され、おそらく他での使用はなかったもの。
当時の歌い方、アレンジは知りませんが、ここでは透明感のあるきれいなお声で、季節の移りと情感を表現されていました。
このCDを通して言えることですが、童謡の持つ美しさを伝えるために、りつこお姉さんも美しい大人の声での歌唱スタイルです。いっぽうで「小鹿のバンビ」「秘密のおもちゃ箱」では以前のイメージ通りの子供っぽい声での歌い方も使われています。
童謡の歌唱では、これ見よがしの喜怒哀楽は面白く聴ける半面、上っ面だけの表現に陥り、子どもたちの内面に浸透していかないもの。
りつこお姉さんもこの点をよく意識され、「七つの子」での慈しむような歌い方、「みかんの花咲く丘」「赤い靴」でのきれいな歌、「里の秋」での穏やかな歌唱、「青い目の人形」での闊達さの中に哀愁を込めた歌、など曲想を良く理解した表現ですが、いかにもという外形的な感情表現ではなく、内面からあふれてくる情感として伝えて、聴き手の感情に訴えています。
もっと具体的には、「みかんの花咲く丘」で母の歌である3番の歌詞に向かう歌唱表現、「ゆりかごの歌」での “ねんねこ〜” の優しさの表現が素晴らしく、「叱られて」では冒頭の一節 “叱られて” の歌い方で歌の世界に引き込まれました。
「おやすみなさい」は聴き慣れない曲ですが、その魅力をまっすぐ伝える歌唱です。この歌、詩がすごく良いですね。
「こどものこころ」では ”パパとママがむかしこどもだったころに“ という一節の歌い方に、伝えたい気持ちが凝縮されたものを感じます。
このように、童謡においての表現力のあり方を示した歌唱に、クラシック音楽一辺倒だった私が感銘を受けた次第です。

編曲も素晴らしいと先ほどから繰り返し言っておりますが、P-1uのラックストーンと言われる残響処理とHD650の格調ある質感提示で、魅力を余すところない再生ができました。聴きどころをいくつかあげておきましょう。
「小鹿のバンビ」で品の良い鳴り物がチャーミング。HD650の残響の付け方が絶妙であっさり通り過ぎないことで印象深くなりました。
「七つの子」ではヴァイオリンの旋律が印象的で、ピチカート奏法が効果的に使われています。「青い目の人形」での弦楽重奏の趣きとピチカートも上品。軽快なリズムの中に重さを垣間見せる表現力はヘッドフォンアンプP-1uの実力発揮です。
このCDでももっとも印象的な編曲である「雨」は、チェンバロでバロック風の音形を保ちながら雨音を模すアイデアと、弦のビブラート効果で、陰鬱さを醸しています。
「里の秋」の歌詞2番から3番の間の間奏のセンスの良さ。また「赤とんぼ」でのハープ伴奏のシンプルさ。りつこお姉さんの歌唱とともに厳しく貧しい時代を意識した表現となっております。

私の気に入った曲もあげておきます。
「きいろいちょうちょ」はグロッケンシュピールの単伴奏、「花らんぷ」も弦とハープのしとやかな伴奏で、ともに美しい旋律を情感込めて歌い上げた素敵な曲。こういうしんみり浸れる音楽、私は大好きなんです。
そして「おかあさん!」はこのCDの白眉の曲。お母さんという存在のすべてを語る素晴らしい歌詞に、ひときわりつこお姉さんの歌唱が説得力を増します。

最後を飾る曲は、このアルバムのためにりつこお姉さんが作詞した「夢にとどくまで」。
これは小さい子どもたちではなく、ちと大きくなった、自分の子ども(当時10歳くらいかな?)と同じくらいの年の子たちへの語りかけ。りつこお姉さんもお母さん、そして、まだまだ夢を持ちちづけるりつこお姉さんなのです。

この素敵なアルバム、見方を変えれば編曲が凄すぎて、小さい子どもたちは歌そのものへの集中ができないかもしれません。ある意味大人向きとも。当時そういう評もあったと記憶しています。
でも、我が子に童謡を聴かせる親が少なくなった昨今、親の世代に「童謡って素晴らしいんだな」と思わせるにも十分な曲集。親が童謡の魅力を知れば、それは子に伝わっていきます。
子ども向けか親向けかなど、どちらでも良いことです。
発売から28年経ちましたが、童謡は古びません。1人でも多くの親と子どもたちに聴き継がれていきますように。

2020/9/17 10:51  [1736-5154]   

2枚目の試聴は「赤毛のアン」。
主題歌と挿入歌、BGMの構成ですが、ここでは歌のみを聴いていきます。
テレビアニメ「赤毛のアン」は1979年1月7日から12月30日まで全50話の放映でした。
私はまだ生まれておらず、頻繁に掛けられたであろう再放送も実は1回も見ておらず、高校の時どういうきっかけだったかよく覚えていないのですが、全話収録のビデオを借りまして観たのが最初です。
ストーリーも良かったのですが、何よりもロマンティックでファンタジーあふれる歌と音楽の虜になってしまいました。
仙台のHMVのCD売り場で探したら、アニメコーナーに置いてあったのがこのCD。
何度も何度も繰り返し聴きました。
原作も買って読みましたが、アンのシリーズは9作まであり、アニメになったのは1作目。2作目からも非常に面白くて、何回も読み直しました。
原作は村岡花子さん訳の新潮版で、これに不満はなかったのですが、大学では英文学科で学んでいるのもあって、在学中にモンゴメリの英文原作も買って読みました。
私が一番好きなのは5作目(出版順。物語の時系列では4作目に相当)の「アンの夢の家」です。これに登場するレスリーという女性は、ダイアナに匹敵する素敵キャラです。またモンゴメリには珍しく、どんでん返しがあるストーリーも良いんですよ〜。
モンゴメリの英語は難しくなく、すんなりとイメージしやすくて、英語を学ぶにもアンシリーズは最適ですよね。
ちなみにオルコットの若草物語は、それはもう難しい英語で、読んでるうちに頭から煙がプスプスと…(笑)。まったく頭に入りませんでした(^▽^;)

横道に逸れましたので戻しましょう。
放送が1979年1月からなので、レコーディングは前年の11月までには完了していると思われます。
この頃のりつこお姉さんは「ワンツー・どん」ご出演の真っ最中で、数々の歌を歌われてきたはずですが、「赤毛のアン」は作曲が当時から現代音楽の大作曲家と目される三善晃さん。これはもう相当なプレッシャーだったことでしょう。
主題歌挿入歌とも、丁寧に歌うことを意識され、一音たりとも外したりしないよう、また敢えて音を外して表現を作るようなこともしません(そりゃできないでしょう^^;)。
そういった、ある意味では歌唱の制約のある中で、アンの心を表現できるのは、音大出身でオペラの素養を持ちながらオペラティックな歌唱ではないスタイルで歌える、さらにアンという少女の代弁者として違和感のない声質の持ち主…誰が推したかはわかりませんが、大和田りつこを置いてほかになし、という人選だったでしょう。

主題歌「きこえるかしら」と副主題歌「さめない夢」、挿入歌「森のとびらをあけて」「花と花とは」「あしたはどんな日」の5曲を三善晃さんが作曲されており、挿入歌「忘れないで」「ちょうちょみたいに」「涙がこぼれても」の3曲は弟子筋の毛利蔵人さん作曲。毛利さんは三善さんの音楽を引き継ぎ、並べて聴いてもお二人の作風に違和感はありません。また毛利さんは劇中BGMのすべても手掛けられております。
当時の三善さんは前衛的な音楽の作曲家と見なされていましたが、アンの曲は前衛の作風ではまったくなく、ラヴェルのような楽器の扱いが色彩的ですし(特にサクソフォンの使用)、上行形進行がラヴェルっぽいですし、他にもラヴェルを想起させる瞬間がいくつもあるので、ラヴェル好きにはたまらないですね〜。バロックの形式をアイデアに取り入れている部分もありますが、バロックスタイルはむしろ毛利さんの音楽の方に強いかなぁと思います。
またミディアム・バウンスの手法が使われているパートもあり、スイングジャズのスローナンバーを思わせるリズムがあったりと、とにかく発見が多くて楽しいです。
毛利さんの曲は、ファンタジーの広がりよりもアンの内面を照らすような曲作りで、ロマンティックさも甘さ控えめな感じなのですが、ベクトルを三善さんと同じ方向を指すのがさすが。「涙がこぼれても」は毛利さんだからこそ書けた曲でしょう。

詞にも触れておきます。
すべての曲の作詞は、童話作家の岸田衿子さん。この時すでに、「アルプスの少女ハイジ」の作詞で有名になられていました。
まるでアンの口から出たような、少女の気持ちを少女の言葉で紡いだ素晴らしい詞です。
りつこお姉さんが歌としてのアンの代弁者なら、岸田さんはまさに言葉としての代弁者。
「花と花とは」「あしたはどんな日」は “女の子” じゃないと書けない、”女の人” というだけでは生まれ得ない詞だと思います。
人を得る、ということができた時代だと、つくづく感じますね…。

曲の感想を書く前に、こんなに長くなってしまいました(^^;)
次のレスで曲に触れていきます。

2020/9/18 15:42  [1736-5155]   

りつこお姉さんの試聴記をずっと止めたまんまになってますが、その間何をやっていたかというと、赤毛のアンの楽曲の譜面探しをしてました。
でも、ピアノアレンジのスコアしか見つけられず、総譜は手に入らないみたいです。
ということで、ピアノスコアを購入してみました。
バックのオーケストラのスコアがわからないのは痛いですが、これを基に試聴をしなおしてみます。

2021/3/11 09:12  [1736-5171]   

赤毛のアンの曲のコンストラクションをご紹介したのが昨年の9月。半年も空いてしまいました(^^;)
その間にピアノアレンジのスコアは入手しましたが、今回の試聴目的に照らせばこれはちとあまり参考にはなりませんで、掲載曲も挿入歌全部ではありませんでしたし、パラパラ音符を追いかけて、調性と音価を確認しただけでおしまいです。

先にも記しました通り、主題歌挿入歌全8曲のうち、りつこお姉さん歌唱は7曲です。ほぼ同等の声のコンディションとブレスであることから、短期間で集中的にレコーディングされたと推察いたします。
ではまず、三善晃さん作曲の5曲の試聴です。
正主題歌『きこえるかしら』の音程を精確にトレースしながらも流れを失わない歌い口は、それまで童謡で聴かせた歌唱とは異なるスタイルなのですが、音大で培った素養の高さを具えた歌い手であることを如実に伝えてくれます。
丁寧なメロディの歌い上げからは、りつこお姉さんもかなり緊張してたんだろうなぁ、と想像できます。
「むかえにくるの むかえにくるのね」のフレーズはレガートを付けやすい、流れに負け気味の歌唱に陥る危険もあると思うのですが、ここをことさら抑えることで乗り切り、続けて「だれかが わたしを つれていくのね」と上行音形で聴き手を歌の世界に引き込むあたりは、作曲された三善晃さんの意図を万全に理解した知的な歌い方ですね。
こうした知的さは、副主題歌『さめない夢』の「はなのなかで いちにちはおわる」の部分でも感じられるのですが、ここは間奏を挟んで歌の再開部でもあり、聴き手を器楽による俯瞰世界から歌の世界に一瞬で引き戻さねばならない最難関パートでもあります。しかも1オクターブ上のイ音(H音)から始めるという高難易度……これカラオケでしたら、罰ゲームに等しいです(^▽^;)
こういう箇所も、サラッとというわけにはいきませんが破綻せずに歌い切るのはすごい力量だと思うのですが、それ以上にこの高音を澄みきったキレイな声で歌われるのに惹かれてしまいます。
この『さめない夢』は岸田衿子さんの歌詞も夢幻さを全面に押し出した、美しく無駄のない言葉の紡ぎで、本当に素晴らしいですね。

挿入歌の『森のとびらをあけて』はアンがカスバート家の精神的支柱に育つ前の、妄想少女時代を端的に表現した素敵な歌なのですが、本編では意外に使用頻度が低かったです。まあ、なんだかんだドタバタや事件が起こっているシチュエーションでは使えませんでしょうから、致し方なかったのかもしれません。
歌詞がそうだからなのでしょうが、ここでの歌唱はアンの心としてではなく、アンを優しく見守る第三者的立場であり、旋律を丁寧に扱い、発声に細心の気遣いを置いたもの。冒頭の「もりのとびらをあけて」のフレーズも歌い方は幾通りも考えられる中、童話の語り手ぽいポジションでの提示を選ばれています。
『花と花とは』の歌詞は、擬人化の手法によるもので、この曲の歌唱はりつこお姉さんとアンの心とが一体化してるかのようです。
3番まである歌詞の中で、どの連にも「わたしだけ ひとりぼっちで」という言葉があり、ここの表現が直截的な訴えになるように、しかし悲痛になりすぎないように、りつこお姉さんのバランス感覚が聴けるところです。
アンは物語の至るところで悲嘆にドップリ沈むので、そんな場面にピッタリの『あしたはどんな日』は本編中何回流れたことか。
物悲しいメロディの歩調にふさわしいりつこお姉さんの沈んだ歌唱もさることながら、編曲がドラマティックなので、悲しい気持ちに追い打ちをかけるような歌である一方、「あしたになるまえに のぞきたいの」「のぞいてみたい こっそりのぞいてみたいの」と明日への希望を信じる健気さの歌唱が聴きどころです。この部分は希望の半面、明日も悪い日かもしれないというネガティヴな悲痛さも併せ持つ、不安と期待が入り交じるとてもデリケートなパート。りつこお姉さんの歌だとどちらの聴き方でも納得できるのが驚きです。
挿入歌中でもこの曲は『涙がこぼれても』と並んで、私の大のお気に入り曲です。

2021/4/6 10:31  [1736-5172]   

これらの曲の作曲と編曲についてですが、本当に手が込んでいて、密度が高い職人技です。密度が高いだけなら近年のアニソンのような打ち込み系の楽曲も音の隙間がないほどのものがありますが、倍音成分に乏しい打ち込みとは違い、調性と転調、和声(それもけっこう大胆)の効果を生かして倍音を利用し、さらに歌と器楽伴奏を対位法で重ねることで生み出される密度という、当時のアニメ主題歌としてはあり得ない技法が満載です。
作曲のPCソフト(アプリ)で楽曲を打ち込んでいくと、五線に空白があってはいけないような錯覚に陥り、ガンガン音符を入れてしまうんですよね。それで音の密度は極限近くまで高くできますけど、和声や倍音成分の希薄さから音の充実感は程遠い結果になってしまいがち。本当の密度とはこういうのを言うのよ、って教えられたようです。

では聴いていきましょう。
正副主題歌『きこえるかしら』と『さめない夢』の使用楽器種類の多さにはただただ驚くばかりですが、それだけに聴きどころが多すぎて、何をどう書けば良いやらです(^^;)
『きこえるかしら』では全体を通して主役を張るような楽器はありません。弦五部、木管、金管、打楽器、ピアノ、ハープ、それぞれが歌の脇を固めつつ、しかしフレーズ間の器楽ポイントではしっかり印象深い旋律を奏でており、さらにはシンバルや銅羅まで動員され、ワンポイントプレイを残しています。
具体的には「きこえるかしら」のフレーズの後のスイングジャズ調の刻みを受けてのクラリネットのなだらかな音階。ここはゼンハイザーのヘッドフォンHD650の深みのある音色表現が生きています。
「しろいはなのみちへ」のフレーズを彩るピアノ、「つれてゆくのね」のフレーズが伴う弦楽器、さらには全体を通してフレーズの橋渡しをするハープのグリッサンド、曲のイメージに軽快さをもたらす打楽器。これだけ書いてもまださわりです。聴きどころは枚挙にいとまがありません。
そしてラックスマンのヘッドフォンアンプP-1uの音楽の礎を支える安定感、ラックストーンといわれる余韻と解像感の両立、それを忠実に再現するHD650が、音楽に格調を与えてくれています。

『さめない夢』はピアノによる16分音符の目まぐるしい動き(曲は2分の2拍子!)、また後半からこの鉄琴ぽい音は多分チェレスタだと思いますが、こちらも16分音符でかなりの音符数です。ピアノとチェレスタとでリズミカルで速いパッセージで繰り広げる夢の世界は今聴いても新鮮ですね。
また打楽器も負けじと高速でリズムを付けていきますが、この楽器は何でしょう?カスタネットかな?一部情報ではテンプルブロック(木魚みたいなヤツかな?)とも言われていますがハッキリとは分かりません。でもこの乾いた連打音は曲中を目立たなく爽快に駆け抜けて、私には印象深く残りました。
歌は間奏を挟んで前半と後半に分けられているのですが、大きな聴きどころとして、間奏部に弦とホルンによるとても推進力のあるメロディが置かれており、これこそアンという少女の核心を表したもの。女の子の心情表現の大切な部分とは、ロマンティックな歌心やデリケートな響き以上に、逸る心の表出なのだと提示しているのです。私も女の子でしたからここはもう、共感を超えて神回答を突き付けられた思いに駆られてしまいます。
この推進力には抑揚の付け方の妙も貢献しており、ここはヘッドフォンアンプのラックスマンP-1uの得意とする表現項目。高解像でサラッと流されたらかなりガッカリな部分です。

挿入歌です。
『森のとびらをあけて』はスイングジャズのスローナンバーを想起させるような管楽器の使い方が印象的で、冒頭からバスーンと思われる低音がギターのピチカートと共に歌を支えるのが面白いです。歌とともに太鼓連打、ハープのグリッサンドが穏やかな雰囲気のまま盛り上げます。
間奏と終結ではクラリネットが主役相当のメロディを吹き、この音色の良さは特筆ものです。
『花と花とは』のみ、作曲は三善晃さん、編曲は毛利蔵人さんの手によります。
この曲はBGMにも転用されているので、それも含めると使用頻度が高い曲です。
毛利さんの編曲でも曲調が三善さんとほとんど変わらないのはさすがですが、毛利さんはシンプルに集約した楽器の使い方をされており、ハープのグリッサンドなど三善さんよりも控え目な扱いになっています。
曲は弦楽器と木管が主体となり、歌と対位的に扱われるホルンとレガートで流れる弦の表現が聴きものです。
曲の部分のみの使用になることも想定してか、切れ目を作りやすい構造になっており、その点が曲の完成度としてちょっと不満ではあります。
『あしたはどんな日』は前奏なしで歌から入る手法が素晴らしい効果です。物語の悲痛な場面で使われる曲なので、曲冒頭からアンの悲痛な心情を出さなければなりません。視聴者がすぐに詞を耳にするやり方は理に適ったものですね。
この曲はりつこお姉さんの歌も、三善晃さんの作曲編曲も「入魂」という言葉が相応しい出来栄えで、それだけに聴きどころも多く、先ほども書きましたように私の大のお気に入り曲です。
冒頭は弦とハープによる静謐な伴奏が歌唱を引き立て、「なにがわたしを よんでいるかしら」のフレーズからクレッシェンドで盛り上げ、「みせてほしい」のフレーズからは切迫感をも伴い、銅羅を用いてクライマックスを築くという、聴いていて胸が締めつけられるような進行です。
特に「ゆめのかけらを」のフレーズ中の弦のデリケートなメロディは、表現力と相俟って大きな聴きどころ。HD650のような格調を持った音でぜひ聴きたい部分です。
曲全体もHD650の質量を感じさせる音もこの曲にピッタリですが、量感が多いにもかかわらずマスキングのない程よいブレンド感で聴かせるP-1uの本領が聴けます。

続いて、毛利蔵人さん作曲編曲の2曲について書く予定です。

2021/4/6 10:39  [1736-5173]   

挿入歌の続きになります。
『忘れないで』と『涙がこぼれても』の2曲は毛利蔵人さんの作曲編曲です。

『忘れないで』の歌詞は、物語の登場人物(ダイアナ)の名前が歌われる唯一の曲で、そのため汎用的に使われることはありませんでした。
この曲は、ダイアナと会うことを禁じられた場面での挿入歌で、無二の親友を失った嘆きがとどまることを知らずに噴き出し、ついに絶望の淵に落ちていく気持ちをストレートに綴ったもの。
このどん底感いっぱいの歌詞をどう歌うのか、悲壮感を押し出すのか、お涙頂戴でいくのか、表現法はいくつもあるのですが、りつこお姉さんの歌唱はアンの気持ちから少し距離を置いた、落ち着いた感じを採っています。
これはミュージカルでの歌唱と共通した表現の仕方のように聴けました。敢えて感情移入を控えることで、ダイアナへの強い友情を語らせる歌詞を引き立てたということなのでしょう。
『涙がこぼれても』はアンが希望を見いだす至る場面で使われたので、美味しい場面で流れたことが多く、挿入歌の中でも一番記憶に残る曲です。
今、明日、そして未来に希望が広がる歌詞は、聴き手に喜びをも与える素晴らしさです。
りつこお姉さんは冒頭の「なみだがこぼれても ひとつぶこぼれても いまは かぜがふいている」のフレーズから平明に、明日からの未来の希望を確信している気持ちで歌っておられます。この歌唱がこの曲の幸福度を示しており、希望の歌としての性格を決定づけたと思います。お聴きになる方は、ぜひこのフレーズに全集中してみてください。
そして最後の「なみだはもう きえてしまって」のフレーズは、「世はすべて事もなき」という、原作の赤毛のアンの終結に引かれた一文を体現する、素晴らしい歌です。

毛利さんの編曲は、三善さんの手よりも室内楽ぽい趣が強く、外へ広がるというより、内側に収縮するような強さを感じます。
『忘れないで』は編成を小さくして歌をフィーチャリングしていますが、悲しい心の高揚をあらわすような銅羅は三善さんも使われた手法ですが、それまでの展開が控え目な器楽でしたので効果抜群です。
弦の通奏の扱いも面白いですが、「わすれないで ダイアナ」のフレーズ中のフルートを起点に、クラリネット→ホルン→クラリネットと呼応するようなかけ合いが続くところは素晴らしく、聴きどころとしておすすめです。
この曲は歌が終わってから、挿入歌としては異例な器楽による長い後奏があります。きっと毛利さんも曲への思い入れが強かったのだろうと想像できますね。
音楽とは関係ありませんが、この曲は後奏の部分でマスターテープ由来と思われる歪みが1か所あり、素敵な曲だけに残念でした。
『涙がこぼれても』は弦による前奏がすでに清々しい明るさを有していて、りつこお姉さんの希望を感じさせる歌の導入としてピッタリです。
歌中の弦楽重奏が実に良い感じで歌声を支えていて、「なみだはもう きえてしまって」のフレーズと共に現れるホルンは夕映えを見せるかのようで、これが明日の希望を端的にあらわしています。
前に進もうとするアンの気持ちをあらわす名曲に相応しい編曲でした。
この曲を聴くヘッドフォンはHD650以上に、アルバナライブ!が前向き感を良く表現できていました。

さて、この次は童謡からのセレクトです。
アップまで少しお時間をくださいませ。

2021/4/7 10:18  [1736-5174]   

今回聴きます7曲の童謡は、歌のお姉さんたるりつこお姉さんにとっては原点といえるものでしょう。
童謡は子どもの心に喜怒哀楽の感情を芽生えさせ、そして発達に直接作用することができます。歌には手遊びなどを付随させることもでき、表現力を養う役割も担います。
肝心なことは、子どもが楽しいと感じてくれなければ、聴いてくれないし歌ってもくれない、という現実。
童謡を歌う歌手のみなさんは、子どもが聴いて「たのしい!」と心弾ませるために歌っているのです。

試聴のCDは、私の長男に聴かせるために買ったものでしたが、紹介文にも書きました通り、「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」といったテレビ番組用に制作されたものが主なので、ちと選曲には偏りがあります。
なので私なりに、テレビ色の薄い曲をセレクトしてみたつもりです。

りつこお姉さんの一連の試聴にはヘッドフォンにHD650を使用することで固定していましたが、改めて聴いてみますと、今回の7曲にはやっぱりちと違う感じが否めません。
手持ちの3本をもう一度聴き比べて、今回はアルバナライブ!を採ることにしました。伴奏はうるさく感じますが、歌を楽しく聴ける、という一番大事な要素で最も有利だったのがアルバナライブ!だと判断いたしました。

では聴いていきます。
先ほど、童謡歌手は子どもが聴いて「たのしい!」と心弾ませるために歌っている、と書きましたが、もちろんここでのりつこお姉さんもそうです。
「たのしい!」を演出するために、ルーティンな感情表現も取り入れますし、変な歌い方をして印象を残すようなこともあります。
例えば『ふしぎなポケット』の「そんなふしぎな」のフレーズでのくぐもらせ、『おもちゃのチャチャチャ』ではフレーズの語尾を跳ねさせたり、息づかいをガラッと変えたりしてます。
『おへそ』ではフレーズの間に「ピッピ」「ドンドン」といった合いの手があり、ここで面白い歌い方をすることで楽しさを演出しています。歌詞そのものは正統的に歌っているので、合いの手の面白さも増して、子どもたちにも受けが高いでしょう。
『5匹のこぶたとチャールストン』はリズムをまったく崩さない正統さで、面白い表現はないのですが、りつこお姉さんがとっても楽しそうに歌っているのが見えるようなのが印象的です。
『みなみのしまのハメハメハだいおう』が曲の持つ良い流れのまま、やさしい歌い方、アクセントの面白さを散りばめておられ、私はこの曲が一番気に入りました。
『クラリネットをこわしちゃった』はりつこお姉さんの子どもっぽい声での歌の中でも、一番声質に合っている歌だと思います。「オ パキャマラド」という歌詞の意味はわかりませんが(もしかしたら意味は無いのかも)、りつこお姉さんの歌で聴きますとなんかすごく大事な言葉のように思えてしまいます(笑)。
一転して『ぞうさん』はお母さんぽい声で、丁寧な歌い方です。
『おもちゃのチャチャチャ』と『5匹のこぶたとチャールストン』は宮内良さんとの共演ですが、2人で無理に合わせようとせずに、それぞれがご自分のスタイルを通しているのが、意外と言いますか、この時代らしいのかな、と思ったりしました。

こうした数々の表現は、多くの場合歌い手ではなく、プロデューサーなり音響監督が考えるのだと思いますが、歌としての完成度と言いますか出来栄えは、歌い手個人の持つ、表現のバランス感覚に負うことになるのでしょう。バランスが悪いと、変わった表現ばかりが印象に残る変な歌で終わってしまいますもの。
この点に着目して聴いても、りつこお姉さんのバランス感覚はやっぱり優れているんだなぁと感心してしまいます。

このCDでのりつこお姉さんの歌声、子どもっぽい声を使った、小さい頃に聴いたりつこお姉さんの声のイメージそのままが再現されています。『ぞうさん』のように女性としての声を生かした曲もありましたが、やっぱり、みんなが大好きなりつこお姉さんの歌はこれだよね、って思います。

りつこお姉さんの『夢にとどくまで』『赤毛のアン』『新・どうようスーパーベスト』。とっても楽しい試聴の時間を過ごすことができました。
またこんな時間を持ちたいものです。

2021/4/9 14:44  [1736-5180]   

突然ですが、ここを音響機器と音楽試聴スレッドとして使ってまいりましたが、この書き込みをもって新スレッドに移行することにしました。
理由としては、私の使用機材の入れ替えがあるかもしれず、現有の機材名を冠したスレッド名でない方がいいかな、という思いからです。
新スレッド名は、この縁側の名前である「心の泉」としまして、【音楽試聴記スレッド】の副題を付すことにしました。
新スレッドをよろしくお願いいたします。

2021/4/9 14:55  [1736-5181]   


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